日記はカウンセラートレーニングとして

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日記を書くことは、カウンセラーとしての訓練になります。
私が書いているのは「日記」というよりは「日誌」と言ったほうがいいかもしれません。
あるいは本当に雑多なメモ帳であり、「何でもノート」です。
元々はっきりと「日記をつけよう」とか「日誌として日々の記録を残そう」という意識はありませんでした。
思いついた簡単なアイデアや発見、しなくてはならないToDo、その日食べたものや読んだ本、観た映画まで「ありとあらゆるものを書いてもよい」ノートだと考えています。

なぜ日記や日誌をつけるのがカウンセラーとしての訓練になるのでしょうか。
それは、自分の思いを文章にすることによって、思考が進み、深くなり、新たな発見があるからです。
より自分を知ることによって、他人や世界を知ることの助けになるような気がします。

日誌と考えれば、いきなり自分の感情や思考と「向き合おう」などと構える必要はありません。事実や行動の記録でいいのです。
例えば私はこんな風に書いていったりします。

スタバに行った。
店員さんの感じが良かった。
テーブルががたついて、勉強がしにくい。
客商売の店のトイレはキッチリと掃除しておかなきゃダメだな。

後ろで男女が口げんかしてる。デート中みたい。
原因は何かな。聞きたくなくても聞こえてしまう。
どうも女性が、男性の女友達との仲を勘ぐっているらしい。
男の方に誤解されるような行動があったらしい。
でも男性は全然そんな気はない、の一点張りだ。
女性は納得しない。でも男性を責めているというよりは、ただもっと構って欲しい様子。
別にこのケンカで別れるということにはならなそうな雰囲気。
男性は、もう事実を否定するとかではなく話の角度だけ少しずらせばいいのに。
女性の方が男性への想いが強そうだから、勝負として見ると歩が悪そう。
男性は気付かなそうだが。

というように、取っ掛かりの事象のスケッチや思いつきから始まって延々とメモが続いてしまうことがあります。
こんなメモや記録が他人の気持ち、人間の感情の動きについて考えてみるきっかけ、訓練になります。
こういった練習がカウンセリングでの、思考や感情、心理の考察・理解に役立つと思うのです。

自分の思考を文字文章にして外部化することによって、頭の中だけで扱うだけよりも客観的に観察していくことができます。また、ときに日誌を読み返すことによって発見やひらめきが得られることもあります。意外な自分の性質や年単位での変化あるいは「不変さ」に気付くことが何回もありました。

こういったノートを2007年初めからですから、なんのかんの3年くらい、のほほんと書き続けています。
なかなか知人で、日記や日誌を書いている人は少ないのですが、世間一般にもそうなのでしょうか。

2010-04-26 7a.m.

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