面接料 カウンセリングで支払うお金について

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カウンセリングの対価や時間コスト、そしてそれらとクライアントとの関係性について議論しました。

カウンセリングの金銭コストが(クライアントの価値観において)高くなればなるほど、クライアントは目に見える成果、効果、変化を求めがちです。
ただ会話、対話をするだけでなく、いわゆる「~療法」のような、なんとなく「やった感」が得られるものに魅力を感じます。
(精神分析や認知行動療法、EMDRなど、一定の評価がされているものは世の中にはあります)

クライアントは自らを語る、考えることによって、様々な気づきや発想が生まれる可能性を手にします。
ただ、もしもカウンセラーが1時間などの間に一言数語しかしゃべらなかったとしたら、クライアントによっては「お金をはらったのにカウンセラーは仕事という仕事はしていないじゃないか」思うことはありえます。
逆にカウンセラーが時間中に語りまくり、説明・解釈しまくり、アドバイスをバンバンして終わったならば、それもバランスとしては評価が難しそうです。
(絶対にダメなカウンセリングだ、とも言い切れないのが難しさと面白さ…)

遅刻してきたクライアントに対して時間や料金をどうにかアレンジするか否か、あらかじめ見積もった時間や期間にカウンセリングが終了・終結しない(できない)ときにどう扱うか、などの問題はカウンセラーであると同時に経営者やマネジャーである人にとっては悩ましいのではないでしょうか。

少し角度を変えた話をすると、時間・回数を基準に料金を決めたカウンセリングをする場合(組織が委託する場合以外はほとんどそうでしょう)、あるクライアントを1回2回短時間で「良く」するよりも、長く継続して利用してもらった方が、経営としては安定するのです。
カウンセラーとして実力があるほうが却って、金銭経済的に損をするという、ややいびつな状況になります。
(病や医療と同じく、どんなにカウンセラーが増えたり、カウンセリングが研究され普及・啓蒙されてもこの世から「悩み」はなくならないので、実は心配としてはナンセンスなのですが)

今回の議論に関係しそうな引用・紹介をしておきます。
國分康孝氏は「カウンセリングの技法」(誠信書房、1979)、第4章面接初期の諸問題、第4節面接料(まさに「そのまま」のタイトル!)で以下のように書いています。

p.89
面接料は原則として取るべきものである。社会会話ではないという指標になる。…けじめになる。しかしそれだけではない。

まず第一に、二人のリレーションが平等になり、自己表現の自由が維持できる。

第二に、料金を払えば一回一回の面接を大事にする。

p.90
要約すれば、料金は面接のための道具であるといえる。

料金は、あまりに低いとそのカウンセラーはその程度の価値しかないということにもなりかねないし、あまり高すぎると「ぼられた」というような感じをあたえる…

(引用ここまで)

もう一度読み返して考え込んでみようと思います。
余談ながら、この國分氏の「カウンセリングの技法」はカウンセリングの初級中級者が出会い悩むであろう状況や問題の「ほぼすべて」が書いてあるんじゃないかと思えるくらいスゴい本だと思います。

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