答えは「現場」にしかない

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うつや惨事ストレスを「勉強」すればするほど、「研究」すればするほど、支援者は「あなたの感じ方(症状)は、これこれだ」「PTSDになる可能性がある」「ASDだ」「人に話しなさい」「お酒は絶対ダメ」「死にたいくらい辛いのも当然だ」という説明・解釈・情報提供ができるようになります。
それ自体それぞれは、科学や医学、社会全体としては正しかったり、適切だったりするものでしょう。

しかし、自殺や事故の「原因究明ではなく」、当事者やサバイバー・遺族を「支援」することを第一義として考える位置に立つのならば、正しいor正しくないという判断を均一に同じ論理(ロジック logic )で扱うことを最終目標とすることは妥当ではありません。
それは、非科学的・非論理的なスタンスかもしれませんが、扱うテーマや視点を「幸せ」「生きがい」「人生の意味」と割り切るならば、それこそ「あちらを立てればこちらが立たず」の世界でしょう。

人が死ぬような事故があったとして、ある遺族はその死に社会的に有意義な意味付けをして納得することによって弔います。
一方、ある遺族は関係者や組織、ひいては社会全体に対して不信を抱き、攻撃や批判、改善をすることが自分の義務だと理解します。
これらにはそれぞれの立場や物語(ストーリー)があり、どれが一番良いとか悪いとかいう議論はできませんし意味が無いでしょう。(それぞれの人の自分の物語以外に対して)

メンタルヘルスやカウンセリング、惨事ストレスケア(サポート)の業界においては、「答えは『現場』にある」というよりも「答えは『現場』にしかない。当事者・関係者のそれぞれ『個々』の中にしかない」と感じています。

2011-01-19 07:00

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