もう1日8時間労働するのは馬鹿馬鹿しくないかい

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最近特に1日8時間労働を法的な基準として管理の根拠にすることに疑問を感じます。
自分の労働時間にもっと関心を持ちませんか。
本当に1日8時間、週40時間、あなたは働く、あるいは働かされなくてはいけないのですか。
時間はあらゆる人に取って平等に与えられた、最も貴重な資源です。
1日の3分の1を組織や社会に捧げて、あなたは十分な見返りや満足を得られていますか。

おそらく産業革命以降、教育や時間という概念、そして時計という時間管理のための道具が普及しました。
完全に一方的なものではありませんが、企業や雇い主は時間を管理して、労働者から「時間」という資源を買い取る契約を結ぶようになりました。一方的でないというのは、この契約は原則としては自由意思で結ばれるし、双方にメリットがあったからです。
多少の変遷や相違はありますが、今の近代国家で、企業や団体、行政が労働力を雇うときの基準はだいたい1日8時間、週40時間内外です。
しかし、この数字は慣習的に決まっているという性質や、雇用という形態が始まった頃の雇用者と被雇用者の知識や資産の格差による力関係などからきているものとみることができます。
その仕組みや基準ができてから200年くらいしか経っていないことや、現在の世の中が変化の速度をさらに速めていることも考えなくてはいけません。

全人類の中での比率で言えば、ナレッジワーカーと言われる、管理者や雇用者でなくても、時間を基準にして労働力を提供するのが適切とはいえない労働者は確実に存在しています。
十分な成果を上げたならば、残りの時間や人生は、別のことに使う権利があります。余暇に当ててもいいし、さらに労働して成果を増やすといった選択は自由でしょう。そこに多様性があることが大事です。

もちろん単純に、純粋な成果主義の推進を主張しているのではありません。世の中には時間にキチンと比例して成果が得られる仕事が多くあります。工業製品の生産にはそういった面が確かにあります。
また、単に時間を拘束されることが組織に対しての成果になる仕事もあります。
危機管理や軍隊の待機という仕事は、乱暴に言うとなんの生産も消費もしていない労働時間ですが、必要です。

労働者にとっても成果を厳密に測定されるよりは、時間を切り売りした方が精神的にも肉体的にも望ましいという考え方や状況もあります。
時給が決まっている雇用契約では、その契約した時間をしのいでしまえば、報酬を受け取るための条件の主な部分を満たしてしまうかもしれません。

世の中には数字などで明確に良悪を判断できるものがある一方、数値では表せない価値判断も同様に存在します。
しかし、仕事に限らず、プライベートでも、時間という資源に敏感になる必要があります。
費用対効果、時間対効果という視点は、必ずしも何かを変える結果にならずとも、常に意識するべき知恵でしょう。

2010-04-25 9a.m.

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