人を労働に縛り付けるもの

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日本では労働は義務となっている。
だが普段それが意識されることは少ない。
皆だいたい、生活のために労働して稼いでいるか、好きなことを仕事にできているために労働しているという意識がないかのどちらかだろう。

ある人を外からの強制力で労働させることは、現代では禁じられている。
これを奴隷労働という。
ただし、先述の「生活の糧を得るために嫌々しかたなく働いている」としても一般に奴隷労働だと見なされないのは不思議だ。

労働が強制されるのは不幸の一つだが、それによって個人や社会の成長と発展がなされたり、労働の成果や結果としての喜びが発生するのも経験的には確かだろう。

ある時間拘束されて労働し、それに対して成果が支払われる(正規社員労働も時間給労働も基本的にはそういう仕組みだ)。
そうすると人間は拘束された時間の分、コミットし、責任を感じる。
能力とか、仕事の好き嫌いという要素だけでなく、どれだけ時間という限られた資源を投入したかでも、モチベーションは変動する。

2012-09-17 08:00

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永く勤めたくないと言うのは不遜だろうか

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前の仕事をせっかく刹那的に辞めたからか、また固定した環境で、じっとするのが勿体なく思える。

仕事や、経済や、自分の能力、人間性なんかを、色々な評価軸、現場で、冷静に判断したい。

例えば、働くときに、組織に属していれば、極論として自分が直接に顧客からお金をもらわなくても給料が入ってくる。
日当でも、月給でも、今受け取った1万円は、本当に自分が1万円分の価値のある、経済活動をしたとか、何かを生み出したとかいう正当な結果だろうか。

できれば働いた分だけお金が欲しい。
これは単にお金を稼ぎたくないというのではなく、働いて社会になにがしかの「変化」を与えてもいないのに、「反応」を得ると変な気持ちになるからだ。
逆に、自分が、外部に変化をもたらしたのならば、1円でも過小評価されるのはなるべく避けたい。

社会の仕組みはそんなに完璧ではないし、自己評価と他人からの評価は必ずズレがあるのは承知はしている。

常にどんな瞬間でも、所属を変わったり、仕事を辞めたりしても、色々な面で貸し借りのない状態でなるべくありたい。
わがまま。

2012-03-28 08:00

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始める前に終わり方を決めておこう

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物事なんでも終わりや区切りが大事だ。
大事だ、とあらためて強調したり自分に言い聞かせたりする必要がある、ということは、意識していないとダラーッと過ごしてしまったり、苦手に感じているということでもあるのだけど。

まず、「何事にも終わりはある」ことを自覚する。
または「何事も終わらせなくてはいけない」

裏を返せば、常に「続けるかどうか」を自問自答する。
自分一人の中や周りでも、結構なコストがかかっているのに、惰性で続けているものは多くありうる。

小さなもので例をあげれば、ケータイやらオンラインWebサービスなどで、使っていないのに月々の定額コストが知らないうちにかかり続けていたりする。
そうしておいて、日々の生活で同じような金額をキリキリと節約したりしていてもバランスが悪い。

ある仕事を続けるかどうかも、大事な問題であるはずなのに、思考停止しやすいテーマだ。
もちろん時々の稼ぎがなければ、生活していく上での自由が少なくなるかもしれないが、本当に今やっている仕事を続けることが、様々な期間で考えて、どのようなメリットとデメリットがあるかを吟味する必要はある。

大事なのは辞める(止める)ことを意識すること、具体的な準備をしておくことだ。
具体的な準備や見積もりは、何かを始めるとき、あるいは何かを始める前に、早速しておくのが一つの理想だ。

こうした考え方は、最近目にした、ドラッカーの「決定しない、という決定も重要だ」という言葉や、「To-Do List だけではなく Not-To-Do List もつくっておく」というやり方に通じるところがある。

2012-03-04

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急に仕事が来たので

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めずらしく休日朝の勉強先から職場へ。
年に1回あるかないか。
なので今日は遅れて、ただの出来事記録エントリ。

写真は今朝撮ってきた桜。

2011-04-09 12:00

離婚するようなもの(比ゆとして)

話を聞いたのと2年後からの話と知って思わず買っちゃった。ワンピース初めてー。

10数年寄り添って。
ミドルエイジ・クライシスのような?
特に明らかに不満やトラブル、嫌悪があるわけではなく。
このまま、それなりに我慢を続けて関係を維持していくこともできる。
その方が、大人であり、社会的・一般的にはノーマルだろう。
そこまでもわかっているつもり。

人に話すと「そんな嫌なの?」「他に好きな人がいるの?」などと思うらしい。
そんなことはなくても当事者にとっては「なんとなく」現状維持が嫌になっている。
「清算、したいの?」とも訊かれた。
そう。
そんな感じ。
自分では「リセット」という言葉でとらえていた。
「どんな人生でも楽しいことばかりでない」という一般的な忠告も一理あるけれども、「今」「現在」「現状」を苦しく感じているのは確か。
苦しさが間違っていて、変化することによってさらに苦しくなるとしても、それでも動きたい、感じがする。

2011-02-05 07:00

セカンドワーク組織でこそ理念が重要になる

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フルタイムジョブ以外に副業として参加している人が大部分という組織において、結束や認識を統一し、スムースに運営するためには何が問題でしょうか。
(ここで「副業で」というのはもちろん、メインジョブの規定に触れずに就ける業務形態という前提で)
ある意味片手間の組織や活動だからこそ「理想や理念、考え方、倫理感」などをできるだけ同じにしておかないと様々なトラブルが生じるでしょう。
一見、メインでないのだからそのようなベースの部分はある程度あやふやでもなんとかなるのではないかとも思えます。
しかし、そうとも言い切れないと考えています。

当初はサブの活動として、各人の時間や労働コストをうまく活用・投入できないことが問題と思っていました。
しかし、それよりも細かな思想や理念、人間関係などが無視できません。
なぜならば、フルタイムの活動、主な食い扶持を稼ぐための労働契約・組織所属であれば、一人ひとりが妥協しなくてもよいし、組織や他の参加者の言動に対して我慢しなくても良く、最終的には参加を止めてしまえば良いという状態だからです。
これが、いわゆる「正社員」で労働契約しているのであれば、稼ぎがあり、被雇用者として正当に守られる部分があるのとは逆に、個人の欲求や組織への意見を封殺しなくては関係を継続できないからです。

メインビジネスでは組織・会社の存続や売上・利益・株価のアップなどさえ達成出来れば、短期的には問題がありません。

純粋に「ある志」で集まった人たちによる活動においては、いわゆる会社組織と異なり、所属個人が妥協・我慢するインセンティブが非常に低い、理由付けが乏しいということです。

2011-01-02 12:00

仕事というのは実行半分責任半分

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ある仕事をするのにその人がふさわしいかどうかを決める要素は2つあります。
一つはその仕事を為す、達成する、成果を上げるための能力や知識、技術があるかどうか。
もう一つはその仕事を為し得なかったとき、失敗したときなどに責任を取れるかどうか。
これらは半々の重要性、比率を持つように思います。

気をつけて考え直してみると、ある役職に就けたり、仕事を任せたりするときに、その難易度や個人の持つ能力との大小だけを考えてしまうことがあります。
しかし、世の中のあらゆる「仕事」において、その定義上「やらなくてもいい仕事」というものが存在しないと考えると必ず「責任」というものもセットになって付いてきます。

半分半分、半々とは書いてきましたが、その仕事が高度になればなるほど、組織のヒエラルキーでいけば管理者、経営者など上位になるほど、多くの人に教えたりする立場として接触が増えれば増えるほど、責任の比率は増えるでしょう。
会社組織の上長やトップ、軍隊の指揮官などは多くの場合「責任を取る」ことが最大の仕事になります。

責任を取る、とは部下や周囲に責任を負わせないことでその能力を最大限に発揮させ全体としての利益を最大化することもそうです。
個人として、あるいは集団としての仕事の結果に対して、あきらめさせることも含め説明し納得させることも責任の取り方としては十分にあり得ます。
(これなどは、話術や政治というややあやしい要素が入り込んでくる可能性がありますが)

2010-12-02 07:00

メールが増えたら電話も増えた

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メールを使いこなし、メールを増やしても、それによって電話や直接会ってのコミュニケーションの代わりとしたり減らしたりすることはできません。
私個人で言えば、メールが増えると同時に、電話をすることもかかってくることも、直接に会うこと、会わなければいけないことは増えています。
ただしこれは、単にコミュニケーションの量や頻度、必要性の総和が増えているからということも分かってはいます。

メールは十分に考えて、伝えたい内容・項目をうまく列挙できればとても有効なツールです。
お互いに記録も残ります。
一対多のの連絡手段としては唯一無二のツールと言っていいでしょう。
電話では基本的に一度に一人としか話せません。
テレビ放送は一度に多くの人に情報などを伝えることはできますが、相手をはっきりと選んだり限定することは難しいという性質があります。

ただし、メールで微妙なニュアンスを伴う内容を伝えようとしたり、一方の人間だけでも文章力、表現力が低い状況では悲惨な結果や残念なコミュニケーションが生まれます。
誤解が生じたり、感情がもつれたり、何往復もチャットのようにメールを書かなくてはいけない状況はメールをうまく使っているとは言えません。
電話1本かければよほどキチンと情報が伝わる、気持ちよく物事が進む、直接に会えばなおさら、という場面を見ることが最近増えました。

現代で、離れた場所で様々な時間帯で生活し活動している人間同士がコミュニケーションをして共に仕事をするためには会うこと、電話すること、メールすること、これら3つをうまく使い分けなければいけません。

ここに、ブログやTwitter、Skype、SNS、チャットサービス、クラウドストレージなどをうまく加えることができればさらに効率化は進みますが、対面・電話・メールとの間には大きな隔たりがまだまだあるのが現状です。

2010-11-24 06:00