映画や小説のコアテクノロジーは端折ること

20121216113327

映画でも小説でもマンガでも自己紹介でも、その核となるものは「省略」だ。

元々の物語と同じだけの尺を使わないと表現できない、伝えられないというならば、いくら時間や資源があっても足りない。
映画でも、説明書でも、ある人間の思考や思想、(擬似)体験を、別の人間に、そのまま同じではないにしてもリピートさせる。
それ自体は経験的に可能だし、素晴らしいことだが、すべてを完璧にやろうとしたら、人生や人格を二重にコピーするという不可能仕事になってしまう。

だから、端折る、のだ。

幸いに端折っても、実質問題のないくらいには、補間できる知能、というか能力を人間は多かれ少なかれ持っている。

この「端折っても伝わる」という現象がうまくはたらかなかったり、逆に「伝わらない」「伝えられない」という状態や心理をもたらすものの一つが惨事やクライシスと言われるものだ。
そうしたときには、聞くにしても、話すにしても、「端折らない」という日常とは真逆の工夫が必要になってくる。

2012-12-18 07:00

惨事サポートにおける諸刃の正常化

20121127130816

惨事に遭って、不眠や悪夢、イライラや茫然自失、幻としか思えないような感覚などを体験している人に対して「それは無理もないよ」「そう思うのも当然だ」と正常化してサポートすることは本当に効果的だ。

しかし、このことが定石やコツだとしても、当然100%うまくいくわけではない。
相手やその時期によっては、正常化が「攻撃」になる。
その感覚は暗黙知的なもので簡単に伝えたり教えたりすることはできない。
人知を超えているのだろう。やってみるまでわからない、ということだ。

ただ、惨事やイベントから時間が経てば経つほど、正常化にネガティブなメッセージが加わる可能性が増えるということだけは憶えておくといい。
こうしたちょっとしたコツは経験が乏しくてもなんとか学んでいくことはできる。

2012-11-28 09:00

労う言葉さえ相手を襲う牙となる | deathhacks

「北のカナリアたち」にみる惨事反応 – マンガ、映画、小説で知るうつとPTSD その2

20121124120155

映画「北のカナリアたち」観てきた。

#movie 48 ★★★★ 『北のカナリアたち』 前半のトラウマ心理の描写がうまくて合点。後半からどうラストに持っていくかだったがこれもまた予想させつつも納得感動。演技が良いのは安心として川井郁子のヴァイオリンが素晴らしい。 http://t.co/f4lCrBXa

@neti2

小片武

「北のカナリアたち」に関する感想 / coco 映画レビュー

物語は現在と20年前を行き来しながら進む。
20年前に起きたある事件についての体験記憶を登場人物がそれぞれにふりかえる。
過去当時には語り合わなかった、あるいは語れなかった「それぞれの事実」を吉永小百合演じる元教師を中心につないでいく。

特に映画の導入・前半では、人物の記憶と物語、そして感情のズレが大きなものであることがわかっていく。
ズレは最初は小さいもので、人生を強く傷つけるようなものではないはずなのだが、ズレが傷を、また傷がズレを増幅していく。
そんな様が心理的に興味深い。

2012-11-24 12:00

映画オフィシャルサイト

映画『北のカナリアたち』|東映創立60周年記念作品

映画の原案となった小説はこちら

往復書簡 (幻冬舎文庫)
往復書簡 (幻冬舎文庫)

posted with amazlet at 12.11.24
湊 かなえ
幻冬舎
売り上げランキング: 606

惨事に対応するコツはかなり応用が利く

20120917120427

昨日のエントリ(中国の反日デモ暴動を災害ととらえて対処する | deathhacks)内容の背景にあるのはショックな出来事に対処するために持つべきは「意識」と「知識」と「儀式」 | deathhacksで書いていることと同じだ。

《現地邦人にとって暴動は「政治問題」ではなく「災害」である》というのは、ある出来事の見方自体を問い直してみる「意識」に当たる。

《緊急時物品を「毎日」皆で確認し合う》は「儀式」である。

《正常性バイアスに注意する》は経験で学ぶよりも「知識」として理解するのが効率的だろう。

このブログで繰り返し書いている惨事対処、特に心理的な手法や支援に関することは何も特別・特殊な状況でしか役立たないということはない。
人間関係や佐焼きの中で起きることのすべてに応用できる普遍的なものであるから、様々な場面で気づきや対応の助けになる。

2012-09-20 08:00

中国の反日デモ暴動を災害ととらえて対処する

現地邦人にとって暴動は「政治問題」ではなく「災害」である

今起きている中国国内の反日示威運動は確かに背景や発端は確かに政治的問題が絡んでいる。
しかし在中邦人や企業の日本人従業員などがなにより安全を確保するためには、政治問題というなにやら難しい目に見えにくいものとしてとらえるよりも、今そこにある危機であり、「災害」ととらえることが大事だ。

災害だから、地震や大事故と一緒で、中長期的には行政や政府が対処を助けて支援してくれることが期待できるが、初動はどこまでも自己責任と考えなくてはいけない。

緊急時物品を「毎日」皆で確認し合う

こうした状況では、情報を集めるため常にアンテナを敏感に立てておくことは大事なことだ。
これも災害時対処や防災行動と同じである。

自分や家族、仲間の間で心理的ストレスを軽くするためには、普段以上に意識してコミュニケーションを良く取っておくことだ。
コミュニケーションは、「実際に話すこと」「時間や内容というよりはとにかく回数を増やす」という意識を持とう。

落ち着くためには、心がけとか、リラックスや気晴らしをすることも勧められるがやはり体を実際に動かすことがとても有効だ。
災害意識とつなげて、緊急時の物品などをあらためて確認しよう。
水、軽食、医療備品、常備薬、眼鏡、最小限の貴重品、ラジオ、電池などなど。

次にこれらを「毎日」「家族(または会社の仲間同士)」で並べてチェックする。
これは毎日することがポイントだ。
話し合いやコミュニケーションが重要というのは否定しないが、現実的な物品に触れながら、数人で協力しながら準備することにはかなわない。
五感を使って準備することによって真の安心感や自信、落ち着き、そしてリラックスや覚悟を生み出すことができる。
緊急物品の準備を通じて仲間で話し合うならば、不安や不満などネガティブなことばかりになってしまう危険も少なくなる。

正常性バイアスに注意する

限られた情報だけで判断して行動してしまう。
または行動するタイミングを逃してしまうことが怖い。

これは正常性バイアスという心理状態がはたらいていることが多い。
自分の周りの人間は逃げたり、慌てていないから自分も大丈夫だろうと動かずに危険に遭ってしまう。
火災や津波などで逃げられたかもしれないのに適切に行動できなかったという事例は少なくない。

これを避けるためのコツとしては、いくつかあるが

  • 自分に近い情報と遠隔の情報、噂レベルの情報と政府公式などの確度の高い情報などを複数、その属性を意識しながら取る
  • 危険だと思えば、リスクを小さくする行動を取る。今であれば、お金やエネルギーを使ってしまうのも仕方ないと考える
  • 最終判断は自己判断だと覚悟する

などが挙げられる。

2012-09-19 09:00

「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」から惨事対応エッセンスを読み取る その1

20120912130341

「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」を読み続けてそのまま読了。

トムラウシ山遭難に見る医学・社会・心理 | deathhacks

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫)
羽根田治 飯田肇 金田正樹 山本正嘉
山と渓谷社
売り上げランキング: 2530

この本自体はリスクマネジメントやツアー参加者18名中8名が亡くなる原因となった低体温症の医学的側面について主に書かれている。
しかし、これだけ大きな惨事であるから、インタビューや現場での心理的描写の中などに惨事後反応として一般には得がたい情報も見られる。
そのあたりを特にメンタルヘルス的視点からコメントしまとめておきたい。

本書の内容順番には逆らうが、まずはあとがきから。

(p.355)
 言うまでもないことだが、この事故の事実はひとつではなく、事故に直面した十八人それぞれに事実がある。残念ながら八つの事実についてはもう知ることは叶わないが、事故の報道を見ていちばん危惧したのは、残る十のうちひとつかふたつの事実によって事故の全体像が語られてしまうことだった。

トムラウシ山遭難事故はまったくの自然環境で起きたものであるため、また半数近くが死亡したためもあり、科学的な事後検証の精度に自ずと限界があった。
生還した者も行程の途中から低体温症の症状により、事実の有無や会話についての記憶の欠落や相対的錯誤などが出ており、特に時間的感覚が相当に乱れていた様子がうかがえる。
そうした状況が先ほどのあとがきにおける記述につながっているのだろう。

同じようなことへの認識と実践上の注意を、惨事後反応や心理的サポートを扱うときには払わなくてはいけない。
特に複数の当事者に対して同時に介入し、専門家としてファシリテートしていくことが求められるグループミーティングでは重要なことだ。

真実はひとつかもしれないが、事実は人数分ある。
なんだかドラマチックな物言いかもしれないし、この事故や犯罪など、一定レベル以上の判定を下さなくては決着がつかない社会的な事情が絡むことは少なくないから個人や組織は葛藤するかもしれない。
ただ、もしも心理的サポートに軸を置き、当事者のできるだけ多くが傷つかないような手当てをするというやや理想論的なものを目指すのならば、基礎的な認識とバランス感覚を持ち続けることが要になる。

2012-09-13 07:00

(参考URL)

トムラウシ山遭難事故 – Wikipedia

惨事対応チームメンバーは自律的でなくてはいけない

R4003106

惨事対応をチームでする(惨事対応をチームでする理由 | deathhacks)からにはその中での連携が重要になる。

その連携の具合によっては1+1が3や4の力にもなる。
逆に連携が不適切ならば、介入の成果はマイナスになってしまうこともある。

チームカウンセリングで1+1が2にならない | deathhacks

連携力を高めるには2つの方法がある。
一つはスキルの育成と評価の標準化。
もう一つは、平時からの境界なき連帯。
これら2つは併用もできるし、普通は色々な比率でチームを運用する組織に備わっている。

スキルの育成と評価の標準化は、そもそもチーム参加メンバーの技術や実力を規制・コントロールすることだ。
10のうち1を学んでOJTに入ることは効率はともかく不可能ではない。
しかし、0からOJTというのはリスクが高く、サービスとして不誠実だ。

評価という標準化が適切に運営されていて、それを各個人が認識していれば、活動の最初の段階はスムースに始められるだろう。
あとは、チームのリーダーの力量が次の焦点になってくる。

平時からの連携、は勉強会や研修、情報共有などあらゆるものが利用できる。
ただし、それらだけでなく、宴会・飲み会、近況報告、うわさ話、などプライベートまで侵食し合うイメージだ。
こうした日常の中で、惨事対応やカウンセリングなどに対する、一人ひとりの考え方、向かうやる気、普段の研鑽などが常に互いに知るところになる。

惨事対応というのは、初期対応としての救急救命的な要素が多い。
物理的な危機や危険が外部からの介入チームにはっきりとはないように見えても、保証はされない。
介入メンバー、支援者が活動の結果ダメージを受けることは少なくない。

そうした危険に入って行く時に、チームのメンバー・仲間の素性や力が分からなかったり、信用できなかったりすることはとても怖い。
喩えれば、戦場となるジャングルに入っていくのに、味方と思っていた者から事故かどうかは別にして撃たれることもありうると想像する。
チームで活動する予定が、個人個人バラバラに分断されることもある。そうした時には、それぞれが自己責任でサバイバルしなくてはいけなくなる。それができなければ、チームメンバーになる意味が始めからないと言ったら厳しすぎるか。

2012-09-07 07:00

惨事対処に関わるための知見準備

20120828123806

結局答えは現場にあるし、現場からしか学べないのだけども、今の自分には、自分の知識や技術のうち、どの部分が直に教わったもので、どれを現場で悟り、何を本などで学習したのか定かではない。

これから、惨事ポストベンションや、トラウマケアなどを現場でやっていこうという人に、自分が一から責任を持って教えることはできるが、どこから始めていいかやはり確とは言えない不十分さと、前提やベース、共通認識として持っておける何かを少しは欲しいと思ってしまう。

そこで以下に紹介する一般書は一読を奨めておこう。

緊急事態ストレス・PTSD対応マニュアル―危機介入技法としてのディブリーフィング
ジェフリー・T. ミッチェル ジョージ・S. エヴァリー
金剛出版
売り上げランキング: 530183

→ 惨事ケアの草分け的なミッチェル氏自身がディブリーフィングというツールの有効性を今現在は主張しないようだという言葉を聞くことはある。しかし、現場に近い感覚や意見から考えれば、あらためて検証・検討する意義がある。そうした対応についてはさておき、緊急事態ストレスというものの概観を知るために、共通のスタート地点として多くの事例や知見が含まれている

惨事ストレスへのケア
惨事ストレスへのケア

posted with amazlet at 12.08.29
松井 豊
ブレーン出版
売り上げランキング: 783880

→ 著者が現場と研究の両者を知っている。そうした学者は、どんな分野でもいてほしいものだが実際にはまれ

消防士を救え!―災害救援者のための惨事ストレス対策講座
加藤 寛
東京法令出版
売り上げランキング: 360283

→ こちらも複数の惨事現場にケアと研究の両面で入った経験をもとに記されたもの

まとめ

紹介した本の内容は、主張として必ずしも一致していないものもある。特にディブリーフィングについては。
しかし、それこそ「現場」や、臨床心理というものの難しさ、というか正体の一面だろう。
個別一般のカウンセリングでの対応に、正解というものを見出しにくいのと同じで。

あとは、読んだものを比較しながら、さらに細かな情報や文献・論文などを探していくと良い。
その際、今の時期(さらに今後)であれば、東日本大震災や福島原発事故に関連した報告類が目立つかもしれない。
それらは興味深いし参考になるが、十分な集積や検証を経ているかに注意する。
その点からは過去の情報に立ち返る方が有効と思う。

2012-08-29 07:00

(関連エントリ)

デブリーフィングとフグ | deathhacks

自殺・事故後ポストベンション活動の紹介 その1 | deathhacks

DEATH NOTIFICATION

20120601122312

今日は以前のエントリ(自殺や事故に対して管理者がまず出すべき2つのメッセージ | deathhacks)を revise して書こうと思う。

組織の従業員などが自殺や事故でなくなったときには、管理者、経営者ももちろん衝撃を受けるだろうし大変苦しむはずだ。
そして、組織の運営者の責任や期待される言動は、こうした惨事直後には理論的にも倫理的にも高まる。

管理者が、亡くなった従業員以外の皆に、まず初めに、いつ、どのような発言をするか、コミュニケートするかということは極めて重要だ。
私は過去にも、今現在も、こうした状況の管理者らに向けて、発言の内容や注意点などについてコンサルティング・アドバイザリーをしてきている。

今回書くことはそのエッセンスだ。
言うべきこと3つ、してはいけないこと3つ、そして若干のコメントでまとめている。
平時からコミュニケーションや人心、そして人事の感覚を研ぎ澄ましている管理者であれば、これを読むだけで対応の骨子はつかめると思う。

言うべきこと(1) 「私(管理者)自身がショックを受けている」

管理者自身が衝撃を受けているということを隠す必要はない。
むしろデメリットが多い。

別にうろたえたり、取り乱したり、感情のコントロールを全放棄して涙することなどを奨めているわけではない。
ただ、鉄の意思で冷静を保ち装うことを過剰に自分に課すことはないということだ。

管理者があまりに平静を保つと、それを見た周囲は、安心する面もあるが、一方で「冷たいのではないか」「自分たちも取り乱してはいけないかな」というあまり好ましくない印象が伝わる可能性がある。

言うべきこと(2) 「このことをウヤムヤにはしない」

事実は事実として、管理者個人としても、組織としても、正当に扱い対応することを明確に宣言する。
わかっていることは表現に注意しながら情報提供する。

このとき慎重に、憶測や予断を挟むことを避ける。
そうした内容が入ってしまっていないかは主観的なチェックでは不十分だから、できるだけ周囲の幹部や専門家のサポートを受ける。

また、情報の提供は初期対応の時点から継続的にしていくことを約束すること、実践すること、方針を変えるときにも一々説明することなども従業員に伝えたほうが良い。

言うべきこと(3) 「皆(従業員・関係者)のことを気にかけて心配している」

従業員を集めて、管理者が話すべきことの最後は、直接従業員らへのメッセージだ。

「同じように驚いていると思う」
「亡くなった者との関係は色々だったと思うが、悲しい気持ち・寂しさはそれぞれあるのではないか」
「急過ぎて頭が真っ白だったり、うまく受け止められない感じがしている人もいるかもしれない」

その上で、組織として可能な限り業務上などの具体的な調整や配慮を準備して提示すること、内外の心理あるいは惨事対応の専門家などと連携をして、希望・必要とする従業員には使ってもらいたいということを繰り返して発信する。

してはいけないこと(1) 当事者・亡くなった者への非難

「死ぬくらいなら、その気もちをバネにしてもうひと頑張りすれば良かったのに…」
「なぜひとこと周り(や会社、家族など)に助けを求めてくれなかったのだろう」
などの発言は死者への攻撃と取られる。

こうした部分には管理者個人の価値観、自殺やメンタルヘルス、人事や従業員についてなど、普段考えていること、思っていることが素直すぎるほどに出てしまう。
そして、それが適切かどうか、従業員にとってどう感じるかということは十分考えた上で表現しなくてはいけない。

個人として思い発言する内容と、管理者としての立場でのあるべき内容も微妙に違ってくるから調整が必要になる。

してはいけないこと(2) 従業員・聞き手への要求

「皆は早まったことをしないで欲しい」
「悩みが何かあって困っているのだったら勇気を持って会社や家族に打ち明けて欲しい」
「命は大切にしよう」

これらは結局、話し手主観の願望・要求だ。
極端に言えば、自己防衛・保身の面が強く出たり、受け取られたりしてしまう。

知り合いの自殺などのように強い衝撃を受けている人らは、少なくとも一時的にはとても消耗・疲労していると考えていい。
そこに、何かしらの要望や約束を求められることは、どんなに親身な内容で良さそうなものであっても、これまた攻撃と感じたり、負担になる部分が多くなる可能性が高い。

してはいけないこと(3) 関係ない話はしてはいけない

身近な惨事にかこつけて、別の話をしてはいけない。
小ずるさが見えたり、人格・管理者適性を疑われかねない。

「亡くなった彼(彼女)の分も仕事に真摯に取り組んで行こう」
「世の中、もっと大変な人たちもいるじゃないか」
「実は、私は以前にも親友を自殺(事故)で亡くしている。そのときに私が思ったことは…」

余計な鼓舞や話題、思い出語りなどは、惨事や故人について思いを抱えていながら集められた人たちの内面にズカズカと入り込んで感情の処理などを邪魔するようなものだ。

まとめ

惨事に一つとして同じものはない。
惨事介入にこれが正解だというものはない。

しかし、心理や専門的な経験を背景にした、初動・対応の原則はある。
そして、現場や環境の違い、時々刻々と変化する状況に対応するには私らのような専門家のサポートも有効だろう。

2012-06-02 08:00

(追記)
(関連エントリ)

自殺があった後にマネジメントが出すべきメッセージとは | deathhacks

Posted from DPad on my iPad

デブリーフィングとフグ

R4001692

デブリーフィングはとりあえず心理臨床や惨事介入のツールとしては表舞台から消えている。
場面と内容を限定したグループケアなどにその名残りや改変が見られるくらい。
かなり似たようなことをやろうとしながら、名称を調整するなどするのみで実践に持ち込む状況もある。

私個人としては、大きなケア効果をもたらす可能性があるディブリーフィングやグループケアが、まだまだ吟味・精査する余地があると思えるのに、杓子定規に切り捨てられるのはもったいないと思っている。
過去にいくつか研究や効果検証がされてはいるが、手法としての対象がはっきりしていなかったと感じる。
言葉の定義からあらためるべきではないか。

もちろん科学的に考えて、そのものの100%を解明することは不可能だろう。
しかし、現在のデブリーフィングに関する思考停止は、フグの肝を食べて中毒を起こした人がいたからといって、二度と食べないとか、食用を禁止するようなものだ。
適当な姿勢というのは、もっと対象を研究することかもしれないし、その結果専門家ならば扱えるものかもしれない。
フグの調理免許制のように。

今のデブリーフィングの扱いには、こうした「フグ」についての過剰な恐怖や、最近の「レバ刺し」食用一律禁止法整備への疑問と同じものを感じている。

2012-04-05 09:00

Posted from DPad on my iPad