トライアスロンってこんなに面白かったのか!

たまたまテレビでトライアスロンの世界選手権を観戦したら相当面白かった。

1. 心技体、つまり精神力・知力、テクニック、体力のすべてが求められる競技である

これは当たり前のことかもしれない。
しかし、徐々に興味を持ってきて色々な知識が自分に入ると、選手の凄さに感動する。
スイム、バイク、ランのすべてが得意という選手は基本的にいない。
スイムやバイクはランに比べると技術面の差が出てくる。
しかし最後にはトータルで勝る選手がランで逆転勝ちをするパターンが決して少なくない。
これがマラソンや水泳単一の競技だとあまり順位の入れ替わりがないのではないか。

2. 命懸けのレースでもある

これはほぼバイクについてだけ当てはまるかもしれない。
落車でアスリート生命やそのシーズン、あるいは本当に命までを失うことがありうる。
その中でもレースやシリーズ総合の順位や勝利を目指して駆け引きしつつも競り合うことになる。

3. 駆け引きがそこかしこにみられる

スイムからバイク、バイクからランへのトランジションにはテクニックと駆け引きが総合して出てくるし、それが順位に影響してくる。
見ていた中では、
・シリーズ総合優勝を目指すためにポイントトップの選手が途中棄権や1レースまるごとDNSしたりする戦略がありうる
・バイクで自分に有利な展開にするために、スイムトップの選手があえて全力を出さずにグループの人数などをコントロールしようとしたりする
・国ごとや選手間で一種の同盟を組んで、ターゲットにした上位選手に対抗したりもする

まとめ

まだまだ「すぐ自分でやってみたい!」というまでの情熱はないが「いつかやってみたい」くらいの興奮は感じる。
自分はランはまあ人並みくらいにはできそうだけど、スイムとバイクはなかなか手が出しにくいかと思う。
2014年の世界選手権は最終第8戦まで終了してしまったが、他の大会やレース、オリンピックなどに注目してみたい。

2014-09-17 13:00

iPad mini 1G → Retina 2Gへの移行でA4サイズPDFが相当読みやすくなった

2014-05-31 09:00

困窮した友人は助け続けなくてはいけない

20140329155449

見かけ上、何年も同じテーマで愚痴り続けていて、何度、そこから抜け出すことを勧めているのに一向に行動を取りそうにない友人がいたとして。

もう仕方がない。
自分では抜け出すつもりがない。
実は今の環境が心地いいのではないか。
自分がこんなに言っているのに自分の意見を聞かないなんて、自分はなんと無駄なことをしているのだろう。
いい加減、放っておこう。
本当に(誰にもわからない)困ったのなら、その時にはちゃんと(また)ヘルプを求めてくるだろう。

数年来、会う度毎に愚痴を聴き続けてしまうと、聞き手も慣れてしまう。
自分の(親切な)アドバイスを聞かないのだから大切な友人であったとしても、もう手を差し伸べるのはやめておこうと考えてしまいがちだ。
本当に困っているのか怪しいものだ。そういう風に感じ始めてしまう。

聞き手も含めて固定化した困窮の環境に変わってしまう。
これは危険な合理化思考かもしれない。

手は差し伸べ続けなくてはいけない

聞き手も疲れてきたり、不安になってくる。
そこで助けを躊躇して中断してしまえば、困っている友人の、困っている環境に加わってしまうことになる。
それは「環境型ハラスメント」と言われているようなものであったり、いじめを傍観する「共謀者」になってしまっている可能性がある。

愚痴を聴き続け、助けを言葉や行動で示し続けるべきだ。

本当に困っているかを見分けるポイント

・こうしなよー、というアドバイスに対して、はっきりと拒否、拒絶の反応を示す場合には、よほど心身の状態や環境が悪くて、結局のところそのタイミングでは友人がうまいことにはヘルプを受け入れられない状態である(ことが多い)。
・はっきり拒否しないで「うん。あたしもわかってはいるんだけど。。」というような反応の時には急いで行動の変化を求めないで待つ。ただしアクセスはし続ける。手を伸ばし続ける。

だが、手を伸ばし続けるのは辛い。
こうした状況では聞き手、助け手であるあなた自身が、自分の心身の体調を整えることに留意するのが最優先だ。

2014-04-01 18:00

幸せは貯金である

GR001700

「幸せ」が貯金であるのと比べると、「楽しさ」は瞬間の稼ぎである。

幸せを感じるには時間が必要だ。一瞬楽しさを感じたとしてもそれが幸せという感覚には直結しない。
幸せというものは、他人に「幸せでしょ?」と言われても当事者がピンとくるとは限らないものだ。
幸せという感覚は当事者本人の価値基準に沿った実感がなくては成立しない。

だから他人から「幸せ(そう)でいいねー」などと言われてもそれをそのまま受け取る、真に受ける必要はないと思う。
他人や一般世間が言っている「幸せ」基準をそのまま使うのはいけないものだと思ったほうがいいくらいだ。
(基準を形作るものには、お金、結婚、出産、仕事、健康、経験などがある)

そうでないと、自分では幸せを実感していないのに、与えられた他人の幸せ基準を用いて、「自分はなんと不幸なのだ」と嘆いたり、「自分は今、幸せである(はずだ)(なのに、なぜ苦しく感じるのだろう)」などと自問自答したり、悩んだりすることになってしまう。

幸せという貯金が貯まってくれば、ジワッとした快を感じられるようになる。
あるいは、将来において幸せというお金が貯まっていく信頼が十分に感じられれば、そういった場合でも幸せを感じられる。
一定以上幸せが貯まっていればちょっとくらい不快な出来事が起きても、それによって貯金が目減りしても、そこから発生する幸せの感覚は簡単にゆらぎはしない。

ここまで考えてきたこととは別に「不幸を感じていないこと」が幸せの定義であるとも思う。
今この瞬間に明確に感じられる、もしくは判断できるのはかだけであると思う。

現時点で「幸せ」について考えてみていること。

(2014-02-24)

2014-03-19 10:00

iPhoneで使うカレンダーアプリはWeek Calendar一択

2011年5月から使っている。
このアプリがあるからiPhoneのみで予定管理ができている。
もちろん同期させているGoogleカレンダーの存在が前提だが。
iPhoneの純正カレンダーアプリでは週間表示をするのにランドスケープモードにしなくてはいけない。
1週間を24時間フルの時間枠で見渡すことができるのは貴重だ。
検索で過去数年分のログが確認できる。
設定の詳細までを極めようとすると大変だが、予定を確認するという一点においてシンプルで見やすいというアプリはいくらでもありそうでなかなかない。

2014-02-19 21:00