年収1億円を目標に働いてみる

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年収1億円と言ってもあまりまともな見積もりはしていない。

価値あるプロフェッショナルのコンサルトやカウンセリングセッションには1時間で5万円くらいは払うべきだろうという私自身の感覚から計算してみる。

カウンセリング1時間の相場は3万円 | deathhacks

時給が5万円だとしたら、1日8時間を一応の基準にすると日当40万円。
年間稼働日をこれも仮に250日と考えると40万円×250日間でちょうど1億円になる。

実際は、プラスとしてのボーナス支給を入れるともっと増えるし、税金を計算していないからそのまま1億円手に入るわけではないが。
それに1時間5万円を稼ぐためには準備や経費がかかるから1.5倍から3倍くらいの間でコスト計算しなくては。
この辺りはビジネス経営の経験や感覚がないのでかなり適当。

そもそも最初にふと思い浮かべた時給5万円というのは、上に紹介したエントリで書いたように、私が知っている範囲での本当のプロフェッショナルである、メンターらの価値を見積もってはじき出している。
彼ら彼女らは単純に考えて数千万円から1億円くらいの年俸を受ける価値があるんじゃないか。
売り方、売り込み方の問題は難しいけれども。

ということで今回は、私自身がそういったメンターらの能力に近づきたいというのと、その価値を市場で正当に評価されて欲しいという両方の欲求から考えてみた。

2012-02-24 06:00

カウンセラー自身の価値観によるブロックを克服する方法

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カウンセリングの最中に現れるカウンセラー自身の価値観は、時にクライアントの先入観や思い込み、しがみつきやイラショナル・ビリーフよりも対応がやっかいだ。
経験や論理、テクニックとして、このリアクションをした方がいい、さっきあの質問をすれば良かった、と分かっているのに躊躇してしまう。
結果として、話の流れ全体のリズムが崩れてしまう。

カウンセリングはカウンセラー自身との対決である | deathhacks

クライアントに「変わらなくていいよ」と言うことはチャレンジである | deathhacks

確かにその人が持つ価値観や人生観を変えるのは難しい。
それが簡単にできるくらいなら、そのやり方を、悩んでいるクライアントに使えってしまえば、よりシンプルに悩みは解決できてしまう。

かと言って、カウンセラーが自分のコンプレックスやカウンセリングの場面で邪魔となる価値観をコントロールするのに、「時間がかかる」とか「ロールプレイを回数こなすしかない」と断ずるのは早い。
カウンセリングの歴史は浅いし、世の中や社会、人類は変化している。
ノウハウの蓄積や技術、ツールの進化や普及も著しいし多種の分野にまたがっている。

今回の「カウンセラー自身の価値観がカウンセリングにおいてマイナスになっている」ことを克服するにはアイデアが2つある。

一つには泥臭く同じ場面を繰り返しトレーニングしてみることだ。
セクシャルな話や異性関係を扱うのが苦手ならば、まずはその触り・イントロだけでもケースやパートナーを変えて何十回もロールプレイしてみる。
お金を巡るトラブルを冷静に聞けないというならば、同じような相談場面に何度も模擬で触れてみる。
自由なテーマやトピック的なクライアントを用意するのでは中々ピンポイントでそれぞれが試してチャレンジしたいロールプレイにはならない。
このときには、腹を括って、ある程度の時間は無駄になるかもしれないと割り切ることが大事だ。

もう一つは、苦手なテーマ毎に相談聞きのツールやパターンを用意してしまうことだ。
借金であれば、いつから、どこから、いくら借りているか、周囲の誰がどこまで知っているか、収入はどの程度あるか、次にどうしようという当てはあるか、などを「必ず」訊くと決めてしまう。
セクハラであれば、以前に書いたエントリが参考になる。

セクシャルハラスメント相談をうまく進めるための3段階 | deathhacks

カウンセリングに「型」「形式」を導入してしまうと取り調べや調査のようになってしまうのではないかという心配はあるだろう。
そこはクライアントにプレッシャーやマイナスの印象を与え過ぎないようなメッセージのコントロールをも常に意識することで対処する。
特定のクライアントやテーマに対してドギマギしてしまったり、妙に遠慮して踏み込んだ話がどうしてもできない、という状態よりは、多少のリスクはあっても、クライアントのメリットが増える可能性を取るということだ。

カウンセリングにおいては常識を味方にしつつも、常識を疑うことが必要だ。
修行が必要だとか、時間がかかるとか、リスク・マイナスが大きいという先人の話を鵜呑みにすることはない。
まずは、時間や労力を適切なに支払って自ら試してみるのがベテランでない者の立場だと思う。

2011-12-01

Posted from DPad on my iPad

私は「寄り添う」が嫌いだ

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カウンセリングで使われる「寄り添う」という言葉は、意味があいまいな気がしてしまうし、動詞としての主体がどうしてもカウンセラーやケアギバーの側になっている感じがするので私は嫌いだ。
あまり使いたくない。
自分が、その言葉を嫌いで、使いたくないというだけであれば問題ないのだが、逆に使う人、使いたがる人がとても多いから気になる。

寄り添うという言葉は、そこから親切心や思いやりは感じられるけれど、実際にどんな行動をするのかという内容に乏しい。
どんな表情をするのか、どんなリアクションをするのか、どんなタイミングでどんな言葉を話し、それにたいするクライアントの反応をどうとらえるかという情報や示唆がない。
そこから議論や検証、振り返りと反省を始めることがとても難しい。
だから、私は、スーパービジョンや教育・研修などで「もっと寄り添いたかったです」とか「寄り添っている感じは良かったですね」とかという発言を聞くと、「じゃあ『寄り添う』ということを具体的にクライアントに伝えるためには何をしたらいいと思うの?」とか「どんな表情や態度が『寄り添っ』ているというメッセージにつながったのか考えてみましょうか」と言うようにしている。

一方で私は、「味方になる」という表現はよく使う。
これもかなりあいまいな表現だ。
しかし、「味方」という部分に肝心があると思う。
味方というのは評価であって、その評価はクライアントが下すものだ。
クライアント以外の人が押し付けられるものではない。
カウンセラーがクライアントの「味方」になろうとしていることと、クライアントがカウンセラーのことを「味方」だと思えるということは、段階も主体も状態としても全く違うものだ。
「味方になる」という表現からは、少なくとも現時点でそういうことが割に誰でも理解することができるのが良いところだ。

「寄り添う」という言葉の方に戻ると、この言葉を使うときには、クライアントの反応や内心は置き去りにされがちなような気がするという特徴がある。
評価もしづらい。
ロールプレイにしても実践の場にしても「カウンセラーがあなたに寄り添ってくれているように感じられましたか?」という問いよりも、「味方になってくれている(信頼できる)と思えますか?」という議論の方がし易そうだ。

結局、日本語、言葉としての背景や人生の蓄積が違えば、しょせんある一つの言葉やフレーズに対する印象や感じ方は様々だ。
このエントリの「寄り添う」と「味方になる」というフレーズに対する私の立ち位置がそうだ。
自分で考えてみても、ちょっと異常にこだわりすぎているような、まるで親の仇のように「寄り添う」という言葉を忌み嫌い、その使われるシチュエーションに過敏になっている。

2011-08-20 11:00

好かれればカウンセリングはうまくいく

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カウンセリングとは良い人間関係のことである

言ってしまうと、良い人間関係さえあれば、それがカウンセリングであるかないかは大した問題ではない。
何を話すとか、何時間かけるかとかは実はささいな違いに過ぎない。

では良い人間関係とはどういうことか。
クライアントの側から見れば、「良い」というのはカウンセラー(相手)を好きである、信頼・信用しているということになる。
好きであると言うと、恋愛を思い浮かべるかもしれないが、ここでの「好き」はいわゆる異性間の愛情というよりも性別が特別には関係しない好意と捉えている。

つまり、カウンセラーがクライアントに好かれていればそのカウンセリングはうまくいく(確率が高くなる)。
十分に好かれていなければ、いくら「良い」アドバイスをしても効果は少ないし、認知だ論理だをこねくり回しても時間やエネルギーの無駄が多い。
テクニックを論じてもピンぼけになる。

好かれるためには同じであると同時に違わなくてはいけない

では、好かれるためにはどうすればいいか。
そのために必要なのは、クライアントと価値観を共有して、同じ様に考え、感じると“同時に”、違う価値観も併せ持ち、示すことだ。

例えば、話は違うように思うかもしれないが、良くある雑誌アンケートや会話風に、「あなたは彼(彼女)のどこに惹かれたのですか?」と、その人のパートナーや恋愛対象に対する思いを聞いてみるとしよう。
「優しいから」、「経済力があって頼れる」や「関係が先にあったから」というものもあるだろう。

しかし、「価値観が似ていたから」という答えはとても多いのではないだろうか。
同じ物が好き、同じ趣味を持っている、同じことをして笑える、などなど。
一方で、「自分とは全然価値観が違っていたので(好きになった)」、「一緒にいると意外な発見があって飽きない」という意見も少なくないのではないか。

この二つの考え方は一見矛盾している。
はてさて、人間は自分と同じものが好きなのか、違うものを好むのか。

これは両者とも同時に持っていて当然の感覚なのだろう。
ストレス(変化・刺激)と同じで、まったくなければ退屈だが、常にそれがあっても疲れるし嫌になる。
あとは「同一」と「違い」のバランスとタイミング、順番の組み合わせや運命なのだろうと思う。

もう一度、恋愛を例えにして話せば、「考え方が理解できなくて、こんな人を好きになると思わず、最初は嫌いだったのにそのうちに好きになった」というマンガもあるし、「同じ趣味だし、好みも近かったから付き合ったけれども、だんだん行動や発言の小さなズレが気になってきていつしか嫌いになっていた」という物語もあるわけだ。

クライアントがピンチであるほど同じ価値観がカウンセリングのベース

我々はカウンセリングの基礎的な関係づくりを「まず味方になる」と教えている。
これはクライアントが抱えているものが大きなトラブル、重大なピンチであることを想定している。
もちろん、軽い悩みや、専門的なアドバイスがとにかく必要という状況もあるし、一緒に考えを整理するだけで落ち着く場合もある。
しかし、様々なリスクを考えると、まずは「価値観を共有して好かれる」ことを目指すことが適切と考える。
その上で、バランス・タイミング・順序などを確かめ、探りながら、違う価値観(カウンセラーの価値観)も出していく。
違う価値観を示すことは必須ではないが、必要なかったり、デメリットしかないということではない。
むしろ、それを出さなくては「良い人間関係」はできにくい。
しかし、カウンセラーの価値観を押し出すことが目的ではないし、自分と相手が基本的に対等な恋愛関係とは違い、原則としてカウンセラーはクライアントに嫌われてはいけない。
それが「良い人間関係」そのものを核としたカウンセリングだ。

2011-08-16 08:00

人付き合いはうまい方が良い、は非合理的な信念(イラショナル・ビリーフ irrational belief)

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別にコミュニケーション能力が高い方がいいとか、友達が多い方が幸せだとか、愛されることがこの世の最大の価値だとか、そういうことはない。

「健康であるべき」と同じくらいに irrational な考え方だ。

世の中の価値はそんな簡単に決まるものではないし、他人が決めるものでもない。
人生やその意味を決められるのは自分だけ。

「人付き合いが上手な方がいいよね」というのは、思い込みだし、それを言っている人自身が自分のコミュニケーション能力や人間関係について卑下したり、長けていると驕ったり、自分は人並みだと安心したりしている気持ちの表れだ。
別に、その人がどう考えたり、信じたりしても、それで自分の内面以外が変化するものでもない。

友達が多い方がいい、という考え方は友達がいない(あるいは少ない)人間を傷つけ追い込む。

コミュニケーションの価値を本質以上に扱い、信奉する人は、自分の家族が引きこもりになったらどうするのか。
無理にその家族のこころに踏み込もうとするのか。
家族の価値や人格を否定して、「自分自身の価値観」を守ろうとするだろうか。

友達がリアルでなく、オンライン上のみにしかいないとか、ネットワークの上だけの付き合いとかでも、今はフツーになっている。

2011-05-11 06:00

コミュニケーションは情報交換 – コミュニケーションとカウンセリング その2

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前回のエントリ(会話は聞き手の反応が8割 – コミュニケーションとカウンセリング その1 | deathhacks)で、コミュニケーションでやり取りされているものに「情報」があると書きました。

これらを駆使して、聞き手は「話を聞いている」こと、「話が面白い、興味深い」こと、「役に立つ情報を聞いて感謝している」ことなどを話し手に伝えることを目指す。

IT (information technology; 情報技術)をICT (information communication technology; 情報コミュニケーション技術)と言い換えることがあります。
これは「情報」と「コミュニケーション」の関係が深いことを表しています。

コミュニケーションの目的はお互いの情報を交換することです。
食べ物がどこにあるとか、今どんな事件が起きているか、どこで売っている物が安いとか、自分が今していることや関心を持っていることは何かなど、情報には色々なものがあるでしょう。
これらの情報を交換したくなるようなしくみが人間には備わっています。
それは気持ちや感情です。
情報の出し手(話し手)にしてみれば、情報を出すこと(話すこと)によって、聞き手から感謝されたり(情報に価値があったということ)、聞き手が驚いたり(新しい情報を出して好奇心を刺激したということ)、質問をされたり(情報が興味深いことを示す、あるいは付加価値のきっかけ)ということはそれだけでも、話す理由になるのです。

これを聞き手から見るとどうなるでしょうか。
情報を得るためには、代わりに何かを話し手に渡すのが良いでしょう。
その一つが反応・リアクションです。
リアクションと言っても基本的なものは難しくなく、普段私たちが日常の会話やコミュニケーションの中でしているものです。
相手の話に興味を持つ、驚く、質問をする、いい情報に対してはありがとうと言う、などがそうです。
聞き手側がコミュニケーションを上手にする工夫をするとすれば、これらの反応をタイミングよく、話し手に伝わるように表現することが大事になります。

そもそも情報は一人で持っている場合と多数で共有するのとではその量や価値に大きな差が生じるものです。
ただの数字やデータは情報ではありません。
そこになんらかの意味や価値判断が加わって初めて「情報」になります。
意味や価値というものは現代社会では一人でつくることには限界があります。
より多くの人に好まれ、欲しがられ、ほめられてこそ価値が高まるという傾向があります。
原則として、情報は出して他人と交換しなければ価値が出現せず、また交換されることで新たな内容に書き換えられ、更新されてより価値を増やしたりということが繰り返され、最終的には人類全体の共有知になるという過程を踏むこともあります。

現代社会の経済活動の中では情報に値段がつけられてやり取りされています。
しかし日常の会話、コミュニケーションで話し手が聞き手からお金を取ることはしないでしょう。
では、人はなぜ経済的に得するわけでもないのに、情報交換をする、コミュニケーションをしたくなってしまうのか。
そこには気持ちや感情の上での反応や損得(当人は通常意識していないけれども)があるのです。

2011-04-12 07:00

「そのまま」表現しないと売れないJ-POP

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最近のJ-POPなどの歌詞に、「愛してる」とか「会いたい」とか「感謝しています」いうような直接的な表現が多くなったのは国語力が落ちているとか、ゆとり教育の負の成果とか言われる。

このことの善悪はさておき、娯楽や商業としての音楽に前述のような傾向がみられる背景には社会とその文化が多様になったからだと思う。
コミュニケーションのためのツールとしてみると、今の世の中には日本語だけでなく多くの言語やカタカナ、新語、記号があふれている。
その増加や変化の速度が速まったため、世代が一つ異なると途端に言葉の齟齬が生じる。
言葉が通じないことは、話が通じないというだけでなく価値感の共有も難しくしている。
(最も、価値感の違いには、社会や経済状況も影響しているが)

そこで本質的な知能や知識の変化あるいは教育の結果のためばかりでなく、必要に応じた変化として、例えば流行歌の歌詞のシンプルかつ単刀直入化が起きているのだろう。
商業的に言って、需要に応じて供給される商品が対応しているだけということだ。

長期的に見て、この変化の流れは止められないし、おそらく変わらない。
ただ少なくとも、新しい世代は単に与えられていないから言葉を知らないとかいう訳ではなく、必要がないという取捨選択をした上で、そのツールを使い最大限のコミュニケーションをしている。
それを旧い世代が理解できなかったり、断絶を感じて悲しんだりしてもし方のない理なのだと思う。

2011-03-26 10:00

クライアントに「変わらなくていいよ」と言うことはチャレンジである

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ある程度以上にこんがらかったテーマや、疲労し決定できないでいるクライアントの悩みに対して、「変わりなさい」というメッセージを向けても、簡単には受け入れられません。
「変わりなさい」とは、「こうすればいいのに」「こう考えればいいじゃん」「考えるな」ということであり、現状の否定、今現在のクライアントの否定になります。
「変わりなさい」は、内容や論理がいくら真っ当でも、クライアントからみれば「攻撃」メッセージを含みます。

我々はまず、まったく逆の「変わらなくていいよ」というメッセージを出します。
さらには、クライアントの悩みが「おおごとである」ことを理解していることなどを併せて伝えます。
これは、メッセージコントロールカウンセリングの初期段階です。
この段階から入り、クライアントの味方にならなくては(クライアントがカウンセラーを味方だと実感しなくては)何も始まらないという考え方です。

ただし「変わらなくてもいいよ」メッセージを、どんな時にも、どんなクライアントに対しても、どんな悩みにおいても、カウンセラーが出せるかというとそうではありません。
それはカウンセラーにも人生や個性を背景とした「価値観」というものがあるからです。
性別や宗教、コミュニティ、倫理、教育、食物、趣味、人間関係、歴史、学問などあらゆるものに対して、人間はその人なりの見方をします。
それが価値観です。
人を殺したり、傷つけたり、盗んだりすることは、多くの価値観では悪とされると思いますが、そういったことですら最初の最初からは否定しないことを求められる場合もあります。

「メッセージコントロール(カウンセリング)の、まず最初の『変わらなくていいよ』は自分の価値観に対するチャレンジである」とも言われます。
ある一人のカウンセラーの価値観に合わないようなテーマや考え方は、世の中に無数にあるでしょう。
クライアントがそれを出してきたときに、まずクライアントのそれを変えようとするか、それともカウンセラーの方が変わらないまでも受け入れることから始めるかというのが最初の勝負・試練、言いかえればチャレンジ challenge になることが多くあります。

プロフェッショナルとしてカウンセリングをするのであれば、自分を知り、様々な価値観に対する感じ方や扱い方を知り、対応するという覚悟のようなものが必要になります。

2011-02-11 07:00

(関連リンク)

カウンセリングはカウンセラー自身との対決である | deathhacks

面接料 カウンセリングで支払うお金について

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カウンセリングの対価や時間コスト、そしてそれらとクライアントとの関係性について議論しました。

カウンセリングの金銭コストが(クライアントの価値観において)高くなればなるほど、クライアントは目に見える成果、効果、変化を求めがちです。
ただ会話、対話をするだけでなく、いわゆる「~療法」のような、なんとなく「やった感」が得られるものに魅力を感じます。
(精神分析や認知行動療法、EMDRなど、一定の評価がされているものは世の中にはあります)

クライアントは自らを語る、考えることによって、様々な気づきや発想が生まれる可能性を手にします。
ただ、もしもカウンセラーが1時間などの間に一言数語しかしゃべらなかったとしたら、クライアントによっては「お金をはらったのにカウンセラーは仕事という仕事はしていないじゃないか」思うことはありえます。
逆にカウンセラーが時間中に語りまくり、説明・解釈しまくり、アドバイスをバンバンして終わったならば、それもバランスとしては評価が難しそうです。
(絶対にダメなカウンセリングだ、とも言い切れないのが難しさと面白さ…)

遅刻してきたクライアントに対して時間や料金をどうにかアレンジするか否か、あらかじめ見積もった時間や期間にカウンセリングが終了・終結しない(できない)ときにどう扱うか、などの問題はカウンセラーであると同時に経営者やマネジャーである人にとっては悩ましいのではないでしょうか。

少し角度を変えた話をすると、時間・回数を基準に料金を決めたカウンセリングをする場合(組織が委託する場合以外はほとんどそうでしょう)、あるクライアントを1回2回短時間で「良く」するよりも、長く継続して利用してもらった方が、経営としては安定するのです。
カウンセラーとして実力があるほうが却って、金銭経済的に損をするという、ややいびつな状況になります。
(病や医療と同じく、どんなにカウンセラーが増えたり、カウンセリングが研究され普及・啓蒙されてもこの世から「悩み」はなくならないので、実は心配としてはナンセンスなのですが)

今回の議論に関係しそうな引用・紹介をしておきます。
國分康孝氏は「カウンセリングの技法」(誠信書房、1979)、第4章面接初期の諸問題、第4節面接料(まさに「そのまま」のタイトル!)で以下のように書いています。

p.89
面接料は原則として取るべきものである。社会会話ではないという指標になる。…けじめになる。しかしそれだけではない。

まず第一に、二人のリレーションが平等になり、自己表現の自由が維持できる。

第二に、料金を払えば一回一回の面接を大事にする。

p.90
要約すれば、料金は面接のための道具であるといえる。

料金は、あまりに低いとそのカウンセラーはその程度の価値しかないということにもなりかねないし、あまり高すぎると「ぼられた」というような感じをあたえる…

(引用ここまで)

もう一度読み返して考え込んでみようと思います。
余談ながら、この國分氏の「カウンセリングの技法」はカウンセリングの初級中級者が出会い悩むであろう状況や問題の「ほぼすべて」が書いてあるんじゃないかと思えるくらいスゴい本だと思います。

2011-01-17 06:30-07:15 w/ iPad, iPhone 4

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