無料の罠にかからないように

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「時は金なり」ということわざはあってもいざ日常で実践するのは難しい。

只だからと要らないものを受け取ってしまう。
無料だから食べないともったいないと、行列に並んで時間を消費し疲れをためる。
無料のサービスを使うことにこだわり適切な対価を払わずに、やはり結局時間を多く消費してしまったり。

選択や決心はなかなか難しいが、その時々で悩み、経験や自分なりの感覚を信じて確かめることはできる。

あまりに「無料」を忌避するのは過剰な脱価値かもしれないが。

2012-11-11 09:00

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小さな用事を先送りにしない

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佐々木俊尚氏も著書で書いているが、人間のアテンションは有限な資源だ。
ちょっとした、気になることを残しておくよりも、ドンドン片付けてしまおう。

今朝は1件の振込をコンビニで行きがけに済ませた。

小さいことと馬鹿にするなかれ。
細かな仕事をまとめてやってしまっておけば、まとまった時間が取れるかもしれない。
あくまで可能性だが。
邪魔になる割り込み仕事が少なくなる。

同じように何か迷ったら、すぐにやってしまうことだ。
迷っている時間がもったいないし、それが楽しいとかいう趣味の話でなければ、とにかくやってしまってから、検証でも後悔でも反省でもして次に活かそうとすれば良い。

2012-10-16 08:00

(関連URL)

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暇な時間は無駄ではない – 緊急ではないが重要なタスクをこなすために

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暇な時間があるというのは大事。
「重要だけれども緊急ではない」タスクがこなせる(可能性が暇の量に比例して高くなる)から。

人生や仕事上のタスクを分類するのに、「重要か、重要ではないか」と「緊急か、緊急ではないか」という軸を利用することは多いし、実際妥当だと思う。
現実の場面でも無意識に、この思考や検討を無数に繰り返しているからだろう。

そして、これも多くの人が実感するように「本当は『緊急ではないが、重要である』タスクをこなしたい」のに「『緊急かつ重要である』あるいは『緊急だが、重要ではない』タスクに追われている」。

「重要だけれども緊急ではない」タスクを実行するためには、もちろんまず時間という資源が必要だが、むしろ大事なのはそれを実行するための心の余裕だろう。
これを、「鉄の意思で実行するのだ」と、自ら決心しても、他人に促されても、やはりそれは純粋な精神論に陥ってしまう。

もちろん、常に忙しくしていることが、仕事を早く進めたり、能力を鍛えたりする原動力だとか、成長につながるのだという意見もある。

しかし、もしも余暇や余裕があることによっても、「緊急ではないが重要である」タスクをしないという結果になってしまうというのだったらば、その理由は「そのタスクが本当は重要ではない」か「自分自身の中で重要性やニーズの強化が適当ではない」という可能性が高いのではないか。

こちらの考え方の方が、単なる精神論や「頑張りたいと思っているのに夢を実現できない自分に対して嫌気がさす」というようなものよりもしっくりくると思っている。

2012-08-06 08:00

声にアジャストするのに時間がかかる人がいる

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まとめて色々な講演・講義を聞いていると、それらの比較の上で発見がある。

内容はさておき、発声の聞きやすさについては、差があるように思えて実はそれほどない。
始まりの時には「どうも滑舌がはっきりしないようだ」とか「ちょっと早口だなぁ」とか感じるときもあるのだが、話が進むにつれ、中盤から後半に至るにつれ、気にならなくなることがほとんどだ。

これは、もちろん聞き手の興味やモチベーション、それでなくても体調や環境(椅子や温度や機材関連など)に依るところが多いのかもしれない。
しかし、おそらく無意識のうちに聞き手側が自分の「耳」を調整して、なんとか聞き取ってしまうというのが実際のところなのだろう。

逆にこれを、話し手になったときとして考えると、時間はかかるが、たいてい聴衆は相当な余裕を持って合わせてくれるのだが、それに甘んじることなく、最小限の労力、最短時間で内容に集中できるようにするべきではあるのだろう。

2012-08-03 07:00

時間とお金の等価性の話

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時間をお金で買うことができる

「時間をお金で買う」とは、長距離移動する時に、車なら高速道路を使うとか、電車ならば急行や特急、新幹線に乗るようなものだ。
徒歩と電車・バスを組み合わせるのではなく、タクシーを使ってしまうというのも、時と場合によってはコスト的に十分ペイするだろう。
ルーチンワークなどを社内外の他人に外注して、自分自身はより高付加価値のある仕事をするというのも同じことだ。

現代社会のネットワークや技術、密度などを活用すると、増々容易に時間というものをお金で買うことができるようになっている。

お金を時間で買うこともできる

では、逆に「お金を時間で買う」ということを考えてみる。

これは一般的な雇用における時間拘束や、もっと直接的には時間給を払うことで労働力を買い上げるしくみということになる。

実際は時間だけではなく、その時間内に肉体や頭脳を使って仕事力を提供することによって、汎用的な価値のある金銭を得る。
金銭が時間に比べて優位なことは、それを様々な物やサービスと交換しやすいという点だ。
それに他人の時間を直接にいただくわけにはいかないが、お金ならばそれが可能になる。

「タイム」という映画ではそのものズバリ、金銭が経済の血液ではなく、時間がその代わりになっているという世界を描いている。

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時間とお金の違い

時間とお金の違いは何だろう。

どうやら、現代社会ではうまいことに、互いに様々なレートで行ったり来たりをさせることができる。

ただし、お金の方が、無限性が大きい。
科学的にどうかはわからないが、ある程度コントロールされつつも、世の中の貨幣経済の総量は増えている。
理論的には無限だろう。

実際は無限でなくてもお金と比較すれば、その差は歴然だ。
時間は誰でも最大で一日24時間しかないものだから。
逆に何かしらの理由で時間を早く進めたくても不可能だ。

それに人間は生き物としての制約があるから、24時間が平等に与えられていても、その中で睡眠や食事、社会的な義務などでその利用には一定の制限が加えられている。

まとめ

時間とお金は異なる概念だ。
ただし異論はあるかもしれないが、どちらも人間が生み出したものだ。
概念は変えられるし、意思や思考によって利用や運用ができる。

これらを交換可能だというのは、別に不思議でもなんでもない。
元々どちらも人工的なものだからだ。

2012-07-21 09:00

(関連エントリ)

自由と時間と健康とお金の話 | deathhacks

陰性感情を持つことを、それだけで悪く思う必要はない

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人間誰しも、特定の人を嫌に思うことはある。

その相手との関係が簡単(容易に解消したり離れたりできる)でなければ、さらに苦しく感じる。
例えば、箕内・血縁であるとか、仕事上の付き合いだとかで。

そうでなくても、他人を嫌うということ、それ自体に何か罪悪感を感じたり、自分の感じ方がおかしいのではないかと不安になることもある。

だが、単にこうした陰性感情が現実今あるという「だけ」で、そんなに気に病まなくてもいい。

もう一つ大事な要素として、その相手に対する陰性・陽性の感情が、どう変化していっているか、次に接触したときにどの程度プラスあるいはマイナスに変化するか(変化しそうか)がある。

感情や人間関係は点ではなく、線やベクトル(矢印)、さらにはその時間的な積み重ねの面でも捉えられる。
そして、波やブレもあるだろう。

ある瞬間にお金をいくら持っているかは確かに重要だが、それが増えていっているのか、あるいは減っていきそうなのかも必ず問題になるようなものだ。

自分に陰性感情(または陽性のそれ)があると自覚したときには、視点を少し引いて考えてみるようにすること。

2012-06-19 07:00

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直接会わないカウンセリング

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「直接に会って話をしないのはカウンセリングではない」というのは、「一緒に住んでいなければ家族や夫婦ではない」と言っているようなもの。

多数がそうだからといって、その事実が、イコール少数を否定することにはつながらない。

時間的な変遷もあるだろう。
最初から最後まで一度も対面しなかった関係がカウンセリングであるかまでを言い張るつもりはないが、所詮カウンセリングの効果はクライアントとカウンセラーの直接のやり取りからだけ生まれるものでもない。

学習の合間にこそ成長する | deathhacks

今どきであればもちろん、手紙や電報だけでなく、電話やメール、Skypeなどもあるわけだから、なおさら「直接に対話する」ということへのこだわりや分析は考え直す必要がある。

単純に、何にでもメリットとデメリット、得手・不得手というものがあるということだ。

(対話を中心とした)カウンセリングだけが孤高のサポートやケアという考えは旧い。
クライアントが元気になりらくになるための手段としては、カウンセリングでもいいが、読書や温泉、おしゃべりやマッサージ、何でも構わないはずだ。

別にカウンセリングという仕組みの研究や定義に侵食する気はない。
あるクライアントを支援していくのに、枠を持っておくのは安全のために大事だが、無理にカウンセリングという言葉や定義を使って、自分たちを縛る必要はない。

(※NOTE74 2012-03-24 THU 1611 より)

2012-06-15 08:00

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5分カウンセリング

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じっくりと時間をかけて対応するカウンセリングが有効で必要なように、5分で気軽に手軽に終えるカウンセリングも必要だ。

組織で上司や同僚に、「報連相」的にごく短いコミュニケーションや確認をすることはよくあるだろう。
しかし、これは、いつでも、どこでも、誰でも、簡単に適切にできる行動やスキルというわけではない。

相手が忙しそうにしていたら、どんなに短時間や一瞬で済む話であっても、声はかけにくい。
結果として、そのコミュニケーションを避けたり中止したり、相当に準備をしてからまとめて話そう、というようにコストがかさみ、スピードが落ちることに繋がる。

逆に話しかけられる側が、「いつでもウェルカム」という態勢を取ろうとすれば、それはそれで仕事効率が下がってしまう。

カウンセリングに話を戻すと、時間の制約というものをより強く認識していったほうがいい。
なぜ50分や1時間を1単位とするのか、1週間毎や1ヶ月毎のセッションとするメリットとデメリットは何か。
5分で終えられないのか。
早く済んで同じ効果が得られるのならばそれの方が良くはないだろうか。
時間が足りないという感覚はどんな業界や仕事でもよくみられることだが、逆に時間がそもそもないという制約が、良いもの、新しいものが生まれるきっかけにならないか。

常識や先入観をとっぱらうような考え方をたまにしている。

2012-03-15 09:00

うつの「自分カミングアウト」は難しい

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うつであることを自分自身で認めることは難しい。

ゲイやレズビアンなどのセクシャルマイノリティやHIV感染、被差別的な出自などでは一般に、他人や社会に公表するという意味での「カミングアウト」という表現がある。
それがためらわれるのは、様々な不利益や差別が怖いからというのが一つの理由だ。

うつについても同じように、その状態や診断、治療、リハビリなどについて周囲の人間、家族、社会にどう伝えるか、あるいは伝えないかという悩みや問題が出てくる。

しかし、自分自身がその「うつ」についてどう考えるか、どこまでどのように受け入れるかということはあまり語られない。
それは、はっきりとした必要が認められないということと、目に見える形では誰にでもわかるように表現されることがほぼないという理由による。

たいてい、「自分カミングアウト」というものは、診断や社会への伝達よりも後の時期になってからされるものだ。
そして、そのときになって初めて本人・当事者は「ああ、なんだ。自分はうつで苦しい思いをしていたけれども、頭のどこかでは本当には理解して諦めて受け入れてはいなかったのだな」というふりかえりができるようになる。

それまでは、どこかで「何かの間違いではないか」「自分の場合は特別でいわゆる他の『うつ』とは違うのではないか」とかなりの部分、諦めていない。

別に、なるべく早く「自分カミングアウト」をした方がいいとか、それをして初めて順調なリハビリができるのだ、という話ではない。
ただ、事実と実感に近いだろうことを述べている。

考えてみれば、医療から診断を受けるとか、職場の同僚にうつのリハビリをしていくことを知ってもらうなども、1か0かという二者択一の話ではない。
当事者のことを深く真剣に理解して興味や思いやりを持ってくれる人もいれば、表面的な事実だけを記憶するだけで特に言動が変わるわけでもない人も、どちらも社会として周りにはいるだろう。

認知や認識というものがそもそもそういう性質を持っているのだろう。
自己と他己という違い、程度や範囲の違い、時間的な違いなどがあって、決して単純ではない。

別に自分の体験や状態を自ら語ることができれば良いというのでも、隠しているからダメなのだということも、どちらでもない。

2012-01-07 11:00