「直接に会って話をしないのはカウンセリングではない」というのは、「一緒に住んでいなければ家族や夫婦ではない」と言っているようなもの。
多数がそうだからといって、その事実が、イコール少数を否定することにはつながらない。
時間的な変遷もあるだろう。
最初から最後まで一度も対面しなかった関係がカウンセリングであるかまでを言い張るつもりはないが、所詮カウンセリングの効果はクライアントとカウンセラーの直接のやり取りからだけ生まれるものでもない。
今どきであればもちろん、手紙や電報だけでなく、電話やメール、Skypeなどもあるわけだから、なおさら「直接に対話する」ということへのこだわりや分析は考え直す必要がある。
単純に、何にでもメリットとデメリット、得手・不得手というものがあるということだ。
(対話を中心とした)カウンセリングだけが孤高のサポートやケアという考えは旧い。
クライアントが元気になりらくになるための手段としては、カウンセリングでもいいが、読書や温泉、おしゃべりやマッサージ、何でも構わないはずだ。
別にカウンセリングという仕組みの研究や定義に侵食する気はない。
あるクライアントを支援していくのに、枠を持っておくのは安全のために大事だが、無理にカウンセリングという言葉や定義を使って、自分たちを縛る必要はない。
(※NOTE74 2012-03-24 THU 1611 より)
2012-06-15 08:00
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