惨事介入の注目点

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ある組織で惨事が起きたときに、従業員が注目していることを、管理者や人事が見積もるとしよう。

従業員や社員が見ているものが惨事だけだと考えたとしたら、半分しか正解とは言えない。

従業員らが全神経を集中して見ようとしているのは、惨事そのものだけではなく、観察者であるつもりの会社やその管理者や人事もである。

その出来事をどう捉え、扱い、自分たち従業員に対して何をしてくれて、逆に何をしないかを固唾を呑んで見ているということを関係者は意識しておくべきだろう。

2012-05-14 19:00

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カウンセリングがうまくなるためには同じシナリオで反復ロールプレイすると良い

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カウンセリングのトレーニングで「まったく同じ設定で、2回繰り返しでロールプレイをする」というのをやってみてもいいのではないかと思っている。

これは「カウンセリングの訓練では振り返りの後すぐに実践すれば効果が倍増する | deathhacks」の考えをさらに進めて具体的にしたものだ。

フィードバックやふりかえりで向上の良い材料が見つかったのならば「次回」のトレーニング機会を待たずにそのときにできるだけ処理してしまった方がいい。
「次回」が本番現場であるかもしれないし。

この方式はライフライン式カウンセリングロールプレイトレーニング(ライフライン式カウンセリングロールプレイで訓練効果をアップする | deathhacks)と同じで、あらかじめ「繰り返す」ということを参加者が認識・了解しておくのがポイントになるかもしれない。
いきなりの指示では抵抗も考えられる。

時間管理がやや難しく、内容レベルも高めになるので、よく見知った者を中心とした少人数でやるのがまずは基本になる。
残念ながら30分間以上などの実践的な設定も難しいだろうが費用対効果としてもそこまで追求する必要はおそらくない。

カウンセリングは実際には一つとして同じものということはないわけだが、だからこそ逆にトレーニングでは、パターン化したり、シチュエーションを限定して制約を加えたりするのが有効だと思う。

スポーツ、例えばサッカーの練習でも、仕上げには練習試合、紅白戦などにたどり着くのだろうが、そこまでは以外と限定した部分の反復が多いのとも通ずるところがある。

(関連エントリ)

まず一品、料理がつくれることを目指す | deathhacks

2011-05-13 11:00

またまたメンタルレスキューの認定資格イメージ私見

CPSからMR、さらにその上位の認定を受けるというのは、ブロックを積み上げていくというよりも

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土台の部分がより充実して、能力の幅も、技術の量も、下位の認定資格から比べて飛躍的に向上しているというようにイメージをしている。

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2012-05-12 09:00

(関連エントリ)

メンタルレスキュー協会の認定資格ヒエラルキー | deathhacks

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やるべきこと、やりたいこと、やれること

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前の職場に異動してあいさつをするときに「自分にとっての、《やるべきこと》と《やりたいこと》が一致して、さらにそれが《やれること》だったら嬉しい」ということをしゃべった。
見方によっては不遜なことを言っていたかもしれないが、そのときの自分の任務が割りに特殊であったり、独立的に進められる部分が多い業務だったりしたのでまあ許されるだろう。

読んでいた本の中に、似たようなこと、以前のこのあいさつエピソードを思い出させるような文章が偶々あったのだった。

そりゃあ、「やるべきこと=やりたいこと=やれること」という状態は理想的だろう。
しかし、「理想的=現実には無理」と考えてしまうのも悲しい、というか楽しくワクワクできない。

どうも、こうした「いかに生きていくべきか」というようなことを考えるといくつか決まって思いつく、思い至るものがある。

一つには村上春樹の「ノルウェイの森」に出てくる主人公の先輩「永沢さん」のセリフだ。
「やりたいことではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」とかいうものだったと思う。

もう一つは、自分が自身に問いかける「今この瞬間に死んでしまうとして悔しかったり悔やんだりするだろうか?」という命題だ。
これはブログにも書いたことがある。

今死んでも大丈夫 | deathhacks

論理的に考えることは大事だが、今回書いたようなフィーリングとしか言いようのないものも同じくらい大切なものだと思っている。

2012-05-11 07:00

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カラオケによって業界のレベルが上がったことから

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以前に書いたエントリ(カウンセラーに向くのは新しいものを受け入れられる人 | deathhacks)の通り、プロのカウンセラーは停滞していてはいけない。
学び、トレーニングし続けなくてはいけない。

世の中や世界に普遍的なもの、要素は確かにあるが、それ以上に変化の量やそのスピード、表現形の多彩さは増えていっている。
人間の根本的な部分はなかなか変わらなくても社会はどんどん変わっていく。
メンタルヘルスやうつの知識は、そのレベルや正しさはともかくとして、一般的になってきている。

コミュニケーションのうまさだって、個々を見れば確実に上昇している。
生涯に出会う人間の数や種類は増えているし、言葉や文字を上手に使える程度も向上している。
もっとも、このことはコミュニケーション「レベル」の格差が広がっていることにも直結している。

つまり、メンタルヘルスの知識のような面でも、コミュニケーションの実践や知見の面でも、カウンセラーがプロフェッショナルを名乗ろうとするならば、素人一般人を上回らなくてはならず、それには自身も日々向上し変化していかなくてはいけないだろう。

テレビが普及し、何度かのお笑いブームが訪れ、素人の日常会話の中でも「ウケ」や「オチ」が求められる。
「ツッコミ」や「ボケ」という、元々は専門的な用語だったり、技術だったりしたものが一般化した。

カラオケが珍しいものでなくなったことにより、昔であったら、人前で大きな声で本気で一曲を歌い切るというような、一生かかっても出会わないかもしれなかったような経験がしやすくなった。
それにより、才能が埋もれる確率が少なくなり、芸能としてのプロに向かう分母が飛躍的に増えたことで業界全体の質も高まってきたのではないか。

まったく違う業界、分野のようであるが、社会の変化とプロフェッショナルのあり方に関しての考え方は通じるところがある。

2012-05-10 07:00

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会社と個人と結婚と

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会社と個人の関係は通常、契約だ。
だが、単なる法的な契約 contract としてだけではなく、エンゲージメント engagement というもう少し精神性、感情性が入った考え方もある。

エンゲージメントという言葉自体からは、どちらかと言えば「婚約」というイメージが先に浮かぶ。
しかし、元々「約束」とか「取り決め」、そのものそのままの「契約」という意味も含まれている。

言葉遊びになってしまうかもしれないが、なぜ会社や組織との関係は「結婚(婚姻) marriage」ではなく「婚約」と称される(もしくは同じ言葉が違うニュアンスで使われる)のだろうか。

そこには多くの国や文化、宗教で決められているように、「結婚は(原則として)一度きりで、死が二人を分かつまでは(!)解消してはいけない」というような縛りがあるのに関係するのかもしれない。

終身雇用制度の有無や良悪、維持の継続性・可能性に関わらず、法律上の人格であったりする人工の組織と個人が、「結婚」してそれを余程のことがなければどちらかの終末まで継続・維持することを半ば強制するようなことはやはり難しいのかもしれない。

漠然と印象先行で考えてみているがどう思われるだろうか?

2012-05-09 07:00

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原始時代に「うつ」はなかった

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原始時代にうつはなかった。
心身ともに疲れきった状態での行動に、感情面からブレーキをかけるうつ的なものが長期間存在できなかったからである。
疲労困憊したら自然環境に負けたり獣に襲われたりして即座に命を落としていたから。

痛みや疲れというものは人にとって原則、嫌なもの、ないほうがいいもの、忌み嫌われる感覚だろう。
自分自身がそれで苦しんでいるときには「いったい何処のどいつが、なんだってこんな嫌なものを作りやがったんだ!」とでも言いたくなる。

しかし、こういった「ブレーキ」がないと、生き物は際限なくエネルギーを使ってしまったり、危険を適切に認識して避けたり、対策をしようとしたりはしなくなってしまう。
それでは、個としても集団としても不利になってしまう。
まあ、ここでは人間という種が、必要に応じてその性質を手に入れたのか、それとも元々そうした特徴を持ったグループが残って繁栄したのかとかいう進化論的な話はとりあつかわない。

疲労しきってしまったときに、動かない(動きたくなくなる)とか、動けなくなる、休む、などというのはハイリスク、ハイリターンであり、状況によっては究極の選択と集中だろう。
繰り返しになるが、人間が個としても集団としても、周りから比べれば相対的に弱小である場合には、ちょっと怪我をしたり、疲労したりしただけでも、生存を脅かす危険度は一気に上がり、閾値を越える可能性が高い。
こうした場合に有効な戦略は、慎重な行動などに向かうものではなく、メリハリの効いた、一か八か、一発逆転のものだ。

しかしながら、現代社会では、そこまで極端に変容したり、過剰に防御的になることはかえってマイナスが大きくなる。
これを、ブレーキなどの「誤作動」だと表現することもある。

長命になることによって「がん」という病気の危険や重大さがぐんぐんと上昇していることや、飢えに対抗するためにエネルギーを蓄える能力に秀でていたことが肥満や糖尿病をもたらしていることも基本的には同じ考え方でせつめいできる。

こういった考え方は即、科学的に正しいとか、論理的だとかいうものではないが、基礎的な研究や事実をつないで物事を本当に理解するための物語として重要だ。

2012-05-08 08:00

(関連エントリ)

長生きするようになって日本で癌死が増えた話から考えたこと | deathhacks

(関連書籍)

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カウンセラーを育成しても組織のメンタルヘルスは向上しない

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私個人の意見として「研修などによってカウンセラーを育成してもメンタル不調者の減少にはつながらない」と言ったら、実際に研修に携わっている人や人事から反感を買うかもしれない。

しかしおそらくこれは間違いではなく、確率的に分が悪いとか、費用対効果が高くないとかいう意味では正しい。
確実な、目に見えるような変化や効果は期待できないだろう。

考えてみると「カウンセラーや専門家が増えれば皆のメンタルヘルスが向上する」という論法は、明らかに正しいように見えて実は定量的な成果、時間的な制約などが入ってはいないため、評価しようがない。

逆に考えてみるとよくわかるはずだ。
「メンタルヘルスを向上させる」という目標がまずあったとして、その手段が「カウンセラーを育てる」だけということはあり得ない。
他にもいくつものプランや考え方、資源があった上で、その一つが「カウンセラーの育成」であるに過ぎない。

労務管理を整備する、勤務報酬を上げる、業績を拡大してやりがいを増やす、健康診断の情報から改善点を見つける、福利厚生を充実させる、外部サポート資源を利用するなど、採ることができる手段は無数で無限だ。
これらを一つひとつ検討し、導入し、全体もしくは個々の効果を可能な限り厳密に評価し続けるのが結局最も効率がいいメンタルヘルスの増進維持施策なのだ。

こうした中の一手段である「カウンセラー育成」は特に効果測定が難しい。
そもそもカウンセリング自体の効果測定が広く確立されてはいない。
しかもカウンセリングは前提として、組織などの対象者全員が利用するという位置付けではないことがほとんどだろう。
つまり少数の者の利用事例から成果を評価しなくてはならない。

欲張らないのであれば、長期的な効果測定はしながらも、カウンセリングがうまく機能したケースを記録したり、匿名化などの処理を適切にした上で適切な範囲で共有するというくらいがちょうど良いだろう。

2012-05-07 08:00

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「趣味は何ですか?」よりもいい質問をしたい

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知り合った相手のことをより深く知るために「ご趣味は何ですか?」と訊いたり訊かれたりすることがある。
しかし、この質問では、たまたまばっちりと趣味が近かったり同じだったりしない限り、話がうまく盛り上がって広がることは少ない気がする。

それよりも「好きな本は何ですか?」とか「最近にどんな本を読みましたか?」とかいう質問をしたらどうだろうか。
(「本」は「映画」や「テレビ番組」「タレント」なんかでもいいと思う)
昔から、「その人を知りたいと思うならば、その人間の本棚を見よ」とか「〜の友人を見よ」と言う。
相手を直接に見るのも良いが、生まれてから死ぬまで絶対的に社会的な生き物であり続ける「人間」個人を定義するのに、その周囲を観察するほうが有効なことは多い。

同じように考えると、他にもいくつか質問が浮かぶ。

  • 「次の休日には何をして過ごす予定ですか?」
  • 「お手本にしている人(尊敬する人)は誰ですか?」
  • 「今欲しいものには何がありますか?」

こうした「範囲を狭めた」質問をするほうが、相手の人と生りがわかりやすくなるのではないか。
質問のポイントは、クローズドな質問ではないけれどもオープン過ぎるものでもないこと、かもしれない。

うまく質問をすれば、

  • 相手の頭にちょっとした刺激を与えて、本気で考えてもらうことができる
  • 「趣味」を訊くだけだと、テーマが広すぎて回答しにくい。または、「取り繕った」ような無難な答えになってしまいやすい

ただし、注意をしないと次のようなデメリットやリスクもあるだろう。

  • ちょっと攻撃的な印象を与えてしまうかもしれない(「ややこしい質問をしてくる人だな…」と思われたり)
  • 質問した側の、(それこそ)趣味や考えが入り込んでしまう(相手や状況によっては、会話のテーマ誘導は好ましくないことがある)

単なる日常会話・社交会話に思えるものでも、色々と考えてみると面白い。

2012-05-06 08:00

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労働者が睡眠と食事を削ることの意味

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労働者について産業医学的な見地からは、1日の睡眠時間がおよそ5時間を切る辺りから、脳血管障害や心疾患が発生する可能性が明らかに高まるそうだ。
実際に健康障害が発生して、睡眠時間への影響やストレスなどと職場環境や労務管理の因果関係が認められれば、労働災害ということになる。

もちろん睡眠障害や睡眠時間の短縮には様々な背景が考えられる。
仕事との関連だけでなくプライベートのトラブルもありうる。

睡眠(や食事)の状況がなぜ労働災害や過労死と密接に関連するのか。
イメージとしてわかりにくいことはないけれども少し説明をしてみる。

人間にはいわゆる三大欲求というものがある。
食欲、睡眠欲、性欲の三つだ。

性欲は置いておいたとしても、食欲、特には睡眠欲を抑え込むということは、生き物にとって究極のピンチであり、ぎりぎりの状況だ。
普通そこまでになる前に、別の部分でなんとかつじつまを合わせようとするだろう。

サラリーマンであれば、趣味の時間を削る、通勤時間を確保するために会社に泊まり込む、家族サービスを諦める、などだ。
実際のところ、仕事が忙しくて目が回るような状態で、睡眠時間を先に削って、家族サービスを最後までキープするという人は極々まれにしかいないだろう。

食事についてもだいたい同じようなことが言える。

つまり、食事や睡眠の質と時間を犠牲にしているという状況は、もう余程追い込まれていて、それ以上頑張るとか工夫の余地が少なくなっていると客観的に言って良い。
そして、疲労や総合的なストレスなどの影響と蓄積から、労働災害や過労死が起こるリスクを考え、そこには重大な労務管理責任や安全配慮義務があるというふうに、現在の産業医療では解釈している。

2012-05-05 07:00

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