自分が癌になった夢をみた

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それなりにリアルな、自分が死ぬかもしれないというようなシチュエーションの夢をみると、そういうときに自分がどう行動するか、何を考えるのかを割りに正しくシミュレートできる。

怖さや冷静さ、行動や言動、思うことと考えることなど。

現実世界での行動が変化するきっかけにもなるかもしれない。

しかも、そうしたシチュエーションが仮に現実なったとして、シミュレーションとの違いを確認するのも興味深そうだ。

そうした準備はネガティブな状況であったもポジティブな原動力になる気がする。

2012-11-29 09:00

陰性感情を持つことを、それだけで悪く思う必要はない

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人間誰しも、特定の人を嫌に思うことはある。

その相手との関係が簡単(容易に解消したり離れたりできる)でなければ、さらに苦しく感じる。
例えば、箕内・血縁であるとか、仕事上の付き合いだとかで。

そうでなくても、他人を嫌うということ、それ自体に何か罪悪感を感じたり、自分の感じ方がおかしいのではないかと不安になることもある。

だが、単にこうした陰性感情が現実今あるという「だけ」で、そんなに気に病まなくてもいい。

もう一つ大事な要素として、その相手に対する陰性・陽性の感情が、どう変化していっているか、次に接触したときにどの程度プラスあるいはマイナスに変化するか(変化しそうか)がある。

感情や人間関係は点ではなく、線やベクトル(矢印)、さらにはその時間的な積み重ねの面でも捉えられる。
そして、波やブレもあるだろう。

ある瞬間にお金をいくら持っているかは確かに重要だが、それが増えていっているのか、あるいは減っていきそうなのかも必ず問題になるようなものだ。

自分に陰性感情(または陽性のそれ)があると自覚したときには、視点を少し引いて考えてみるようにすること。

2012-06-19 07:00

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学ぶことのルールが変わった

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私が思うに、物事を学ぶことのルールが変わってきている。
事実や知識をインプットしたり、受け取ったりしているだけでは、本来得られるものの半分にも満たないし、学習したことにはならない。
アウトプットする以外に、真の学習や成長はない。

いや、確かに大昔から同じ事は言われてきている。
「教わるだけではなく、他人に教えることで知識や技術が本当に自分のものになる」というのはそこここで聞かれてきたことだ。
しかし、破壊や変化の時代では、このことを頭に入れて、もっと自身を追い込んで学ばなくては使いものにならない。

次の変化・混乱・実践の時代でサバイバルするための準備運動 | deathhacks

今まで理解されていた「学習」のしくみは「教わる者が知識や情報、技術などをゲットして成長や利得を得る」というものだった。

しかし、実際は(実は古来からそうであることは変わっていないのだが)学んだ気になっている者は、何も学んでいないし成長していない。
極論としてはそういう認識をした方がいい。
出力して教えた者だけが、学び、成長していく。

例えばメンタルヘルスの学習やトレーニングで言えば、「うつっていうのは◯◯というように解釈して説明すると良いんだよ」とレクチャを受けるとする。
それ自体がいけないとか無駄というわけでは決してない。

しかし、そのあとのアクション、行動、思考が問題であり、成長するか否かの明暗を分ける。

「なるほどー。腑に落ちた! 今日はいいことを勉強して得したな。。」というように感動感激して終わり止まってしまったら、当人の満足感や充実感とはまったく違って「身に付いてはいない」。

どうすれば良いかと言えば、受けた内容や理論を足がかりにして、自分なりに咀嚼消化して、再構成し、「今議論していることは、つまり、、こういうことですかね?」「〇〇という表現もあると思うんですが、聞いてみてどうですか? かえってわかりにくいでしょうか?」と、投げ返して「うん。良いのじゃない」「なるほど。悪くない」というように他人の頭や感情に響かせるのだ。
これを質と量、両方膨大に積み上げていって、初めて「学ぶ」ことになる。

だから、過去に言われて、歴史が示しているように、教え、アウトプットしてきた者が一番理解し、成長し、得をしてきたのだ。
これが「勉強するのには他人に教えるのが一番良い手段」と言われてきた理由だ。
今の時代にはなおさらこれが当てはまる。

変化の時代には、皆不安が強くなるから、なおさら「教わって満足し、安心する人」と「チャレンジしてアウトプットして試行錯誤、失敗を積み上げる者」の差が生まれていく。

近年、勉強会やセミナーが盛んで、その動き自体はとても良いと思う。
しかし、その中での参加者や主催者の中でも、今回説明したような、教える側と教わる側の間の成長格差というものはドンドン進行していく。

私から言わせれば、勉強会などにお金を払って参加しているということは、無駄とまでは言わなくてもとても費用対効果が悪いトレーニングになりかねないという危険がある。
実は、勉強会やセミナーを主催し、チャレンジやアウトプットを1つでも多くしている者は、対価を得た上に成長までしてしまえる、好都合な位置取りなのだ。
しかも、まだまだ多くの人はそれに気づいていなかったり、その位置に向かって踏み込んでいけていない。

学習のしくみというものは、一見誰でも理解しているようでそうではない。
当たり前と思っている部分や細部から変化していかなくては自身は変わらないし、変わっていく世の中で生き残ってもいけない。

2012-05-24 09:00

(関連URL、追記2012-09-07)

払うべきか、稼ぐべきか – Chikirinの日記

次の変化・混乱・実践の時代でサバイバルするための準備運動

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神田昌典氏の「2022―これから10年、活躍できる人の条件」を読んだ。

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
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この本に書いてあるようなことに、そのまま賛成するにも、反論するにも、自分には現状難しいし時間がかかる。
だが、大局的に物事、時代や世界の流れを見つめ直してみるという行為は興味深い。

例えば、私の浅い知識と理解でみてもやはり、「時代」というものは似たような内容を大きな波として繰り返しているように思える。
その視点は二極論だが、「安定・情報統制」と「変化・既存のものが役に立たない実力と実践の世界」の二者だ。
静でなければ動、動でなければ静、という0か1かの考え方だから当たり前なのだが、この2つの性質を主にした時代が繰り返されている。

  • 原始時代、古代 → 生きるか死ぬか、生死が隣り合わせ、弱肉強食
  • 王家、公家の時代 → 根拠のない(それ自体は悪ではない)伝統的支配、階級の固定、集団・種としては繁栄
  • 戦国、戦乱、戦争の時代 → チャンスとリスク両者が豊富な世界、実力や実践が重視される
  • 工業・商業・政治の時代 → 生活・地位・国家間関係などが安定、全体として見れば豊かであるが変化やチャンスに乏しい、保守的・守備的

次には、どんな時代 or 世界が来るだろうか。

  • 2012年 〜 2022年 〜 → ?

それは、来るか来ないか、という話ではなく、いつ来るか、そのときに自分はどう行動しどう生きるかという思考を強制的に迫られる環境だ。
次の大災害についてと同じように。

2012-05-22 07:00

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カラオケによって業界のレベルが上がったことから

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以前に書いたエントリ(カウンセラーに向くのは新しいものを受け入れられる人 | deathhacks)の通り、プロのカウンセラーは停滞していてはいけない。
学び、トレーニングし続けなくてはいけない。

世の中や世界に普遍的なもの、要素は確かにあるが、それ以上に変化の量やそのスピード、表現形の多彩さは増えていっている。
人間の根本的な部分はなかなか変わらなくても社会はどんどん変わっていく。
メンタルヘルスやうつの知識は、そのレベルや正しさはともかくとして、一般的になってきている。

コミュニケーションのうまさだって、個々を見れば確実に上昇している。
生涯に出会う人間の数や種類は増えているし、言葉や文字を上手に使える程度も向上している。
もっとも、このことはコミュニケーション「レベル」の格差が広がっていることにも直結している。

つまり、メンタルヘルスの知識のような面でも、コミュニケーションの実践や知見の面でも、カウンセラーがプロフェッショナルを名乗ろうとするならば、素人一般人を上回らなくてはならず、それには自身も日々向上し変化していかなくてはいけないだろう。

テレビが普及し、何度かのお笑いブームが訪れ、素人の日常会話の中でも「ウケ」や「オチ」が求められる。
「ツッコミ」や「ボケ」という、元々は専門的な用語だったり、技術だったりしたものが一般化した。

カラオケが珍しいものでなくなったことにより、昔であったら、人前で大きな声で本気で一曲を歌い切るというような、一生かかっても出会わないかもしれなかったような経験がしやすくなった。
それにより、才能が埋もれる確率が少なくなり、芸能としてのプロに向かう分母が飛躍的に増えたことで業界全体の質も高まってきたのではないか。

まったく違う業界、分野のようであるが、社会の変化とプロフェッショナルのあり方に関しての考え方は通じるところがある。

2012-05-10 07:00

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うつに対して「治るよ」と反射的に言うための準備と訓練と覚悟と

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うつが治るということについては、何回かエントリを上げてきた。

うつは治ると言う | deathhacks

カウンセラーは「診断」してもいい、「うつが治る」と言っていい | deathhacks

うつは治るが治せない | deathhacks

「うつは疲労である」と言うことの意味 | deathhacks

「うつは疲労である」と言うことの意味〜翔〜 | deathhacks

カウンセリングやサポート、ケアなどで「うつが治る」と言おうと決めたならば、あとはそれを反射的に実行するための準備と訓練が必要だ。
これは「あらかじめ覚悟をしておく」と言い換えてもいい。

普通「覚悟をする」と聞くと、ある瞬間から精神的なものがガラッと変わり、啓示のようなものが降りてくるようなイメージがあるかもしれない。
しかし私は、覚悟というものには一定の期間の準備が必要で、ジワジワと整うものだと考えている。

例えば、先日私は、小走りしていた人が路上で派手に転んで顔面をしたたかに打ち付けてしまい、流血までするような場面を正に目の前にしたことがあった。
自分は特に意識せず、すぐ駆け寄ってそばにしゃがみ、「大丈夫ですか?」と声をかけ、ティッシュペーパーを差し出し、適切に様子見と手当てをした。
私と同行していた人に後から聞くと、「ずいぶんスムーズに行動していたねー」という印象だったようだ。

ここで言いたいのは、別に私がすごいとか優しいとかえらいとか道徳心がどうとかいうことではない。
実は私が、ためらわず、サッと動いて、倒れた人をケアしようとできたのには、正に準備をずっとし続けてきたからなのだ。

過去に数回、似たように怪我や病気などで具合が悪い人にたまたま出くわすことがあり、その度に「次はこうしよう」とか「もしこんな状況が起きたらどうすればいいかな」ということを考え続けてきた結果が、今の私の準備であり、今回やったこと、そして次回にできることにつながっているのだ。

そう考えると、覚悟や実際の行動は単にごく一部分、あるいは結果でしかない。
時間や労力のかかった大部分は日常の中の準備や備えだったとわかる。

同じようなことは、禁煙とかアルコールを減らすとかいうことにも通じる。
もちろん、タバコを止めた瞬間、飲酒量をどういう風に減らせていったかを、ある時点で測定したり確認したりすることはできる。
しかし、そのための準備、行動が変わる(変容する)までの内面的、精神的な変遷にも注目するべきだというのが、近年の医療や心理学上の常識だ。

「うつが治る」と言うか、言えるか、ということについても同様だ。
半分は意識上の理解や知識そして納得であるけれども、残り半分は現場を意識した反射や習慣のようなものであって運動やスポーツと同じく訓練の繰り返しが必要になる。

2012-04-26 08:00

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世界を変えたいが、他人を変えるつもりは無い

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カウンセリングやその周辺の技術には、世界を変える力がある。

それは、決して小さい変化というレベルではない。
レコードがCDに変わったと思ったら、もう次にはデジタルデータ配信が主流になったように。
モールス信号通信が固定電話に変わり、ケータイ電話が個人それぞれに行き渡っていって、生活や仕事の質まで影響を受けている。
手書き書類からワープロ専用機になり、パソコンが普及したと思ったら、もうiPadやiPhoneが同じことを担っている。

スポーツでもそのルールは変わっていなくても、トレーニングや戦略、技術や機材の進化・変化でガラッと様相が変わることが何度も起きている。
これは正にイノベーションというもので、イノベーションが起こらない分野というものはない。

しかし、イノベーションが直接に、人やその生活や考え方を変えることはない。
結局は意識的、無意識的に、その人が変わろうとして、変わろうと思って初めて、変わっていく。
イノベーションと変化しようとする意識(あるいは無意識的)はどちらが欠けていても変化は起こらない。

世界を変えたい、とは書いたがそれは他人を無理矢理に変えようというのではなく、そのための片輪であるイノベーションを作りたい、起こしたいということだ。
後は、必要な、起こるべき変化が起こる。
そういう余地がカウンセリングにはまだまだあるだろう。

2012-04-08 08:00

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自分が今停滞していることに気づかされた

今朝未明にRSSリーダーからあるニュースをみて、驚くとともに、納得したり、感心したり、あらためて自分の生き方を考えてみたりしている。
株式会社 EC studio が社名を変更するという。

「超選択と超集中」 – 株式会社 EC studio はChatWork株式会社へ社名を変更します! – EC studio 社長ブログ

社員満足度全国No.1!次世代ワークスタイルを推進するIT経営実践企業|EC studio

http://www.ecstudio.jp/news/crucial_information.html

思い切ったことをするものだなと感じた。
個人が屋号を変えたりするならともかく、組織がそのブランディングやCIを変えるというのは、過去に事例は多くあっても、いざ自分たちがやるとなると覚悟が要る。

思わず代表取締役山本敏行氏の著書を読み返してしまった。

日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方
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また、それとは別に知人の活動や研鑽の様子を耳にしたり目にしたりして、私自身もまず、とにかく動いたり、失敗してもいいから変わったりしなくてはと感じたりしている。

カウンセリングでは基本的に、クライアントを「変えよう」とはしないところから入っていく。
しかし、これは「永遠に変わらなくても大丈夫」ということを保証してあげるのとは違う。

結局は、自分で、自分が、変わらなくては、99%の確率で、昨日や今日とまったく同じ明日が来るし続いていくだろう。
それはとても怖いことだ。

自分は去年仕事を辞めたことは、本当に良かったと思っている。
しかし、この感覚は実際には、良いか悪いかや、0か1かのような二種類のものではない。
また、今が最終結果であるとか、今後変化しないものでもない。

「仕事を辞めて良かった」というのは、実は「仕事を辞めて失敗したということにならないように今もこれからも行動していかなくてはいけない」ということをとりあえず確認しているにすぎない。

ということで、次の変化に向けて動き始めよう。

2012-04-01 12:00

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相手を変えるためには自分が変わる

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ショッキングなものや著名人のものであるという理由で、自殺がマスコミにより、興味を主体に報じられることがある。
それらが社会や現に自殺に近づいている人に対して悪い影響を与えることは知られている。
自殺をニュースとして扱うときの注意点は以前からWHOがまとめているし、とっくに日本語訳をされ、マスコミ各社へも通知されている。
それでも、遺書現物の公表や、あたかも自殺が避けられなかったかのような内容を強く込めた報道がされる。
マスコミは学習していない。

一方で、そういった報道やマスメディアに対して、先に示したような「WHOの勧告を守れ」というメッセージを出すだけでは状況は変化しない。
もちろん、既に実績のある効果的な内容の勧告や基準を捨てるべきだというのではない。
しかし、同じことを繰り返しても大衆には届かないし、一般大衆を目標にしているマスメディアは気に留めない。
Webやサービスと一緒で、検索されなければどんなに良いもので正当なものであっても存在しないことと同じになる。
素人一般に広く楽に届くようなキャッチーなメッセージをつくるべきなのだろう。
こちら側が何も変わらずに、マスコミや一般大衆に「なぜずっと言っているのに理解しないのだ」と感情的になるだけではそれこそ世界は変わらない。

2011-09-21 12:00