長生きするようになって日本で癌死が増えた話から考えたこと

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どうして日本は癌大国になってしまったのか? – NATROMの日記

上記のブログを読みました。
私個人としては腑に落ちました。
しかし一般的には、内容が論理的であっても感情的に納得しにくい話なのだろうとも思いました。
長寿という一見明らかにハッピーなことが実はそうでもないのではないかという疑義を提起する少し残酷なことだからです。

ストレスや不安、格差が増えたという事象・現象はすべて変化の速度が増したことに集約される

そこから派生して考えました。
人間の生き物としての生体感覚・生体時間に対して、世の中の多くの事柄の《変化の速度》が上がっているのではないでしょうか。
その最先端を行く日本ではそれが生存する上でのストレスや不安などが増した一因です。

以前(といっても数世代からせいぜい十数世代前)までは共有できていた、共有していた状態が成り立ちにくくなりました。
世代が一つ違うだけで、価値観、生きがい、持ち物・触れる物、教育、見るもの・目に触れる物が大きく違うのが現代です。
いわゆる格差が増えたことも変化の結果の一つと言えるのですが、それが相対的な差の変化と捉えるか絶対的な差として捉えるかということなどは興味深いテーマです。

《変化の速度》ですが、それを人類が意図として、意識して落とすことは、喩えメリットが多いと分かったとしてもできないはずです。
エコやロハス、スローライフといったカウンターカルチャーはありますが、極端なきっかけがなければ少数派から多数派に転換することはないでしょう。
極端なきっかけというのは、例えば、第三次世界大戦と言えるような大戦争、大災害、不老不死が安価に容易に提供されるようになる、タイムマシンが実現する、異星の知的生命体が地球に来る、というような確率を計算するのが難しい出来事をイメージしてください。

《変化の速度》が変わらない理由は、人間が必ず変化の速度と得られた便利さに慣れるからです。この「慣れる」という性質は生理的にも思考的にも感情的にも深い層で人間が保有しているものですから避けて無くしてしまうことはできません。
また、常に(少数の人かもしれませんが)天才的な発明や進歩、技術革新はこれからもなされていくでしょう。それを同じ側にいる同じ種としての人間が止めることは本能的にできないのです。しかもこの変化はミクロ的に見てすべて良いこと、改善なのです。
優秀だからこそ、繁栄したからこそ、人類は行き詰まっていくのかもしれません。

それは一つの「種」としては「上がり」なのでしょう。恐竜や過去に栄えて途絶えた類人猿などの生物種と同じことです。

もし不死が実現したとしましょう。あるいは寿命が2倍に伸びたと仮定します。
並行して画期的なレベルの変化もあるとは思いますが、単純に不死・寿命が伸びたとすると、人類は明らかに食糧や生きる空間が不足する問題、環境悪化問題などに苦しむでしょう。
伸びた寿命がどれだけあっても、それを使う「生きがい」に悩む期間も伸びるだけかもしれないと考えるのは悲観的すぎるのでしょうか。
全人類一人ひとりの寿命が2倍になったら、幸せの総和や個人のハッピーな感覚も2倍になる、というわけではなく、同じ程度のままか減るだろうと予想します。

この寿命を2倍にする、2倍になるという乱暴な仮定が、もしも1.1倍ならOKなのか、1.5倍ならいいのかということは想像するしかありません。
生命というものを医学や生物学などという枠だけで考えると手ごろな反面、本来切り離せない生き方のような哲学的テーマとは離れてしまいます。

2010-05-26 8a.m.

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