クライアントの目的はカウンセリングそのものではない


null

医者やカウンセラーには、本当に高いレベルの倫理が必要だなと最近良く考える。

知り合いやクライアントという以外の関係がある人は、原則としてみてはいけない。
好きな人、あるいは嫌いな人をクライアントにしてはいけない。
逆に言えば、クライアント個人に特別な感情を持ってはいけない。

医者とカウンセラーで比べれば、どちらがより倫理的に正しくあらねばならないか。
倫理について比較するというのは本来はおかしいのだが、あえて言うとカウンセラーのほうだと思う。

医者の医業や医療が、一般の人から見て、閉鎖的だとか密室内で何か悪いことやズルいことが行われている(のではないか)と思える以上に、カウンセリングが閉鎖的で密室性が高いということは以前に書いた。

カウンセリングとセクハラは相性がよい | deathhacks

例えば医者が、診察で患者に痛みを加えざるを得ない場合(もちろん最大限の配慮をしながら理由があってのこととして)や、手術などで侵襲を与える場合には、当然その反応を確かめながら仕事をする。
反応というのは痛みや出血などだ。
それらが、本当は無い方が良いもの、必要悪であることを承知した上で、患者の合意のもと、中長期的なメリットのためにプロとして仕事する。

ところが、カウンセリングでは、クライアントが痛みを感じてもそれを表現しなかったり、できなかったり、そもそも自覚できなかったりすることがある。
手術などにおける出血のような反応も特定のものはなく、挙げるとすればもうそれは自傷や自殺という極大なものになってしまう。
そして、密室性があるが故に、リアルタイムにも retropective にも、客観的評価や監査がされにくい。

当然ながら、多くのカウンセラーは、自分が「良いこと」をしている、少なくとも「良いこと」をしようとしていると考えている。
医療と同様に考えれば、カウンセリングが100%良いことだけで構成されているとか、安全ということはない。
クライアントは、話せばエネルギーを使うし、テーマが「秘密」に関することであれば怖さや恥ずかしさを感じてこころにダメージを受ける。時間だってお金だって費やす。

カウンセラーがプロであろうとするならば、こうしたカウンセリング自体の「原罪」のようなものも考えてみる必要がある。
クライアントはカウンセリングを受けたくて来るのではなく、短期あるいは中長期的なメリットを求めていることを忘れないことだ。

2012-03-29 08:00

Posted from DPad on my iPad

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください