人間関係は時とともに変わっていくもののはずです。
しかし、人間は想像できる以上に過去の関係、蓄積した認識を引きずります。
それは、子が親の年齢を抜かすことはないというように、年齢というようなある一つのことを絶対的基準にしていることと同じです。
ベジータがいったん最強になったように見えてもその間に孫悟空はさらに強くなっていてその差が変わらない、というような等距離関係は漫画的で現実的ではありません。
決してその基準を使うことが間違いということではないのですが、一つの基準や価値観に縛られるとトラブルの基になったり、苦しみの原因になることは多いものです。
実際に、子が成長していき、ある時点からは親の肉体や精神の衰えが始まり、社会の変化ともあいまって、様々な場面で子が親よりも優位になることは生物的にみても自然であり、時間的な運命・必然です。
それをいつまでも親が子を心配したり、過小評価したりしていれば、子が劣等感に苦しんだり、親が不安を抱えたままという関係が続きます。
いつか親は死にますし、子は親を離れることが多いことを考えれば、関係を続けること以外の選択肢を知らないことは危険でしょう。
いじめられっ子がいじめっ子を見返すことがあるかもしれませんが、過去の関係がトラウマとして一人の時でも、あるいはいじめっ子と再会してよみがえり苦しむかもしれません。
うつの経験者の落ち込みや回復、リハビリなどに接したカウンセラーや周囲の人は、その人が過去のイメージと離れたいと感じているのに、外部環境・客観としてイメージをよみがえらせるような言動、関係を保ってしまうこともよくあります。
カウンセリングやメンタルヘルスの教育でも、当初は教え、教えられる立場だった関係が、教えられる側が現場を経験することなどによって飛躍的に悟り、技術・知識としていつまでも昔のような師弟関係ではなくなる場合もあります。
社会の変化速度が速くなっていることも関係するのでしょう。
ノウハウさえあれば、新人でも素晴らしいスピードで学ぶことができる分野や内容が増えました。
そこは世代の違いが以前ほど実力の違いに結びつかない世界です。
それを認めないと互いに苦しい人間関係が生じます。
2010-09-26 07:00
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