学ぶことのルールが変わった

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私が思うに、物事を学ぶことのルールが変わってきている。
事実や知識をインプットしたり、受け取ったりしているだけでは、本来得られるものの半分にも満たないし、学習したことにはならない。
アウトプットする以外に、真の学習や成長はない。

いや、確かに大昔から同じ事は言われてきている。
「教わるだけではなく、他人に教えることで知識や技術が本当に自分のものになる」というのはそこここで聞かれてきたことだ。
しかし、破壊や変化の時代では、このことを頭に入れて、もっと自身を追い込んで学ばなくては使いものにならない。

次の変化・混乱・実践の時代でサバイバルするための準備運動 | deathhacks

今まで理解されていた「学習」のしくみは「教わる者が知識や情報、技術などをゲットして成長や利得を得る」というものだった。

しかし、実際は(実は古来からそうであることは変わっていないのだが)学んだ気になっている者は、何も学んでいないし成長していない。
極論としてはそういう認識をした方がいい。
出力して教えた者だけが、学び、成長していく。

例えばメンタルヘルスの学習やトレーニングで言えば、「うつっていうのは◯◯というように解釈して説明すると良いんだよ」とレクチャを受けるとする。
それ自体がいけないとか無駄というわけでは決してない。

しかし、そのあとのアクション、行動、思考が問題であり、成長するか否かの明暗を分ける。

「なるほどー。腑に落ちた! 今日はいいことを勉強して得したな。。」というように感動感激して終わり止まってしまったら、当人の満足感や充実感とはまったく違って「身に付いてはいない」。

どうすれば良いかと言えば、受けた内容や理論を足がかりにして、自分なりに咀嚼消化して、再構成し、「今議論していることは、つまり、、こういうことですかね?」「〇〇という表現もあると思うんですが、聞いてみてどうですか? かえってわかりにくいでしょうか?」と、投げ返して「うん。良いのじゃない」「なるほど。悪くない」というように他人の頭や感情に響かせるのだ。
これを質と量、両方膨大に積み上げていって、初めて「学ぶ」ことになる。

だから、過去に言われて、歴史が示しているように、教え、アウトプットしてきた者が一番理解し、成長し、得をしてきたのだ。
これが「勉強するのには他人に教えるのが一番良い手段」と言われてきた理由だ。
今の時代にはなおさらこれが当てはまる。

変化の時代には、皆不安が強くなるから、なおさら「教わって満足し、安心する人」と「チャレンジしてアウトプットして試行錯誤、失敗を積み上げる者」の差が生まれていく。

近年、勉強会やセミナーが盛んで、その動き自体はとても良いと思う。
しかし、その中での参加者や主催者の中でも、今回説明したような、教える側と教わる側の間の成長格差というものはドンドン進行していく。

私から言わせれば、勉強会などにお金を払って参加しているということは、無駄とまでは言わなくてもとても費用対効果が悪いトレーニングになりかねないという危険がある。
実は、勉強会やセミナーを主催し、チャレンジやアウトプットを1つでも多くしている者は、対価を得た上に成長までしてしまえる、好都合な位置取りなのだ。
しかも、まだまだ多くの人はそれに気づいていなかったり、その位置に向かって踏み込んでいけていない。

学習のしくみというものは、一見誰でも理解しているようでそうではない。
当たり前と思っている部分や細部から変化していかなくては自身は変わらないし、変わっていく世の中で生き残ってもいけない。

2012-05-24 09:00

感情のメモリー

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感情というものはやはり何か目的があって存在すると思っている。
目的、というとそこに何か「神の意思」のようなものがあるようなイメージだが、それとは少し違う。
感情があることによって、生き物もしくは種として有利になる点、つまり意義があるのではないかという仮説思考だ。

感情の目的の一つは「記憶するため」だろう。

人間は、それが「大事だ」と思うことによって覚えやすくなる。
逆に言えば、大事だと感じなくては忘れてしまう。
興味のないことの勉強などで、無意味に思えていることは頭に入らないし残らない。
好きなことや好きな人のことであれば、意識しなくても記憶に残る。

この性質は、不幸なことや失敗、惨事や悲しいことなどであってもはたらく。
今度は忘れようとしても、いくら本人が忘れたくても、わすれられないという現象が発生する。
これがいわゆるトラウマ(トラウマティックな出来事)だ。

人間は、何かの理由があって、どうしても覚えたいこと、忘れてはいけないことを記憶にとどめるように努力や工夫を重ねてきた。
繰り返しや反復で暗記しようとするのは旧くからあった知恵だ。
これはある意味人間の無意識を騙して、「何度も目の前に存在している事柄だから、これは大事なことだぞ」と錯覚を起こさせているのではないかと思う。

そう。結局いまのところ、記憶というものはまだまだ解明されていない部分が大きい。
記憶を自由に操作、コントロールすることを人類はできていない。

記憶に残るかどうかは、無意識が決めていて、わずかに手を出すことしかできていないのが現状だ。
しかし、この「記憶」というものを解明していき、コントロールすらできるようになるとしたならば、「感情」がその入口や切り口の一つになるはずだ。

2012-04-20 07:00

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デブリーフィングとフグ

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デブリーフィングはとりあえず心理臨床や惨事介入のツールとしては表舞台から消えている。
場面と内容を限定したグループケアなどにその名残りや改変が見られるくらい。
かなり似たようなことをやろうとしながら、名称を調整するなどするのみで実践に持ち込む状況もある。

私個人としては、大きなケア効果をもたらす可能性があるディブリーフィングやグループケアが、まだまだ吟味・精査する余地があると思えるのに、杓子定規に切り捨てられるのはもったいないと思っている。
過去にいくつか研究や効果検証がされてはいるが、手法としての対象がはっきりしていなかったと感じる。
言葉の定義からあらためるべきではないか。

もちろん科学的に考えて、そのものの100%を解明することは不可能だろう。
しかし、現在のデブリーフィングに関する思考停止は、フグの肝を食べて中毒を起こした人がいたからといって、二度と食べないとか、食用を禁止するようなものだ。
適当な姿勢というのは、もっと対象を研究することかもしれないし、その結果専門家ならば扱えるものかもしれない。
フグの調理免許制のように。

今のデブリーフィングの扱いには、こうした「フグ」についての過剰な恐怖や、最近の「レバ刺し」食用一律禁止法整備への疑問と同じものを感じている。

2012-04-05 09:00

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裏メッセージについて考えたその続き

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昨日のエントリのテーマだった「裏メッセージ」を勉強会でも取り上げた。
(というか、勉強会のテーマに合わせてエントリを書いた)

昨日のエントリは以下のもの。

裏メッセージとは何か、それをどう避けるか | deathhacks

勉強会の中やその後考えたことなどを補足してメモしておく。

  • 「裏メッセージ」について説明する前に、「メッセージ」について十分に説明しておく必要がある。メッセージコントロールでは、一般的に使う「メッセージ」という言葉を独自に拡張しているからだ。ここでの「メッセージ」は言葉やフレーズの内容だけを指してはいない。声音や表情、身体の姿勢や態度、タイミング、順番、時期などカウンセラーが出す情報、そしてクライアントが受け取る情報のあらゆるものが「メッセージ」になりうるという考え方をしている。このため我々はトレーニングの手段として、逐語録分析よりもロールプレイと直後のふりかえり・フィードバックのようなものが有効だと思っている。
  • 昨日のエントリ内では、裏メッセージというものは悲しみや怒りなど、いわゆるネガティブな感情を引き起こすものということだけに限定していた。しかし、考えを広げれば、ポジティブな感情も裏メッセージに加えて良さそうだ。例えば、ハッキリと拒否の返事をしないであいまいな返事をしていたら相手が勝手に都合の良いように解釈して断っている意図が伝わらないような場合だ。
  • クライアントがカウンセラーから裏メッセージを受け取るのと同じように、カウンセラーがクライアントから裏メッセージを受け取ることもありうる。例えば、クライアントの言動に対して、不快な感情を持ってしまったり、状況が改善もしくは進展しないことに対してクライアントとはまた別にカウンセラーが不安や焦りを感じてしまったりといったものだ。これは陰性感情や感情転移と言っているものなのであらためてここで取り上げるものではないかもしれないが。いずれにしてもこのような感情や裏メッセージを予防するには、うつなどで起こっている感情や思考のしくみ・パターンを具体的に学んでおく、スーパービジョンを活用するなどの方法がある。
  • 言葉というものはそれだけを見ると常にあいまいなものである。感情や思考を記録したり共有したりするための抽象化のツールであるから実際のそれらとの間に必ずギャップがあるのが当然だからだ。あいまいさの中でもクライアントは最も悪いとらえ方をすると思っておくこと。それがうつ的思考の一つの性質であるからだ。もっとも、好ましくないコミュニケーション誤解だとカウンセラーが思うからこそ裏メッセージというものを特別に取り上げて考察したり勉強会で意見を交わしたりしているわけだが。

2012-01-25 10:00

性格は変えられる

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人の性格は変えられないと言うが本当だろうか。

ある人の性格は、親しかったりその人をよく知っているならば、「明るい」とか「慎重だ」とか「努力家です」というように表現できたりする。
普通、その内容が1日単位や数時間単位でコロコロと変わったりするのは見たことがない。
とすると、経験的にはやはり性格というものは簡単に変わったり、本人の意思で変えたりすることはできない気がする。

一方、世の中には「2週間で自分の性格を劇的に変える方法」とか「こういう性格になって異性にモテよう!」とかいう本が結構あったりもする。
性格を社交的に変えれば人生がうまくいきますよー、というテーマのセミナーなどもありそうだ。
こうした本や集まりは、性格が変えられることを肯定している。

結局、性格というものが何かと言えば様々な事柄に対する反応パターンを集め組み合わせたものということになるだろう。
事柄というのは目に映るもの、触れるもの、聞こえる音、自分の身体の内部の感覚、頭の中で考えたことなどのあらゆるものがそれに当たる。
事柄は情報として、無数に連続して入ってくる。そしてそれに対して、考えたり、しゃべったり、打ち返したり、リアクションをする。
それを総合してパターン化して、他人やその人自身が傾向を読み取り、抽象化して、いわゆる「性格」という名前で読んでいる。

性格に生まれつきというものはもちろんあるのだろうが、生まれ育つうちに得られた情報や周りの環境からの影響とどちらが大きいかは簡単な議論や科学的検証ではわからない。

ただ、少なくとも細かな反応パターンの連続かつ集合としての性格であれば、学習によってパターンを変えることはできるだろう。
ただし、元々ある反応パターンがどれくらい強くて意義や理由などがあり、それを打ち消したり変えたりする情報の強さや理由付けをどう作り上げるかという課題がある。

性格は変えられる。
しかし、簡単ではない。
学習の打ち消しと違うパターンの再学習という作業が必要になる。
というのが、実際のところだ。

「洗脳」という作業も似たようなことをするのではないか。
「学習」というものの科学的な分析と理解が必要だろう。

2012-01-16 08:00

研修の遅刻は原則待たないが。

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10〜20名くらいの教育やセミナーで、遅刻者をどのように扱ったら良いかという話。自分が主催側や講師であったとして。
そして今回は特に、コミュニケーションや心理カウンセリングなどをテーマにしている集まりだという設定で考えてみる

その会が数人というようなごく少人数の面識のある間柄であれば、遅れてくる人間を待とうが待つまいが、なんとなくその場の雰囲気で決めることができる。
それが勉強会だとしても研修だとしても会議であっても、始まってからその内容をアレンジしたり調整したりすることもそんなに難しくはない。

逆に数十人から数百人の参加者がいるものであれば、数人の遅刻や不出席は想定しておくべきものだし、全体の利益を考えれば割合の小さな者らのためにスケジュールや内容を動かさないほうがいいのは明らかだろう。

これらの考え方や判断はその場が無料であっても、有料のものであってもあまり変わらない。

集まりの参加者の遅刻者をどう扱うかというのは、集まり全体の空気にも影響を与えることがある。

例えば、連絡があって「開始から10分ほど遅れます」ということがわかっている参加者がいた場合にどうするか。

待てば良いとは限らない

待つ、としてそのメリットやデメリットはどんなふうに考えられるか。
待つことによって会全体のタイムスケジュールが狂うわけだ。
プログラムに柔軟性が少ない場合には悪影響は無視できないかもしれない。
待っている他の参加者としても好意的に余裕を持って同調してくれる人もいるだろうが、自分の成果が損なわれるからと眉をひそめて主催者や遅刻者に悪い感情を持つ人もいるかもしれない。

遅刻者も単純に待ってくれることを感謝するとも限らない。
それはもちろん、自分のことを待っていてくれるというのはありがたいことでもあるだろうが、一方で「他人を待たせる」ということに大きな負担を感じる人も多い。

このように考えると、良かれと思って運営したことが、場合によっては誰の−参加者にも、遅刻者にも、主催側にも−得にもならないということは十分にあり得る。

待たない方が公正ではないか

もしも、遅刻や欠席などについては一切関知しないという方針を貫くというのはどうだろうか。

あらかじめそう決めておけば、判断に迷いやブレがなくなり、とても運営としては楽になるかもしれない。

一方で、参加者は「時間に間に合わない本人に責任があるのだから仕方ない」「少しだけ遅れるのがわかっているのならば自分は待っていてもいいのだけど」「自分も遅れたりしたらやっぱりまずいな」など様々に考える。
遅れる人も「途中参加だと何か理解がズレてしまわないか」「一日何か引け目を感じる」など色々思うかもしれない。

決めごとや運営をかっちりと守ることは会全体にも良い緊張感を与える。
繰り返すとこれも、無料や有料とは関係ない部分がある。
少なくともその場に居る人間にとっては、時間という貴重な資源を注いでいるのだから、それを無駄に扱う、あるいはそういう印象を出すことは控えるほうが良い。

遅刻も良い素材やテーマになる

1人または一部の人の遅刻という小さなイベント・トラブルで考えるのはここまでに書いたようなことだ。
実際のところどのように扱うのが良いか。

私であれば、原則として「待たない」派だ。
グループ内の少数の遅れやトラブルで多数の人間の、特に時間という有限な要素が損なわれるというのはどうしても避けたい。
これは、私の立ち位置が参加者であれ、主催側であれ、さらには遅刻者であってもそれほど変わらない。
ただ、それだけではなんとも工夫や面白みが少ない。

そこで、遅れてくる参加者がいれば、その人が到着した時点で、そこまでの会の内容の復習や要約をしてみるといい。
そして、要約をするのであれば、それを参加者にやってもらう。
これは、会のテーマがカウンセリングであれば特に、そうでなくてもたいていの勉強、学び的なものであれば、とても学習効果がある。

話を聞いたり、しゃべったり、議論したりして、その場で知的な快感を感じることだけが大事で、その内容をどう活用しようということがあまり受容でない会やテーマであれば復習や要約はあまり必要ない。
一時的なエンターテイメント性を追求することは悪いことではない。

しかし、せっかくそこに良い素材になるイベントがあったのであればそれを活用しない手はない。
それがライブとしての勉強会やセミナーの楽しいところだ。

この、参加者自身が別の参加者に教えるというやり方は、実践を目指す訓練や教育にとってはとてもいい。
OJTの手前の段階のトレーニングとしてはロールプレイやふりかえりと同じような価値がある。

研修やセミナーが2日間以上にわたっておこなわれるとき、そしてその期間をフルに参加できない(途中参加する)ような人がいるときは、使い方によっては全員かつ全体により効果をもたらすことができる。

このような柔らかい運営をするには、スケジュールに余裕の時間をあらかじめとっておくことが必要だ。
そしてその使い方をあの手この手で想定しておいたり、緊張の少ない場面で試しておくと良い。

2012-01-15 11:00

(読んでいる本でちょうどいい内容があったので引用して追記しておく 2012-01-24 11:00)

 カウンセリング研究会で私が講義しているとき、途中から入室した遅刻者は教室のうしろで、もじもじおどおどしたかっこうで席をさがしている。受講生のひとりが手招きして空席を示すことがある。その瞬間をとらえて、「今のあれがカウンセリングです。困っている人を助けるとはああいうことです。部屋のなかの一対一の面接だけがカウンセリングではない」と、私はすかさずコメントする。ああいうことのできる人間になるのがこの研究会のひとつの目標であると私はいいたいのである。

- リーダーシップの心理学、国分康孝、講談社現代新書 0725、1984、p.50

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カウンセリングの本番で開き直り、練習で緊張するということ

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カウンセリングの練習やロールプレイ、試験で緊張してしまうというならば、現場や本番でもっと緊張するようにしてみればいい。

カウンセリングでの、トレーニングと現場の関係は、勉強と試験の関係や、スポーツなどの練習と試合の関係とちょっと違う。
本番の方がリラックスまではいかないまでも、緊張していないという人が多い。
それは周りや判定者の目があるからだ。
現場にそれはない。

これが資格試験やスポーツであれば逆になる。
普段の練習や勉強のときに、本番と同レベルの緊張感を味わっておき、慣れるだとか、対策を考えておくだとかいうことはなかなか難しい。
それでも、できるだけ本番と似たような環境をつくって体験しておくという工夫は一般にしている。
時間を制限、意識した練習をしたり、模擬の試験や試合をしたりというものだ。

カウンセリングで実践力をつけるためには、現場でクライアントを扱うときに、「他人やメンターの目がある」という意識をすることだ。
「今の対応は採点するとしたら、良いか、悪いか?」
「このクライアントについてスーパービジョンを受けたらば何を言われるだろうか?」
「メンターだったらば、こんなときにはどういうメッセージコントロールをするだろうか?」
自分の思考や対応に、あまりに夢中になってはいけない。
混乱したり、絶望してもいけない。

現場でのカウンセリングよりも練習でのロールプレイの方が緊張するというのは、いかに本番で「開き直っている」か、あるいは「自己評価を怠っているか」ということを表している。
もちろん、明らかに自殺などの危険が迫っているクライアントとのセッションであれば別かもしれないが、本来は、密室で内容が原則としては他に漏れなくても、クライアントとのやり取りがプロとしては最も緊張する場面になるはずだろう。

2011-09-17 09:00

オープン面接は慎重に扱いましょう

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悩みや疲れ、職場でのローパフォーマンス、簡易のうつチェックなどで当人が直接にカウンセラーのあなたのところに相談に来たとき、どんなに「一応来てみたんですけどー」という風でも型通りの面談を設定したほうが良いでしょう。

例えば、その人の同僚や上司が「別にここ(自分の席)で話を聞いてもらえばいいんじゃないか?」「ほう、○○君にも悩みがあるのか! 意外だな(笑)」などのように話しているような環境で、本人も「いやー、別に(わざわざ)カウンセラー室とかでなくてもいいですよ。。」というような状況だとしても、簡単に扱わないほうが良いのです。

一つには、いくら本人が「別にどこで話してもいいです」と言っていても、相談内容は実際に話してみないとわからないからです。
いざ、プライバシーを保ちたいテーマになったときに、あとから場所や機会を変えたりするのは案外難しいものです。

また、一度前述したような環境での面談を手放しでオーケーしてしまうと、管理者やその組織人たちが「面接やカウンセリングというものはそういうものなのかー」と理解してしまう可能性があります。
すると、今後その場面を学習した人は、「自分が相談しようとしても、みんなに聞こえる場所で話すことになるのかな?(それなら嫌だな)」と刷り込まれてしまうかもしれません。
これは相談やカウンセリングの機能や守秘倫理そのものを揺るがしてしまうかもしれないほどの危険な認識と広報です。

明らかにそのクライアントが、密室での面接のように秘密が守られる環境での相談を明確に拒否、忌避しているのでないのならば、スタンダードにこなす方針で始めるほうが無難です。

2011-04-18 07:00

地震から25日が過ぎて – 今から被災地にメンタルサポートに行くならば

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2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生し、東日本大震災が始まってから25日間が経った。
被害の大きさと広さ、福島原発の事故などを含めた複雑さから、全体を総括して語るのは難しい。
被災現場からは情報が届きにくい。被災現場へは資源・支援が届きにくい。

そんな状況の中でも、待ったなしのさまざまなリスクは進行している。
メンタルヘルスで言えば、直接の被災者への心理的な衝撃や疲労に引き続いて、救援・行政・支援・医療を担う層やチームの疲労やショックがかさんできているのではないかと思う。

急性期に動いた(動けた)組織や団体に続き、これから増援していこうとしているものが出てきている。
後から向かう者には、現場の情報が不足しているかもしれないが、準備する時間や資源がある。
そういった時間や資源は有益だ。

メンタルヘルス面でも色々な団体・組織が動いている。
現時点で直接に現場で支援をするというのだけでなく、過去の知見や経験を積極的に再取得・探索して数多く紹介されている。
(今の情報公開を支えている他の分野と同じくWebサイトやブログなどが活用されているのを主に目にする)
しかし、その知識や情報を利用するのにも注意が必要になる。

多くの研究や資料には、確かに大事なことが書いてある。
なるほどと思うし、勉強になる。
しかし例えば、これから被災の現場に行くとして、被災者心理やサバイバーの気持ち、グリーフの仕組みなどについてだけ熟知していても足りない。
やるべきこと、やってはいけないこと、などは机上の論理や科学としては分析されてきているが、実際に現場でどのように使い、どのように成果につなげていけばいいかの部分は不足している。
被災者や支援者に対応したときに、心理的サポートとしては、体験や思考、気持ちを表現することを奨めた方がいいのか、抑えた方がいいのかという、とても基本的なよくある事態にすら統制された権威ある解答はまだない。
未だ、個別に思考と感情の背景をうまく考えて対処していくしかない。

過去の事件や災害で得られた知見はいくつかある。
そういったデータや研究は、確かに知っていても良い。
しかし多分、それらの一番有効な使い途は心理面の支援者またはカウンセラーなどの側の安心用のツールである。
被支援者やクライアントにしてみれば「大変でしたね」という支援や言葉をありがたく思うこともあるだろうが。
「大変な災害だったから辛いですね」とか「悲しさっていうのは長く続きますがいつか癒えますよ」とか「これこれの割合で医療などが必要になってくるかもしれないから気をつけましょう」というように、具体的なアクションを伴わない、あるいは提供しないサポートは逆に嫌われるかもしれない。

今から現場に行くとしても、まだまだ心理面の支援者やらカウンセラーやらとして「だけ」入るのは難しい。
衣・食・住などの生活環境がまだ回復していない当事者にも、もちろん心理的ケアは必要だろう。
しかし、それがどれくらい優先度が高いかということにはさまざまな要素を加味しなくてはわからない。
それこそ話をしようとしても、まず「水を飲みたい」「温かいものが食べたい」「風呂に入りたい」「ゆっくり眠りたい」「酒とタバコが欲しい」「子どもを遊ばせてやりたい」などのような当然の欲求がはじめに出てくることも多いのではないだろうか。
そんなときに「わたし(我々)は気持ちのサポート(だけ)に来ました」とは言えないだろう。
そんな状況への物心両面その他の準備が必要そう。
理想論だが、まず身近なこと、身辺の基本的生活に密着したことからはじめていくのが良さそうだ。

2011-04-05 07:00

スタバのサードプレイス考

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2011年1月8日(昨日)のTweetsより

  • スタバに長時間利用不可の表示案内。 posted at 13:08:45
  • スタバなどテイクアウトできるカフェやファストフード店は座席を使っても使わなくても一杯で座れなかったとしても同じ料金設定。座席確保に関してはベストエフォート型。鉄道とも一緒かもしれない。移動の保証はするが座れるかは保証しない。 posted at 13:11:36
  • @Annjuliett テイクアウトもできるカフェの座席コストはどう捉えたら良いのか。。 posted at 13:12:56
  • スタバにはテイクアウト専門店あるが大抵はテーブル、ソファ、座席などがある程度ないと売り上げは上がらないだろう。 posted at 13:14:15
  • 飲み屋さんなら2時間で終了とかして客を回す。場合によっては飲み放題などを格安にして誘導。でもカフェとかよりは明確な「契約」だし商売になってる。 posted at 13:16:21
  • カフェは飲み屋、レストランなどと比べれば客単価は安かろう。 posted at 13:17:04
  • ルノアールのように長時間歓迎を積極的に売りにしている業者もおり。これは明示的な契約、販売、商品というわけではないけど。 posted at 13:18:22
  • @Annjuliett スタバはサードプレイスの提供を謳ってます。でも混んでるときの長居はクールじゃない。 posted at 13:35:59

付記

  • スタバには土日朝から3時間くらい長居する
  • 混む前に帰る
  • 飲食店の「場所代」というのは法的にはどう扱うのだろう
  • 法的にどう扱うとしてもマナーをルール的に運用するとトラブルに繋がる
  • 例えば電車内でケータイで通話しないとか、女性専用車両とかは「マナー」であって強制力はないはず
  • なのに、そのマナーを外すと一般人同士でも極端に強いプレッシャーや暴力が生じたりする
  • マナーが上手に作られ、多くの人が上手に運用しているのは成熟した社会。しかし同時にそれらの人にマナーを外れた事に対して違法な咎めをしない自制や知性が伴うかは疑問

2011-01-09 09:00

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“3。ビックリする位、長時間の御利用!!!”

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