あらためて、実力を認めたレベルの同士で話すならば酒を飲んでいても電車で雑談していても刺激的かつ「勉強」になる。
勉強「会」というのは枠に過ぎない。
形式に過ぎない。
そういった意味では、人はどこでもいつでも勉強できる。
相手や対象は、同じ「人」でも良いし、自然でも良い。
自分自身でも良い。
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また、決して認識できない経験知というものがある。
これはその業界・世界に身をおいて、現場を経験したり、仲間と議論したりしていくうちに知らず知らずに身につくもの、としか言えない。
あるとき後ろを振り返ってみると「結構学んできたな」と思える瞬間があったら幸せなこと。
亀の甲羅を背負って牛乳配達をしているうちにトンデモナイ実力がついていたら楽しい。
注意しなくてはいけないのは2つ。
一つは井の中の蛙にならないこと。
謙虚に自分や仲間の世界を見て、実力や世界・社会とのつながりや関係性をメタに観察し分析し続けること。
もうひとつはすべてを「経験知」で片付けないこと。
学習していても教育していても、簡単に「これは現場で経験していけばそのうち自然にわかるよ」「口では説明しにくいなー」「センスがある(あるいはセンスがない)」で終わらせないこと。
経験知を形式知にして初めて知識や概念が生まれる。
初めて社会に貢献したこと、戻したことになる。
「他人に教えることができて一人前」というのはそういう事だと思う。
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今日は、そんな感じ。
2010-12-18 09:00
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