教師が先か、学生が先か

教育において教師と学生のどちらを大切にしなければならないかと問われれば、それは学生だと答えます。なぜならば、教師が教師であるためには学生の存在が必要であるが、学生が学生であるために教師は必須ではないからです。

教師という仕事が学生の存在に依存していることは明らかですが、学生が教師の存在に依存的でないということはどういうことでしょうか。それは例えば、学生は教材さえあれば学ぶことができる、ということから分かります。

教材と言っても書物や器具・機械に限ることはありません。あらゆる物や概念、思想・思考から人は学ぶことができるからです。森羅万象これ教師です。自分自身から学ぶことすら可能です。そう考えると学生は無限に自由だと思えます。

話は少し違うのですが、昨今の日本相撲協会が、まるで協会という組織の存続を最大の目標としていて、力士を軽んじたり犠牲にしたりしているような気もします。これなどもそもそも、伝統性のある相撲という競技を仕事にする力士が先にあるのであって、あくまで協会はその裏方として働くのが本意だと思うのです。

また過去には「国家が君たち国民のために何かをしてくれると考えるのではなく、君たちが国家に何をできるか考えよう」という演説もありました。これも歴史的には名文エピソードと捉えられることが多いでしょう。しかし個人的には、国家(社会)と個人(個体)のどちらが優先される存在かと言われたら、やはり個人が先であり基本となるものだと考えます。ただし、人間と社会性はあまりにも不可分となっていることは確かですので現場や実際は単純に行動できないことは分かります。

2010-03-29 10a.m.

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