「困った」と「病気」の間で

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うつや認知症など、病気なのか正常(とは言え、やっかいで困った状態。あるいはピンチ)なのかは、目に見えないから難しい。
それらが急に、痛くなったとか、血が出たとかいうのでもないことも問題を難しくしている。
健康・健常と「困った」と病気は連続的に変化することが多いし、レベルの問題なのだ。

すると、日常では、「これは悩みレベルなのか、病気でお医者さんに行ったほうがいいのか?」とか「おかしいような気もするけれども年をとったらこれくらい普通かな……?」などという迷いが生じる。
迷いは、ある意味中途半端な状態だから、病気であるなどの確定がなされた状況よりも、気持ち的には苦しかったりもする。

皆が日常的にこうしたあいまいさやそれぞれの状況で打つべき手などを考えておくのもいいが、効率は良くない。
コンシェルジュ的に専門家や役割を持った人が民間あるいは公共に配置されていれば、それを必要な時に利用するということでいいだろう。
特に、日本やそのうちでも都会には人口が集まっているし、生産産業ではなくサービス産業として社会的にも有意義だ。

近くに詳しい人やメンタルヘルスなどの専門家のような人がいるならば相談してしまえばいい。
その場で問題が解決するようなことは少なくても、まず悩みの対処ができる。

最初に書いたように、気になっていることや対象がまず、「問題ない」「少しマズい」「ヤバい」「病気だ」などのレベル分けを判断するのが当事者にとって一番難しい。
レベル分けさえできてしまえば、対処方法はだいたい決まってしまうものだ。

逆にここで誤ってしまうと「病院に行って診てもらったけれども大丈夫と言われた。また調子が悪くなったら来てくださいと言われた」というように判断の難しさを知らされて、不安がかえって高まるということが起こる。
また、「それくらいなら全然大丈夫じゃない?」と言われたとか、思い込んでいたとかで、時間を使ってしまい、もっと早くに病院や専門家に当たった方が良かったのに、という事態もありうる。

こうしたことへの対策として、気軽に近場で相談できる手段や資源を普段から用意しておいたり、もしもそういう時にはどうするのだというようなシミュレーションをしておくのが良い。

2012-10-31 07:00

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