ある2ヶ月ほどの長期研修の休憩時間に、声を荒げちょっと拗ねたように研修仲間にからむ声が聞こえました。
「ああ、また彼か」
彼は悪い人ではないのですが尊大で自己中心的そして空気を読めない一面があるようで、すでに何度か周りと小さなトラブルを起こしていたので皆から少し警戒されていました。
幸いに私は彼から見て、立ち位置的に一目置かれているような背景があったこともあり、その場の仲裁に入る感じになりました。
仲裁と言っても別にハッキリとした言い合いやケンカが始まっていたわけではなくて、それまで和やかだったのに、「場の空気が悪くなった」「緊張感がただよった」というくらいの状況でした。
私は「争いは止めましょうよ!」などとストレートに言ったのでなく、まったく意識せずに、
「◯◯さん〜、まあそんな本気にならないでくださいよー。そんな風に取ったらみんな困っちゃうじゃないですかー」
というように少しおどけた介入をしたようです。それで、その場は互いの面子が立つような形でとりあえずおさまったのでした。
後日、そこに居合わせた一人から
「いやー、あのときは(私の)おかげでケンカにならなくて良かったですよー。あの一言で、悪くなってた空気が直りましたから」
と言われました。
私としてはその場で、特に考えて行動したり発言したわけでもなかったし、あらためて言われるまでは、そんなことがあったことすら忘れていたので、そのときの私の言動を評価してくれている人がいることを知ってとても意外でした。
私はそのとき無意識に、緊張した空気が嫌だったのと、なにかその程度のことで争いになるのが「イケてない」「クールでない」と感じた記憶はあります。大の大人が仕事で集まってるのにそこでケンカなんてするなよー、ガキじゃないのだから、という感覚でしょうか。
しかしこの件は、その後から今までに何度か考えるに値する良いエピソードになりました。
私には性質として天邪鬼なところがあって、真面目な場面では茶化したくなり、逆に周りがふざけていたりするともっと真剣になった方がいいのではないかと思って落ち着かなくなってしまったりします。
さて、この研修での一場面のようにその場の緊張が高まったとき、私がたまたましたように茶化すような言動をとったとして、必ずうまくおさまるでしょうか。
当然そうではないでしょう。
1 茶化されたことにより、ある意味リラックスを促されて「ああ、今のこれはそんなにおおごとじゃないな」と納得して冷静になるきっかけになる場合
2 「人が真面目に怒ってるのに、困ってるのに、なんでそんなふざけたことを言ってくるんだ!」と怒りを感じたり、「ああ、自分のこの気持ちは他人にはわからないのだ」という無力感や悲しさにつながる場合
このように同じような場面で同じようなことを言われても、違う受け止め方をすることがあるのが人間の思考や感情です。
今回出した例は偶然うまくいったエピソードでしたが、メンタルヘルスやカウンセリングの現場で、特に極端だったり込み入った状態の人の感情などに接する場面が多くあります。
そこで当事者やその周囲の人をうまく支援するためには、偶然に頼るだけでなく、深く考察して、元々持っているセンスを磨いたり、後天的に学んでいったりすることが重要になります。
2010-04-14 7a.m.
コメント