うつの(疲労困憊した)時の「食べたくない」思考を解釈する

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うつの症状の一つに食欲不振がある。
この症状周辺について考えてみる。

うつの人が皆「食べられな」くなる訳ではない

まず知っておきたいのが、うつやうつ的状態になっているからといって、必ず食欲が落ちて、体重も減るものだという認識は間違いだということだ。
食事や体重に表れない人もいる。
逆に過食になり、体重が増える人もいることを思えば、それほど意外ではないかもしれない。

こういった一点の特徴を取って素人診断をすると、正常性バイアスがかかることもあって、周囲や、本人でさえその変化を客観的にとらえられなくなる。

人間にとって食べることは緊張を緩めること

うつや疲労は身体にとっても気持ちにとっても究極のピンチの一つだ。
人間はピンチにおいては本能的に緊張する。
これはよく言われるように、「疲れているけれど気が張っていて休めない」「焦りや警戒心はあるけれど疲れきっていて行動できない」という矛盾した状態になっていることにつながる。

疲労からの回復、物理的な肉体の回復や、生命の維持には食事をして外部から栄養を摂ることが欠かせない。
食事は肉体的に消化するためにも食欲を高めるためにもリラックスが必要だ。
自律神経であれば副交感神経優位の状態と言える。
うつや疲労が蓄積した状態のように、心身の緊張が強制的にオンに成りっぱなしになっているとリラックスして食事することはできなくなる。

自責感ルートからの「食べたくない」

疲労やうつは「症状」や「反応」として、人から自信や積極性を奪う。
具体的なことがなかったとしても、そしてちょっとでも心当たりがあればなおさら、自分が何か悪いことをしているような心理状態を自ら作り出す。

一方、食べるということは「快」の一つである。
これは食べることが生き物にとって必須であり、それを望むように思わせ、考えさせることが個体としても集団としても有利になるからだと思う。

集団の中で人間は、自責感を感じているときに、同時に気持ち良くなることにブレーキがかかる。
罪を感じながら、「食べる」という最も原始的ながら強烈な「快」に向かって行動することが不謹慎に思える。
そして、より自責感を強めるという縛りに合い、苦しむという構造になる。

食べない、ということには自責感に基づいて自分を罰するという《本能+思考》的な選択でもあるし、食べることが他人に与える印象から疑心暗鬼的に、自責感をさらに強めるということを避ける反応でもある。

まとめ

うつや蓄積疲労の症状や反応は、周囲からみて常識的には「理解しがたい」ように思える。
ときには(本人にとって)「都合が良すぎる」「ムシが良すぎる」ように見えることもある。
しかし、その背景には、本能的であったり、いびつではあっても「一理」があったりする。
「症状」や「反応」とその「人」や「人格」を分けて考えることは必要であるが、一筋縄ではいかないこともまた事実だ。

2011-05-20 07:00

(追記 2012-09-12 08:00)
(関連URL)

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