5分カウンセリング

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じっくりと時間をかけて対応するカウンセリングが有効で必要なように、5分で気軽に手軽に終えるカウンセリングも必要だ。

組織で上司や同僚に、「報連相」的にごく短いコミュニケーションや確認をすることはよくあるだろう。
しかし、これは、いつでも、どこでも、誰でも、簡単に適切にできる行動やスキルというわけではない。

相手が忙しそうにしていたら、どんなに短時間や一瞬で済む話であっても、声はかけにくい。
結果として、そのコミュニケーションを避けたり中止したり、相当に準備をしてからまとめて話そう、というようにコストがかさみ、スピードが落ちることに繋がる。

逆に話しかけられる側が、「いつでもウェルカム」という態勢を取ろうとすれば、それはそれで仕事効率が下がってしまう。

カウンセリングに話を戻すと、時間の制約というものをより強く認識していったほうがいい。
なぜ50分や1時間を1単位とするのか、1週間毎や1ヶ月毎のセッションとするメリットとデメリットは何か。
5分で終えられないのか。
早く済んで同じ効果が得られるのならばそれの方が良くはないだろうか。
時間が足りないという感覚はどんな業界や仕事でもよくみられることだが、逆に時間がそもそもないという制約が、良いもの、新しいものが生まれるきっかけにならないか。

常識や先入観をとっぱらうような考え方をたまにしている。

2012-03-15 09:00

うつの「自分カミングアウト」は難しい

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うつであることを自分自身で認めることは難しい。

ゲイやレズビアンなどのセクシャルマイノリティやHIV感染、被差別的な出自などでは一般に、他人や社会に公表するという意味での「カミングアウト」という表現がある。
それがためらわれるのは、様々な不利益や差別が怖いからというのが一つの理由だ。

うつについても同じように、その状態や診断、治療、リハビリなどについて周囲の人間、家族、社会にどう伝えるか、あるいは伝えないかという悩みや問題が出てくる。

しかし、自分自身がその「うつ」についてどう考えるか、どこまでどのように受け入れるかということはあまり語られない。
それは、はっきりとした必要が認められないということと、目に見える形では誰にでもわかるように表現されることがほぼないという理由による。

たいてい、「自分カミングアウト」というものは、診断や社会への伝達よりも後の時期になってからされるものだ。
そして、そのときになって初めて本人・当事者は「ああ、なんだ。自分はうつで苦しい思いをしていたけれども、頭のどこかでは本当には理解して諦めて受け入れてはいなかったのだな」というふりかえりができるようになる。

それまでは、どこかで「何かの間違いではないか」「自分の場合は特別でいわゆる他の『うつ』とは違うのではないか」とかなりの部分、諦めていない。

別に、なるべく早く「自分カミングアウト」をした方がいいとか、それをして初めて順調なリハビリができるのだ、という話ではない。
ただ、事実と実感に近いだろうことを述べている。

考えてみれば、医療から診断を受けるとか、職場の同僚にうつのリハビリをしていくことを知ってもらうなども、1か0かという二者択一の話ではない。
当事者のことを深く真剣に理解して興味や思いやりを持ってくれる人もいれば、表面的な事実だけを記憶するだけで特に言動が変わるわけでもない人も、どちらも社会として周りにはいるだろう。

認知や認識というものがそもそもそういう性質を持っているのだろう。
自己と他己という違い、程度や範囲の違い、時間的な違いなどがあって、決して単純ではない。

別に自分の体験や状態を自ら語ることができれば良いというのでも、隠しているからダメなのだということも、どちらでもない。

2012-01-07 11:00

教育を時間のみで比較しない

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カウンセラーやストレスマネジメント要員を育成するための教育プログラムはどのように作れば良いか。
期間で言えば、数時間の講義で済ませるものから、実習実技をふんだんに取り入れたもの、数ヶ月から1年、あるいは数年がかりのコースなど様々だ。

現在の傾向としては、行政や企業などが人材を育成して成果や実績をはっきりと求めるケースが増えていることだ。
昨今の社会的な自殺対策、健康問題への焦点、そして東日本大震災などから生じている緊張や不安への対応を組織として認識し、あるいは求められていることを受けてのことだろう。

これが、学問としての要求ならば、それほど期間を限定することや育成のスピードは求められはしない。

プロは間違う、学者は正しい | deathhacks

こうした背景の上で、カウンセラーなどの育成プログラムを色々な分野同士、様々な情報や集まりなどで比較しようとするとどうしても時間的な要素にまず注目されがちだ。
「半日でだいたいの知識を身に付けさせてください」とか「1週間まるまる教育対象の人たちを拘束するのは難しいので3日間でなんとかなりませんか」とか「1年も部外の研修コースに行かせて成果があまりなかったらどうしようかな」とかいう悩みを組織の担当者・責任者は抱える。
時間はそのまま金銭・予算、つまり人件費に直結しているシビアな要素だからだ。

しかし、時間という要素はこうした教育プログラムの中で、それのみで議論や吟味できるものではない。
当たり前だが、その内容と相関する。
要は、教育プログラムの時間的長短ではなく、その効率に注目するべきだ。
効率的な教育や人材育成をしている組織の特徴はその時間資源・人件費の豊富さではなく、取捨選択の的確さだ。

人を育てるためには時間が必要だが、時間がいくらあっても人が育つとは限らない。
教育では時間が限られているのだから、出来る限り内容を絞るべきだ。
当たり前のことを言っているようだが、カウンセリングやメンタルヘルスの現場を知らないと、このことを意識できない。
あれもこれもと内容を詰め込んで欲張ろうとする。

これは現場での運用にも当てはまる。
少数の人材に業務や期待を割り振り過ぎてその能力と成果を見誤る。

限られた時間で、どのような対象人物に、どれくらいの人数に、どんな知識と技術を伝え、どういう風に現場で運用するかという一連の戦略が必要だ。
それなくして、時間の長短や、個人ごとの元々持っている性質という細部ばかりを見ていては成果の総量は上がらない。

2011-11-24 09:00

自由と時間と健康とお金の話

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この世で一番貴重なものは「自由な時間」だ。
このうち「自由」と「時間」はX軸とY軸のような関係になっている。

いくら自由度が高くても、それをうまく活用するためには時間が必要になってくる。
時間がいくらたくさんあっても、その使い道を制限されていたり、他人にコントロールされていれば、価値は少なくなる。
自由な時間の価値の合計は自由と時間の掛け算ということになる。

ここで自由について考えてみる。

皆さんは今、自由だろうか。
日本であれば、幸いなことに全人類の中でも自由度がめちゃくちゃ高い環境だと言える。
食べ物は豊富にある。治安が良く、安全だ。清潔で病気も少ない。義務教育も含め高等な教育が普及しているし、図書館や大学、インターネットなどを通じても勉強できる。ネットワークも発達している。

とは言っても、自由には精神的な状態も含まれる。
例えば、イライラしていたり、何かに腹を立てていたりするという状態は「不自由」だ。
そうでなければ楽しみや勉強やリラックスに充てられるはずの時間を、不愉快な疲れを増やす感情に囚われてしまっているからだ。
そう、疲れや悩み、怒りや悲しみというものがあれば、一見誰も何もあなたを縛り付けてはいないようであってもあなたは「不自由」なのだ。
痛みや病気があっても、あなたは自由に制限を受ける。
自由と健康はほとんど同じ意味を持っていると考えて良い。

お金についても考えておきたい。

「自由な時間」が大事だ、と言ってもお金がなければ生きていけないし楽しめないではないかという意見はあるだろう。
確かにそうだ。
ここで、お金がなくても人生は満喫できるという信念も、お金さえあれば何でもうまくいくという考え方も、どちらも極論ということになる。

お金はやはりツールや手段に過ぎない。
ただし、お金はとてもとても応用が効く、汎用性の高い、強力なツールだから、ときに自由や時間よりも大事なものに見えてしまう。
お金で時間や自由を買うことができる。
しかし逆も成立している。
お金を稼ぐために、私たちの多くは時間や自由を対価として支払って交換していることがお金の価値を過大に評価させる原因だ。

これから一生どこかの牢獄に閉じ込められ、命令のままに働かされるとしたら、どれだけお金をもらっても、誰もが拒否するだろう。
1分後にあなたの生命、つまり人生残りの時間がなくなるというのに、お金を欲しがる人はいない。
そういうことだ。

2011-09-24 10:00

決めるか決めないかを「決める」こと、その事前準備

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会議などで大事なのは、議題・アジェンダを明確にしておくことだ。
時間には限りがあるからだ。

雑談や議論にも価値はある。
しかし、意思決定の場でそれらが中心となってしまうと、重要な案件に割くべき時間やエネルギーがもったいない。

バランスは大事だが、事前の準備にかけるべき労力は多くの場合予想以上に大きい。
会議に必要な事前準備内容は2種類ある。

  • 何を決めるかと、その意思決定のために必要な情報
  • 何を決めないかと、そのことを再検討する時期

この準備と区別、そして案件間の優先順位があれば、あとは実行あるのみだ。

2011-09-23 11:00

物語が人の心に響くのはなぜか

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人間は原則として一度に一つのことしか認識できない。
同時に別のことを考えることはできない。
マルチタスクは幻想や錯覚だ。

「いや、私は一度にいくつものプロジェクトを切り盛りしているぞ」とか「ながら勉強は?」とか「車の運転をしながら音楽聞いたり英語の耳学習したりしているのはどうなの?」という声もあるだろう。
それらは集中するタスクを細かく切り替えながら処理しているか、訓練や慣れによっていくつかのタスクをパッケージ化して擬似的にワンタスクにしているかのどちらかだ。

人は一度に一つのことしかこなせないのに複雑な物事や仕事、思想や思考を流れや順番を考えながら処理できる。
それはなぜか。
人間には時間感覚と記憶というものがあるからだ。

時間感覚というのは、便宜上、1本の線のようなものの上を戻ることなしに流れる「時間」という概念があるという感覚だ。
そして、あらゆる事象や思考、体験をその線上に配置して認識することを人間はしている。
そのやり方の中では過去、現在、未来は原則として区別でき、区別される。
事象や体験そのものに時間や時刻が組み込まれているのではない。
人間が自分の認知や能力で「勝手に」頭の中で「時間」や「時刻」というタグをつけているだけだ。

記憶についてはどう考えたらいいだろう。
事象や体験とそれに時間というタグをつけたものが短期あるいは長期に「記憶」され、ある程度自由に意図を持って出し入れがコントロールできることによって、人間同士が直接、または世代や時空を越えてやり取りすることができる。
自分自身とのやり取りもここには含まれる。
メモや録音、録画、芸術、本、言い伝え、なども「記録」という記憶と似た機能を持つツールということになる。

ただし、このような「記憶」と「時間感覚」だけでは、人間はここまで複雑な活動を個人や人類としてしてくることはできなかったはずだ。
そこに絡まるもう一つの要素は「物語(ストーリー)」だ。
事象や体験、記憶に物語を絡ませることによってのみ、人間は一連の知的活動が可能になる。

単純記憶は難しかったり、コツが必要だったり、得手不得手が人によってかなり異なる。
しかし、「エピソード記憶」になると、途端に誰でも驚くような記憶力を示すものだ。
自己紹介ができない人間はいない。
苦手というのはあるかもしれないが、自分の過去や特徴が何も頭に浮かばないとしたらそれは一般には「病的状態」だからだ。

エピソード記憶は「興味」が関係している。
多くの人には経験があると思う。
自分が興味を持てない数学の公式や歴史上の事実、英文などは憶えられなくても、感動した映画や小説、恋人とのデート、びっくりした出来事であれば、強制されずとも、時間が長く経っても鮮明に再生できる。

興味とは、つまり感情だ。
物語には「感情」や「理由」「驚き」「快」「楽しさ」「悲しさ」「恐怖」などが含まれる。
物語(ストーリーまたはエピソード)が人間に対して説明をしたり、説得したり、記憶を残すために有効なのは、そこに「感情」が存在し、「時間感覚」に支えられた「順番・流れ」を認識しているからだ。

2011-09-12 11:00

思うにこれまでのカウンセリングというものは時間をかけすぎている

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「慌てず、焦らず、クライアントの内面や感情、思考を丁寧に確認していく」というと聞こえは良い。
結局、カウンセラーの分析や検討、テクニックやメッセージコントロールが足りなかったり、「カウンセリングというものは時間がかかるものなのだ」という固定観念から、いたずらに時間がかかってしまっている。
これがクライアントの希望であったり都合に合わせた結果であるのなら、まだ合理的、倫理的だが、私の考えではカウンセラーの側の事情や能力がそういう「のんびり」したカウンセリングを生み出していることがかなり起きている。

斬り込むべきときに、適切な言葉やメッセージを出していないから、ぬるい、時間やエネルギーを意味少なく消費してしまう状況になる。
そのように消費してしまう、もっとも惜しい資源は時間だが、現実的には金銭的なものが大きい。
これはカウンセラーが意識することは人によって少なかったり、時に忘れられたりする。
クライアントはカウンセリングに来て、「特別な時間を過ごす」ということ以外にも「変化」を求める。
それに応える絶対確実な方法はない。
しかし、そうするための努力は最大限しなくてはいけない。
しかも、現代的なカウンセリングの社会からの評価やどの分野でも求められる務めとして、その経過や評価を自己あるいはクライアント、さらには第三者から常に受ける必要がある。

これは単に、産業的な意味としてのQC; quality controlや透明性(transparency)という最近ではごく当たり前の考え方だ。
決して「カウンセリングというのは魂同士の崇高な対話であって記録や科学的分析はできない」云々というような逃げを「最初から」してはいけない。

ズバッと入って、適切な処置やアドバイスをして1回、2回の面談でクライアントが満足して、次の人生に向かうことができればそれがいい。
何も半年、1年、あるいは数年来のリピータークライアントを育てるのがカウンセラーの実力を示すことではないだろう。
ただし、「早くクライアントを満足させるほど経営上は不安定になる」という必然を一般のカウンセリング業では抱えることになる。

2011-08-22 11:00

「時間を費やすこと」についての隙間トーク

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さて、この世の中で、もっとも貴重なものは何でしょう?
皆さんは何だと思いますか?

愛? なるほど。
家族?
名誉や地位、仕事?
若さ?
食べること?
お金?

私はですね、時間だと思うんです。
愛があっても、お金があっても、時間がゼロだとしたら、意味がない、というか、あまり楽しめないいんじゃないでしょうか。

皆さんが、もしも、死にたいという人の話を聞いてあげる、あげたとしたならば。
もしも、あなたが自分は何も言えなかった、教えてあげられなかった、うまく話を聞いてあげられなかった気がする、と思ったとしても、それは違う可能性があるんです。
だって、皆さんがただ、話を黙って聞くだけしかできなかったとしても、皆さんはクライアントのために時間を使ったわけです。

時間はとても大事なものですよね。
皆さんも他人に自分の時間を無駄に取られたとしたら、、どうですか?
怒りが湧いてきませんか(笑)
普段思っている以上に、人それぞれ、時間に対して持っている感覚というのは違うのかもしれません。
大事な一方で「時間つぶし」「暇つぶし」というように、ちょっと粗末に扱ってしまうような言葉もある。

時間は、もちろん一番貴重なものかはわからないかもしれませんが、限られた資源なわけです。
それを他人のために使うというのは、例えそれが仕事上のことだったとしても、とても素晴らしいことだと思うんです。
別の言い方をすると、お金を取ってもいい(笑)
そしてそれはクライアントも、意識的あるいは無意識的にわかるんです。

皆さんもどうですか?
ピンチに誰かがわざわざ来てくれた、一緒にいてくれた。
自分の知らないところで心配してくれていた、贈り物を探して買ってくれていてサプライズでプレゼントしてくれた。
これは嬉しいんです。

ただ、もちろんこれは男女関係と一緒で、一方的に押し付けていいものでも、喜ばれるものでもないですから、まず信頼されなくてはいけない、味方になってなくてはいけません。

ここはちゃんとクライアントの気持ちを聞くなりして確認しなくてはいけませんし、バランスを取らなくてはいけません。

2011-07-24 07:00

寝床でiPhoneで睡眠学習 – iPhoneを使うと人生の密度が数倍になる

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時間は誰にでも平等で24時間以上でも以下でもない。
しかし24時間あってもそれを丸々自由に使えるわけではない。
大ざっぱに言って睡眠に8時間、仕事(食いぶちを稼ぐ)に8時間、その他に移動や生活時間(食事や洗濯、買い物など)を充てるのならば、知的生産に向ける時間は1〜2時間、せいぜい数時間程度だ。

iPhoneを使えばあなたがベッドの上にいる時間のうち、本当に眠っている以外の時間が学びの時間になる。
私の場合、床に就いてから「さあっ、眠るか!」となるまでiPhoneでメールを確認したり、アイデアを固めたり、調べものをしたり、iTSやAmazonを利用したりしている。
特に何かテーマや目標を決めて勉強をしているということではない。
ひたすら自分の人生をより充実するための活動を寝入る直前までしている。
場合によっては寝つけないこともあるが、そんな時間もiPhoneがあればまったく苦痛や悩みとはならない。
ひたすらがむしゃらに、純粋に、「生き」ている。

寝起きも基本的には一緒だ。
たいてい早寝をしているから4時くらいには自然に目が覚める。

9時5時生活をネタにしています | deathhacks

調子がいいと1時や2時、土日にさらに早くに寝ると、24時を過ぎて日付が変わる前に睡眠が足りてしまって起きてしまうことすらある。
起きてから、実際に着替えたりして生活を始動し始めるまではiPhoneにまたベッタリだ。
寝る前と同じく、メールや思考、ブログのネタ合わせ、その日のタスク調整などをする。

もうこの寝床での思考やシミュレーションが、生きていく上でのメインで、起きて身体を動かして現実と関わる時間はそれらを実際に形にするだけ、という気もする。
欠点は、モノにもよるが、半覚醒状態での活動だから、「本当に自分の人生に必要だと思えること、好きなこと」しかできないだろうということくらいだ。

寝る前にケータイをいじると眠りにくくなったり睡眠の質が落ちるとの指摘もある。
休むときくらいは仕事や生活のことを頭から消して切り替えなくては昼間の効率は上がらない、と言う人もいる。
しかし、私には関係ない。
質はわからないが、睡眠時間は十分に足りている。
昼間に疲れを感じるということも特にない。

冒頭に出した通り、あなたの知的生産時間が1日に1〜2時間だとしたら、iPhoneで入眠前と覚醒後の時間を活用することでそれが数倍になる。

2011-04-30 08:00

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