客(クライアント)は何を食べたいか自分では分からない(と思え)

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心理カウンセリングでクライアントがカウンセラーに求めるものをうまく捉えることはお互いに協力的であってもなかなか難しいものです。これはクライアントの知能や知性、表現力ややる気に左右されるという意味ではありません。心理カウンセリングで扱うテーマが人生や幸せ、価値観、そして本質的にメタ認識することが不可能な「クライアント自身のこと」だからです。

カウンセラーがお店だとして、そう、例えば八百屋だとしましょう。当然売っているものは野菜や果物です。そこにお客さん(クライアント)が来たとして、「魚が欲しいのですが」と言ってきたらどうすれば良いでしょう。「魚ならウチにはありませんが、その先に魚屋ががありますし、もう少し行けばスーパーもありますよ」というような対応をすれば問題ないと思えます。そもそも「ふつう魚が欲しい人が八百屋に来ることはないだろ」というのは常識的です。

しかし、心理臨床領域ではこのような状況が現にあるし、起こっていると考えられます。自分が何が欲しいか、その店に何が売っているのか、分からないクライアントが買い物に来るのです。これは単なる比ゆとしてですが、考えられる原始的な問題はいくつもあります。

  • クライアントはお腹が空いているので食材を買いに来たのかもしれない。もしかしたらレストランに行ったほうが早い?
  • お腹の調子が悪いなら食べない方が良いかもしれない
  • 食べたいのは正直な気持ちだけれど、食べ過ぎて肥満になっているかもしれない。これも果たして食べたいものを食べるのが「正解」か?
  • 売る側(カウンセラー)も何を売っているのかを分かっていない。だから野菜の代わりに魚を売ってしまう。他の店を紹介したり断ったりできない

プロとしては自分が提供しているサービスを知ること、クライアントのニーズに合わせて説明できること、その限界や特徴を知ることが必要です。常識的に考えて、一人の人間が世に存在するすべての商品を提供することはできません。それを目指したり、何でもできると錯覚して請け負うのは、一人でアマゾンの経営から買い付けから在庫管理から出荷などまでやるようなものです。

医療や心理臨床領域ではこのように科学で解明できたり、計測可能、定性可能なものは限られています。繰り返しですが、それは扱うテーマが、人生、価値観、幸せ、社会などあいまいで抽象的なものだからです。

2010-12-29 08:00

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