カウンセリングのトレーニングは人間性の修行ではない


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ミスコンについては賛否両論がある。
一時期は、出場女性の美しさやセクシーさだけを基準に優劣を評価していた。

それが最近では、教養やら、知性やら、特技やら、民族性、政治性までも加味したような複雑なイベントになっている。
こうなってしまうと単なるベスト「ミス」コンテストではなく、「人間」コンテストである。

ある人間らを内面まで含めてさらけ出させて、それをまた別の人間らが評価するというのは、双方が合意の上であっても危うい話かもしれない。
大統領や国会議員の選挙だって、最終的には人間性やらカリスマ性やらが投票者の選択に影響を与えているだろうが、表向きはあくまで、政治能力に限定して良否を判断することになっている。

一方、カウンセリングでも、人間性や親しみやすさ、果てはオーラのような、定量しにくいもの、一朝一夕で変えたり鍛えたりできないようなものにその評価基準を求めてしまうことがある。
カウンセリングは結局のところクライアントとカウンセラーの人間関係であるが、トレーニングや教育のあまりに早い段階でこうした主観的、感覚的な物差しを持ちだしてしまうと、せっかくの基本的な技術や定石的なコツに注目しなくなってしまう。

(参考エントリ)

好かれればカウンセリングはうまくいく | deathhacks

はじめはメッセージコントロールだけで十分 | deathhacks

カウンセリングの初歩は特別なものではない。

(参考エントリ)

カウンセリングは自転車みたいなもの | deathhacks

まずは誰でも納得ができるところ、練習さえすれば上達するところから学んでいく、教えていくのがスジだ。
このことがわかっている人が教えないと、「確かにすごいし良いことを教えてもらっているけれど、自分ができるようになるには何年かかるのだろう」という感覚を味あわせてしまう。

カウンセラーの訓練が「人間性を磨きましょう」ということになってしまうのであれば、それは技術でも科学でも学問でもないことになってしまわないだろうか。

2012-03-08 09:00

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