スキューバダイビングを始めてみた

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やってみると色々考える点があって興味深い。

これは趣味なのか、スポーツなのか。
スキルアップのシステムや、見せ方・インストラクションの流れなど。
人間模様にも様々ある。
使う器材には科学技術が詰まっている。
自然環境との闘い、あるいは共存・協調という面もあるから危険や厳しさもつきまとう。
営業的な部分での工夫や、自身の判断そして目利きなどについても参考になる。

2012-11-08 07:00

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ビジネスパーソンにこそ良い眠りを

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プロ野球選手でもオリンピック選手でも、トップを張っているアスリート達は直接に見られている職場(スタジアムなど)以外での過ごし方や工夫をこらしている。
身体を主に使うからといって、あまり知性的でなく直感で生きているとか、博打やアルコール飲みによる不摂生をしているだろうという昭和の時代の印象は現代では無い。

逆に、一般のビジネスパーソンの世界や情勢を見ると、これもスポーツ世界がグローバル化してきたことと似てきている。
簡単に言えば、競争が厳しくなってきている。

これからは、プロやアマのアスリートらが生活のすべてにおいて工夫してパフォーマンスを上げることで競争能力を高めたり保ったりしているのを真似して、食事や睡眠などを整えることが常識となってくると考えて良いだろう。

2012-09-21 08:00

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オリンピック競技と惨事ストレスとレジリエンス

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惨事における心理面の対応に携わってきて、このブログでも書いてきている。

惨事対応をチームでする理由 | deathhacks

惨事へのサポートケア焦点 その1 | deathhacks

惨事へのサポートケア焦点 その2 | deathhacks

惨事介入現場では惨事以外も扱う | deathhacks

惨事介入の注目点 | deathhacks

うつと惨事は切り離して考えられない | deathhacks

ライフイベントや惨事が一段落した瞬間が一番疲労している | deathhacks

ショックな出来事に対処するために持つべきは「意識」と「知識」と「儀式」 | deathhacks

DEATH NOTIFICATION | deathhacks

その他エントリ

当ブログ内をキーワード「惨事」でGoogle 検索

惨事やそれへの対応というものを考えてもらっても、どうも敷居が高く、急いで自分に関係するものではないと感じる人が多い。
最近の世の中で起きた大事故や災害などによって、一般個人の関心や準備意識は高くなってはいるが、どうしても「大事であるのはわかっているが正直、日常生活を送るので精一杯だ」とか「専門家や資格のある人に教えてもらわないと実践は難しいだろう」とか言うように実際の行動に結びつかない。
まだまだ惨事を「自らとは遠くて縁がないもの」としか思えないのだろうがそうではない。

今年(2012年)のロンドンオリンピックでも惨事のヒントやイメージは数多く存在している。
惨事の定義にも依るのだが、我々は生命に関わるような事故やテロリズムのようなものでなくても、出来事を体験した者が惨事「反応」を起こすことを知っているし、それらの解釈・説明や対応を直接にしたりノウハウを教えたりすることをしてきている。

その文脈で言うと、以下のWeb上コラムなどで取り上げられている男子体操、内村航平選手の競技で起きた落下やその結果成績については、正に「惨事」として我々が扱ってきたことと違わない。

オリンピックメダリストにみる「しなやかな軌道修正力」 – 2012年8月24日 – 職場のメンタルヘルス・EAP・研修 ピースマインド・イープ株式会社

メダル級の演技をして結果を出すという期待とプレッシャーが、周囲からも自分自身からも極限まで高まっている状況での、落下やミスで内村選手に起きていたことはどういったことだったろうか。

ドキドキしたり、冷や汗をかいたり、頭が真っ白になってしまったり、競技が終わって次の行動や準備をしなくてはいけなくなってもミスやその嫌なイメージが浮かんでしまったり。
実際にどうだったのかは本人にしかわからないが、一部の感覚は内村選手本人も振り返ったりインタビューで答えていたりする通り、色々な身体的・心理的な反応が起きていたのだろう。
上に想像したような反応で、「ドキドキ」や「冷や汗」は過覚醒であり、「頭が真っ白」は麻痺・回避、「ミスしたイメージを思い浮かべてしまう」のは侵入だと言える。
すべて惨事に対する反応、ASR(急性ストレス反応)やASD(急性ストレス障害)としても矛盾しない。

オリンピック競技やスポーツでの競技者に起こることは誰にとっても特別なものではないことは理解できるだろう。
それらに参加しない人だって、日常生活の大事な場面で失敗をしたり(寝坊して大切な約束の時間に遅刻するとか)、仕事で期待された結果を出せなかったりすることはある。
そのときやその後に「ドキドキ」や「真っ白」、「忘れらない」という感覚や経験をするのは当然と言えるくらいのことだ。

惨事やそれへの自分の反応について知っておき、準備をしておいたり、いざというときに自分を少しでも客観的に観察したり、ショックな出来事の後にできることを考えたりするのはぜひに勧められることだ。
このように考えると最近の心理研究やビジネススキルアップなどの分野で取り上げられる「レジリエンス」というキーワードに加え、「惨事反応」やそのサポートというもののより有効なとらえ方が見えてくる。

2012-09-01 10:00

※筆者小片武はピースマインド・イープ株式会社 http://www.peacemind-jeap.co.jp/ にて非常勤勤務している

今の自分の課題 その1

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ビジネスに関しての厳しさ、貪欲さは、自分にはまだまだピンときていない。

一方、コミュニケーションについてはややラフでガサツとも言えるやり方に慣れてしまっていたことに気づく。

いずれも、適切に調節していく or 臨機応変に使い分けていく必要がある。

2012-08-13 13:00

アルコールを飲む時間は本当にプライベートと言えるか

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仕事をこなしてオフの時間になったときに、ストレス解消やリラックスの手段としてお酒を飲む人は少なくない。
ほとんど毎日習慣のように飲む人もいる。

面白いことに、仕事(オン)が忙しければ忙しいほど、緊張や負荷が強ければ強いほど、お酒を飲まずにはいられないという意見も聞く。
確かにどんな形であれ、飲酒によってある種の解放(感)は得られるかもしれないが、医学的・科学的にみると、量が過度になると確実に健康を蝕むし、そもそも貴重な時間それ自体が削られる。
引いては、仕事のパフォーマンスに影響があるとすれば、そもそも何のために仕事と生活をしているのかわからなくなりはしないか。

ワークライフバランスという言葉があるように、ワーク(仕事)とライフ(プライベート)を区分するという考えにも一理あるが、最近は結局一人の個人、そして人生の充実を考えれば、別の概念の方が適当だろう。

アルコールの話に戻れば、激務の後に酒を飲むことは、本当にオフの時間なのだろうかと最近思う。
他人から見ればそれは完全に、仕事ではないし、業務外だし、好きでのんでいるということにしかならない。

しかし、人間なんていくら理性や頭が賢く働いていたって、所詮動物だし、物理や化学の法則に従わざるをえない生き物だ。
人間は、一日の仕事が終わって、さあここからはどうぞリラックスしていいですよと言われたって、瞬間的に切り替えられるものではない。
そりゃあもちろん、意識の中では警戒・緊張を解こうと思っても、実際には時間がかかるわけだ。
仕事の身体的・精神的負担が高い状態がオンにあればなおさらだ。

先に言ったように、人間は意識や精神だけの存在ではない。
仮に精神や思考が電気的な仕組みと反応だと言い切ったとして、その切り替えは数秒から数分単位で可能かもしれない。
しかし、生体に関するホルモンやら血液やら(アドレナリンとか)のギアチェンジは、物理・化学法則に従わざるをえないから、そこまで短時間では切り替えられない。

かくして、「早くリラックスしたいのに、頭ではわかっているのに、身体は緊張や苦しさが続く」という状態が起きる。

これを短時間で手っ取り早く切り替えようと思ったら、半分 cheat かもしれないが、薬物(化学物質)を使うしかない。
医療的な妥当性がなく、合法的にやろうと思えば、アルコールを利用するということになる。
少なくとも本邦ではこれが一番リーズナブルだ。

だから、すべての人がそうだとは言わないが、仕事終わりにアルコールを飲むというのは、何か悲壮な儀式 routine かもしれないと感じる。
もしも仕事を終えて、十分にオフに切り替えていく時間があり(スポーツ後のクーリングダウンみたいな感じだ)、さらにその後余暇として趣味や別の楽しみ(これがより適切なプライベートだと思う)に当てる時間が残るのならば、依存は別にしてアルコールを飲む合理性は少なくなるのではないか。

こうして考えると、アルコールを飲む時間のいくばくかは、ビジネス時間(オン)だと捉えてもいいんじゃないかと心情的には思えてきている。

2012-06-20 11:00

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商品と営業を分けてはいけない

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商品およびその開発と、それを売るための営業は、機能としては分けて考えても良いのだが、現実的に突き詰めるとそれら2つがいかに不可分かを思い知る。

良い商品がありさえすれば、営業コストは限りなく小さくなるということはあり得る。
一時的にでも、需要と供給のバランスが偏れば、これもまたわざわざ営業をして売り込まなくても十分に売り上げが上がっていくかもしれない。
ブランディングがうまくいけば同様の状態は長期的に維持できる可能性もある。

逆に、いくら商品が悪いもの、普通の製品で競争力がなかったとしても、営業力、営業努力、営業コストはコストが高ければ、製品の実力以上に売れてしまうということもあるだろう。

とは言っても、最近この論理に疑問を感じることもある。
商品が優れている、あるいは少なくとも営業をする人間がその商品をよく知っていて、良いものだと本気で思っていなくて、売り込むことができるだろうか。
やはり、「思い」がなくては他人にサービスを販売することは心理的に抵抗があるし、続けていくことはできない。

横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」では、「正確で価値のある読者や社会のためを十分に考えた記事を紙面に載せたいという思い」を抱えた新聞社の編集部署と、「記事なんて大事じゃない。俺たちに任せておけば白紙の新聞だって売ってきてやる」とうそぶく営業部署との対立シーンがある。
極端な話だが、ここまででなくても、会社組織で、製品やサービスを売っているのであれば、自分たちがそれを世の中に提供していることの意味や仕事に誇りを持てるか否かというような悩みや葛藤を感じることは多いのではないか。

営利組織に属していれば、個人のプライドや満足度は必ずしも組織全体のそれや、別の所属者のそれとは合致しないだろう。

少なくとも商品や製品を売る段になってから「これって売れたとして、顧客に喜んでもらえるのだろうか」とか「このサービスでクライアントの問題が果たして解決するのかね」というような疑問を営業者が考え込んでしまうような可能性と深さの程度を最小限にするようなプロダクトを作りたいものだ。

2012-06-13 14:00

(関連リンク)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)
横山 秀夫
文藝春秋
売り上げランキング: 10660
クライマーズ・ハイ [DVD]
角川書店 (2006-05-12)
売り上げランキング: 25901

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波風を立てる挑戦

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どうしても「波風を立て」「一悶着を起こし」「波乱を期待し」てしまう自分がいる。

もちろん別に、わざわざ面倒「だけ」を起こしたいとか、人の気分を害したいというのではない。
やはり率直であることが、より正しそうなこと、面白いことに近づく近道だと思うからだ。

言いたいことを言うメリット | deathhacks

だから、よほど親しくなった相手とか、シビアなビジネス現場とかでなければ、私もあまりそんなチャレンジをしないし、そもそもその対象に強烈な興味は湧かないし、ニコニコへらへらしていれば楽だし、頭を使わないし、それでいいと思っている。

それにこういう指摘は子どものしつけと一緒で出来事や発言の直後でないと効果や変化は得られない。
一瞬あとには、もう考えたことを言いづらくなる。
繰り返されても、「最初になぜ言わなかったのか?」ということになる。

常に素直に、率直にあろうなどとは思わないが、そうするチャンスを見つけ、素早く判断する訓練はしておいたほうがいい。

ただし(そして)、自分自身に対しても率直なフィードバックが返ってくることは覚悟、もとい期待している。

2012-06-10 09:00

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再考:カウンセリングとセールス;原則と例外の二分律

20120607152154

以前から思っているが、心理カウンセリングと営業ヒアリング・売り込みは、その本質はまったく同じだ。

介入前ミーティングは「売り込み」の場だ | deathhacks

ビジネス書や営業系の研修などの内容を見ていても、ますますその意は強くなる。
逆に「違うところはどこだろう?」と思ってしまうくらいだ。

あとは、

  • どこまでを体系的に学び、どこからOJTで現場で学ぶか
  • 現場の学びをいかにして、体系やマニュアルに取り入れるか。そして仲間うちでシェアするか
  • 体系として、原則と例外をどう見極めるか

などが意識していくべきことになる。

特に最後の「原則と例外を見極める」というのは興味深い。
賛否はあるだろうが、世の中ありとあらゆるものは、2つに分けられるし、必ず境界を持っているという認識がビジネスであっても心理でも有効だ。

世の中はデジタルでできている | deathhacks

2012-06-08 07:00

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AKB48でスピーチのお勉強

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AKB48総選挙(2012-06-06 イベント)は人前で話すことのコツについて考える良いネタになった。

順位が決まると壇上で一人ひとりに喜びを(あるいは悔しさを)表現するチャンスが与えられる。
ショウビズとしての評価やあれこれはさて置き、これだけ注目された状況で、これほど多くの者がメッセージを語る機会というのはそうはない。

日本のアカデミー賞ならけっこう近いかと思うが実際注目度は劣る。
紅白歌合戦はいまだ最大級の注目が集まるが、基本的には歌唱というパフォーマンスしか行うことはできない。

AKB48の壇上スピーチでは、なんとか目立とう、感謝しよう、「自分らしさ」をアピールしようと皆必死だ。
研修や講演と一緒で、一方通行のコミュニケーションはあまり好ましくない。
この辺は多くのパフォーマンスでは(日頃から?)心得ているようで、しゃべりの間を置いて、ファンからの声援を待ったり、拍手を受けるタイミングを用意したりしている。

しかし、うまく観衆のリアクションがハマる者もいるし、妙な間や空気を醸し出してしまう者もいた。
もちろんテレビ中継もされるし、それこそショウ「ビジネス」だから、壊滅的な雰囲気になったりはしない。

よく考えれば、彼女らはいわゆるテレビタレントとしてだけでなく、いわゆる「劇場」でファンや観衆との生のやり取りを鍛練しているそうだ。

AKB48のように現場を踏む | deathhacks

だが、そういう訓練や背景を持っているにしても、さすがに個々の経験や能力・技術には差があるから、こうしたイベントでは前述したような不具合も出てくる。
そうした「失敗」というか「改善点」を見ることができるのも良い機会だと思える。

そうした「未熟性」や「成長する余地」をショウやビジネスとして提供しているというのがAKB48グループのそもそものコンセプトの一つであることは今更の話なわけだけれども。

2012-06-07 16:00

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ユーザーの声を聞くだけ

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顧客の声を直接に聞くことはとてつもなく大事だ。
それ以外にできることやれることやるべきことは、考えて行動することしかない。

自然とサービスや営業などのフロントラインに位置していて、消費者と会話することができるならば、こうしたことをことさら意識はしなくて良い。
しかし、自分の立ち位置がそうではないとか、そうである時間が少ないということに気づいたのならば、意識して積極的に前に出て現場に立たなくてはいけない。

本当の答えは顧客自身が知っている。
自分の問題は私自身しか知らない。

現場、現場、そして現場だ。
悩んだり、停滞したり、引っかかったりしたときには、現場に出て、外を動き回り、風や空気を感じて、身体を動かし色々な汗をかくと良い。

刑事ものの小説やドラマなんかと同じ原則がビジネスにも当てはまる。
「現場百遍」だ。

2012-05-30 09:00

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