iPhone+iPadを書画カメラの代わりにする

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研修で、参加者が議論した内容を紙に書いてもらったものや、指導者の手元の資料をサッとプロジェクターに映したいと考えることがある。
今の時代、前もって準備しておいたファイルを使うのは普及して簡単になったが、もう少し小回りを効かせたい。

機材としては以下のようなじ実物投影機というものを使えばいい。

エルモソリューション販売株式会社

なかなか値が張ったり、準備が大仰で費用対効果が難しいと思い、まだ導入したことはない。

代わりに次のようなものを買ってあり、機会があれば使ってみたいのだが。

IPEVO  P2V  USB書画カメラ (CDVU-03IP) ※並行輸入品
IPEVO
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しかし、最近になって、もうなんでもiPhoneやiPadとその多彩なアプリで、やりたいことが可能になってきている。
デジカメやビデオカメラを置き換えるのはもちろん、PCやスキャナーの代わりになってくれる。

そのものズバリ、書画カメラになってくれるアプリもあるのだが、細かい部分で使い勝手がビジネスユースレベルでなかったり、安定していなかったりする。

ただ、よく考えてみたら、iPadをプロジェクターかHDMI経由でディスプレイにつなぎ、iPhoneでA4ペーパーなどの写真を撮れば、iCloud経由で数十秒のタイムラグはあるものの、ワイヤレスで手軽に連携し、目的は達することができることに気づいた。

こうしたトレーニング手法は今までならば、OHP資料化したり、インストラクターがホワイトボードなどに板書して、可視化と共有をするのがせいぜいだった。

この方向のチャレンジは工夫をしていきたい。

書画カメラの活用を奨めていたのは、確か数年前に雑誌で読んだ山田ズーニー氏の記事だったと思う。

2012-05-04 07:00

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カウンセリングの技術が先か報酬が先か

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心理職の社会的評価がまだまだ低く、金銭報酬が少ないというならば、まず取るべきアクションは2つあると思う。

一つは、自らが技術やサービスを高値で市場で売ることだ。
例えば私が考えているカウンセリングの価値は以下のエントリに書いている。

カウンセリング1時間の相場は3万円 | deathhacks

現在のところ、カウンセリングや心理サポートサービスは価格統制がされてはいない。
手塚治虫のブラックジャックのように、貴重な技術とリスクの請負を自由診療で行うことについての抵抗は少ないはずだ。

もう一つには、心理サポートサービスなどに、十分以上の対価を払うことだ。
これは何も、自分がカウンセリングを受ける状況がなければ実行できないということでもない。
組織として、心理のプロフェッショナルを雇用しして、彼らに高待遇を与えればいい。

こうして考えると、よくある、鶏が先か卵が先かという体になる。
高いお金をまず払いたいがそれに見合う価値はあるのか?
しかし、乱暴に言って私は、まず金額が十分にあってこそ話が始められると思う。

2012-05-03 08:00

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悩みがなんでも生育歴のせい、なんてこたぁないJK

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ある集団や特定のカウンセラーが担当するクライアントの「主訴」や「テーマ」に、生育した環境や幼少時の大きな出来事と関係することが多かったとしよう。
果たしてそれは、本当にクライアントの傾向だろうか。

私はそこに、サービス提供側、セラピスト側の主観や恣意性が入りすぎていることを必ず疑うべきだと思う。

生育歴や思春期のトラウマ体験などが、その人間の性格や人生観などに与える影響は確かに少なくないだろう。
しかし、一歩間違うと、どんな悩みであっても「生まれのせい」「過去のトラウマが悪いのだ」と安易に片付けることになってしまう。

カウンセラーにとっては、なんとなく「これ以上は何も支援できそうにない」とか「やっかいで根が深い悩みだからじっくり付き合っていくしかない」とかいうように無駄に話を難しくしてしまうことになる。

クライアントに対しては、「ああ、自分の問題はちょっとやそっとでは楽になれない種類のものなのだ」と重荷を背負わせてしまう。

世の中、確かに、人生を捻じ曲げてしまったり、容易に「普通の」生き方ができなくなってしまう出来事や体験というものはある。
しかし、それらを皆がみな、完璧に乗り越えることを人生最大の目標のようにぶち上げることは適当ではない。

同じような不幸や問題を抱えていても、うまく折り合いをつけて、プレッシャーなどをかわしながらなんとか生きていっている人も存在はする。

悩みなどの原因をすべて、運命的なもの、精神の深くに根ざしたものと考えることは、「美味しいラーメンを食べたいからといって、今の仕事を辞め、全国食べ歩き行脚や最高の素材探しに何年もかけ、究極の一杯を作ることに一生を捧げる」というような過剰を感じてしまう。
それが絶対にダメだというのではない。
一律にそうした高コストの道に、プロフェッショナルが自分のクライアントすべてを、知らぬ間に導いてしまってはいないかという警鐘を鳴らしたいのだ。

さらっと短時間で、そこそこの味のラーメンを自分で作るなり、近所の何店舗かからその日に応じて選んだりして、とりあえず腹を満たしてから、あらためて自分の人生の主題をどうしようかと考えてみる方が良いバランス感覚である気がする。

2012-05-02 10:00

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研修・セミナーにグループディスカッションを取り入れる

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研修などの構成に、インタラクティブな要素、例えば参加者間で少人数のグループを作り、テーマを与えて議論してもらったりロールプレイをしてもらったりすることがある。
以前は、そうした手法について、「まあ講義や講演を聞いているだけだと皆飽きてしまうよなー」とか「でもグループの中で収拾がつかなくなってコントロールが効かなくなったら怖いな…」とかいう感じを持っていた。
しかし、今では1時間に満たない、ごく短時間の場でない限り、積極的に取り入れるべき、あるいは必須のやり方だと思えるようになった。

グループディスカッションやロールプレイ(実習)を用いる理由には3つある。

  1. 参加者の思考や参加者間のコミュニケーションが活性化する
  2. 参加者の発言欲、表現欲が満たされ、次につながる
  3. 参加者がいる現場についてヒアリングすることができる

余程のオーラがある人や、カリスマ的人気の演者でもなければ、ただその話を聞いているだけの進行には時間が長くなるほど無理が出てくる。
逆に短時間だったらば、良い時間で有意義だったのに、と思うことも多い。
映画でも、「いくつかのシーンを編集でシェイプアップすればもっと素晴らしく感じたのに!」ということはよくある。

百聞は一見に如かずだ。
話として聞いたことを、あらためて自分の言葉で語り直してみたり、場面を再現してみることで内容の理解や実感、テーマへの興味は確実に高まる。
話すことやプレゼンテーションの演出などを工夫するよりも簡単で費用対効果も大きい。

また、人間誰でも、他人の話を聞いていれば「アレッ。その点は自分の意見ではちょっと違うな…」とか「んっ? この場合にはどう考えれば良いのだろう?」とかいった思念が浮かんでくるものだ。
一方的な講演や訓示などでは、そうした思考は封殺されてしまう。
だが、そうしてしまうのはもったいない。
それを一般的な質疑応答だけにせず、研修のメインに持ってくる。
より参加した感が高くなり、研修が終わった後にも、テーマについて考え続けてもらえる。

最後の理由として、演者側の利点は、参加者の生の意見が聞けるということだ。
どんなに主催者と事前の打ち合わせをして、準備をしても、研修で目の前にいる人らの背景やニーズは正に水ものだ。
その場で臨機応変に、リアルタイムに内容やテーマを変化させなくてはいけない。
それでなくては、リアルタイムに、リアルな場で研修をする意味がなくなる。
ただ単に知識を教えたいというだけなら、本や資料を作って渡して読んでもらう方がお互いに効率がいいはずだ。

こうしたヒアリングは、その研修が同じ集団で連続する場合でも、異なる人たちに対してやっていく場合であっても、その質を高めていく材料になる。
演者側の利点とは書いたが、直接に参加者のプラスにつながるわけだ。

このようにディスカッションや実習をすることには、最初は怖さや予測のつかない不安を感じるだろう。
しかし、コミュニケーションやカウンセリングと同じく、人対人の活動には対話が有効だ。
すべてを演者自らが準備して場に供給する必要はないし、効果的でもない。
テーマへのより適切な答えは、参加者ら自身、またはその場皆が持っていて見つけ出していくものと考えてよう。

2012-05-01 07:00

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出来事の前後で同じ言葉のメッセージが変わる

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できちゃった結婚はしないほうが良いが、できちゃった結婚をしたことを非難するのも良くない。

予防や忠告はよいことだ。
しかし、実際に出来事が起こってしまってから同じ事を言うと違うメッセージに変わる。
ただの非難になってしまうだろう。

2012-04-30 14:00

思った以上に、外向きの人が多くてびっくりした

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外向きというのは、自分がどう見られているかということを気にしているということ。
見た目、というだけではなく、どう評価されているか、どんな資格を持っているか、どれくらい実力を持っていると思われているか、信頼されるか、など。

しかし、カウンセリングやメンタルヘルスに関してばかりではないが、実践の現場で大事なもの、頼れるものは結局「実力」だけだ。
資格や人柄、実績やコネなどは何の役にも立たない。
自分の実力をしっかりと計ることが内向きの視点ということになる。

そして、内向きの視点は、自己客観視、謙虚さや慎重さにもつながる。

もちろん外向きの視点がまったく要らないということではない。
クライアントや社会と関わっていく活動の中でそれは重要だ。
要はバランス、あるいはバランス感覚の問題になる。

外向きばかりでは見失うものが多い。

2012-04-29 09:00

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カウンセリングで共感のまえに十分話を聞く理由

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以前のエントリを広げてさらに考えてみる。

まず驚き、なるほどと思うことが共感につながる | deathhacks

極端な例を挙げてみる。
クライアントがセッションの開口一番に「実は夫が最近亡くなりまして。。時間が経てば経つほど、悲しくて寂しくてどうにかなってしまいそうな気がして」と切り出したとしよう。
「それはとても悲しいし寂しいですねぇ。。」とそのまま繰り返してどんなに共感してリアクションをしても「嘘っぽい」

それはなぜか。
共感が早過ぎるのだ。
ここでの例ほどまでに、最初のテーマがはっきりとしていて、クライアントが素直にサッと心情を吐露したとしても、容易に食いついてはいけない。

いや、食いついてもいいのだが、そこで「ヨシ! 共感は終了! 次は何を話してくるのかな?」と待機してしまうのが良くない。
最初の反応から、あるいは当座の繰り返し反射の後に、「詳しく話を聞いてもいいですか?」「ご主人はどんな方だったのでしょう」「どんな原因で亡くなったのですか」「周りの方はどういう反応や対応をしている感じですか」などを質問責めにはならないように配慮しながら確認していく作業をまずしよう。
そして、時間もかけ(かかり)十分聞いてからこそ「それはお辛いですね。。」と心底から共感できる確率が高まるし、その共感がさらにクライアントに適切に伝わる。

クライアントからすれば、とりあえずそのまま現在の状況を言ってみたものの、すぐ急に共感されてもウソっぽいし、無視できないくらいのズレが生じる。
カウンセラーの事情を言えば、細かなディテールを聞いてからでないと実際上うまく共感はできない。

ロジャーズなど、旧来の理論に問題があるとすれば、共感や受容といった目標やゴールを適切に示してくれてはいても、そこまでの過程やたどり着く手段、かかる時間や距離などについての説明が不足していたり、後世の人間に強調されて伝わっていないことだろう。
こうした点が考えられていなかったはずはないのだが、カウンセリングやコミュニケーションの初歩教育などにうまく取り入れられていない印象がある。

2012-04-28 09:00

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思考停止けっこう

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「思考停止」という言葉はネガティブな意味で使われることがほとんどだ。
しかし、この言葉自体に罪はない。
非難するような感情があるのはその文脈や使う人中である。

思考停止にはメリットがいっぱいある。
すでに決まっていることや証明されていることを一から考えなくて済む。
考えたり悩んだりしても仕方ないようなことを考え続けて、消耗してしまうことを防ぐ。

専門家や法学者ならば、なぜその法令があり、どう運用していくかをミリミリと考えても良いが、大多数の国民は大方の法令を「何も考えないで」守ればよい。
いちいち、六法全書や条例・公文を紐解いていたら日常生活に差し支える。

思考停止がいけないのは、それによって人権や生命などが不公平なまでに危機にさらされるとかいう場合だ。
また、きっちりと論理的に考えてルールを整備運用しようとすると、多くの時間やコストがかかる場合には、合理的でなくてもある一線を引いてしまい、思考停止をするほうが得が大きくなることもある。

思考停止という言葉を使うときには、それによってどんなマイナスがどれくらい生じているのか、考えを詰めることに本当にプラスがあるのかを考えなくてはいけない。
また逆に、「それは思考停止ではないですか?」という疑問を投げかけられた場合には、そこに込められたネガティブなメッセージはさておき、やはり実際の費用対効果などに冷静に目を向けるべきだろう。

2012-04-27 08:00

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(関連URL)

Business Media 誠:仕事をしたら“恋愛のナゾ”が解けてきた(1):なぜ“普通のオトコ”は、なかなか見つからないのか? (2/6)

うつに対して「治るよ」と反射的に言うための準備と訓練と覚悟と

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うつが治るということについては、何回かエントリを上げてきた。

うつは治ると言う | deathhacks

カウンセラーは「診断」してもいい、「うつが治る」と言っていい | deathhacks

うつは治るが治せない | deathhacks

「うつは疲労である」と言うことの意味 | deathhacks

「うつは疲労である」と言うことの意味〜翔〜 | deathhacks

カウンセリングやサポート、ケアなどで「うつが治る」と言おうと決めたならば、あとはそれを反射的に実行するための準備と訓練が必要だ。
これは「あらかじめ覚悟をしておく」と言い換えてもいい。

普通「覚悟をする」と聞くと、ある瞬間から精神的なものがガラッと変わり、啓示のようなものが降りてくるようなイメージがあるかもしれない。
しかし私は、覚悟というものには一定の期間の準備が必要で、ジワジワと整うものだと考えている。

例えば、先日私は、小走りしていた人が路上で派手に転んで顔面をしたたかに打ち付けてしまい、流血までするような場面を正に目の前にしたことがあった。
自分は特に意識せず、すぐ駆け寄ってそばにしゃがみ、「大丈夫ですか?」と声をかけ、ティッシュペーパーを差し出し、適切に様子見と手当てをした。
私と同行していた人に後から聞くと、「ずいぶんスムーズに行動していたねー」という印象だったようだ。

ここで言いたいのは、別に私がすごいとか優しいとかえらいとか道徳心がどうとかいうことではない。
実は私が、ためらわず、サッと動いて、倒れた人をケアしようとできたのには、正に準備をずっとし続けてきたからなのだ。

過去に数回、似たように怪我や病気などで具合が悪い人にたまたま出くわすことがあり、その度に「次はこうしよう」とか「もしこんな状況が起きたらどうすればいいかな」ということを考え続けてきた結果が、今の私の準備であり、今回やったこと、そして次回にできることにつながっているのだ。

そう考えると、覚悟や実際の行動は単にごく一部分、あるいは結果でしかない。
時間や労力のかかった大部分は日常の中の準備や備えだったとわかる。

同じようなことは、禁煙とかアルコールを減らすとかいうことにも通じる。
もちろん、タバコを止めた瞬間、飲酒量をどういう風に減らせていったかを、ある時点で測定したり確認したりすることはできる。
しかし、そのための準備、行動が変わる(変容する)までの内面的、精神的な変遷にも注目するべきだというのが、近年の医療や心理学上の常識だ。

「うつが治る」と言うか、言えるか、ということについても同様だ。
半分は意識上の理解や知識そして納得であるけれども、残り半分は現場を意識した反射や習慣のようなものであって運動やスポーツと同じく訓練の繰り返しが必要になる。

2012-04-26 08:00

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プラスを増やそうともがく前にまず寝る

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外国の女性向け(?おそらく)ビジネス格言に次のようなものがある。

「朝起きて鏡の前に立ち、人生が何かうまくいっていないと感じたのならば、髪型を変えるか、パートナーを変えるか、さもなくば仕事を変えなさい」

細かい部分は違うかもしれないが、まあそういうありがたい助言と言えるかもしれない。

髪型を変えなさい、というのは「ちょっと気分転換でもしてみたらどうだい?」ということだろう。

パートナーを変えろ、というのは、プライベート、つまりワークライフバランスでのライフの部分を見直しなさいという感じだろうか。

そして、仕事を変えなさい、というのはあまりに直接的・直球のアイデアだが、アメリカのビジネスパーソンの精神ならなるほどとも思える。
最近の日本なら、納得して感化される人も結構いそうだ。

しかし、私なら、鏡の中の自分に「このままで本当にお前はいいのか?」などと自問してみて、先行きが真っ暗だったり、今日や明日の楽しさがイメージできなかったとしても、いきなり服装や生活、会社を変えたりはしない。

こうした積極的な変化やそのきっかけをもたらそうとするのは、人生のプラスの位置にいる人間が、さらに発展し、能力を開発して、自分を啓発していこうとする方向だと思う。

そうしたステージにあることがはっきりしていれば、どんどん新しいことにチャレンジしていってもいいだろう。

だがもしもそうでなければ、まずは美味しいものや好きなものをしっかりと食べて、ぐっすり睡眠をとれと言いたい。
プラスの人間開発なんかの話はその後だろうー。

こうした考え方は、私が元々メンタルヘルスの、どん底的状況・状態からのレスキューや回復に関心を持ってきたからだろう。
それはそれでネガティブすぎるのかもとも思うが、自分なりには真理を突いていると思う。

2012-04-25 10:00

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