下園壮太氏は著書『「遺されたつらさ」の受け入れ方』(講談社+α文庫、2010年)の「おわりに」でこう書いています。
p.243-244
実は本を書く私は、これと同じような問題に直面しているのです。
(中略)
ところが、本という手段をとると、多くの人に“苦しみからの脱出のヒント”を差し上げること《が》できますが、逆に必要のない情報を与えることもあります。(中略)
私の書いた内容が十分なアドバイスにならない場合や、むしろ逆に、読者を苦しめてしまうことさえあるかもしれません。
しかし、それでも私は本を書く必要があると感じています。(引用中《》内は筆者加筆)
講談社
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私にはまだ下園氏ほど広範かつ公共への影響力ありません。
しかし、その言わんとすることのいくらかは自分の身、生活、スケールなりに感じます。
ヒトは社会や環境に影響を与えずには生きることができません。
もちろん逆に外部から良い影響も悪い影響も受けます。
良いメッセージも悪いメッセージも(良い悪いの絶対的基準は結局存在しないと思いますが)出し、受け、また次の瞬間に移ろっていきます。
人それぞれ、生活する中で、呼吸をし、動き、ものを飲み食いし、しゃべり、笑い、怒り、泣くなかで必ず他者に影響(迷惑)をかけているのが生きているということです。
ある人が「私のしていることは、有意義で、正しい。それに誰にも迷惑をかけてはいない」という言動が真であるか否かはとてもビミョーで難しく考えること、疑うこともできます。
ましてや、本を書いたり、ブログを書いたり、カウンセリングをしたり、惨事にあった人や組織を支援したり(支援していると信じる!)、教育をしたり、勉強会をしたり、議論をしたりを「真剣に」すればするほど、その影響は大きくなり、絶対量としての負の面や、不安も大きくなります。
しかし、謙虚に、真摯に、自分や他人と議論しながら、(自分本位だけれども)より良く生きていく、ちょっぴりいいことを書いていくつもりでいます。
2011-01-24 07:00
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