自分がするコメントの目標と評価をどうするか


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メンタルヘルスの教育の中でグループワーク・実習をした後には指導側から全体へのコメントをします。
このとき時間が十分にあれば指導側複数全員にコメントをする機会があります。
そんな場面で私が考えていること。

今のところ幸いに思うのですが、教育現場で私は、最も年少か一番キャリアが短いかまたはその両方であることが多いです。
すると、コメントをしていく順番はキャリア・経験の少ない者からしていくのを常にしていますので、私が一番始めにコメントすることになります。
これがとても楽と言えば楽なのです。
「ルーキー(新人)特権」とでも言えます。

先にコメントすれば、同じことを言う、他の人とコメントがカブってしまうことを気にしなくて良くなります。
また、多少ズレたことを言ってしまっても後からコメントする「先輩」方に修正や補足してもらうことを期待できます。
(相当に互いの連携・信頼があることが条件ですが)

自分がしたコメントについての評価はどう計ったら良いでしょうか。
まずは被教育者を見て、表情やうなずき、メモを取っているかなどで、自分が言ったことが的を射ていたかがわかるかもしれません。
しかし、実はこの方法は有効ではない可能性があります。
なぜならば我々の教育の基礎で、カウンセリングなどの場で、相手が話しているときに興味津々にうなずきながら聞くことを特訓しているからです(笑)。

では他に評価の手がかりはあるでしょうか。
私は始めに書いた「カブり」に注目しています。
私より後にコメントする人が「前にも似たようなアドバイスが出ましたがー」とか「(私)クンが言っていたようにー」というセリフが出たならば、ある程度適当なコメントができていた、視点が大外れではなかったと考えられます。
自分よりも後に話す上級者が「カブった」「もう一度強調する価値があると感じた」と考えられるからです。

そういうわけで、コメントやフィードバックの場は「業界ルーキー」の私にとって、被教育者への知識や技術、アイデアやテクニックの提供の機会であると同時に、自分自身を試す場でもあるし、戦略や結果を大いに楽しむ(楽しめる)場でもあるのです。

2010-10-18 07:00

長めの付け加え。
コメントするのが自分一人であったり教育全体を管理・コントロールする立場である場合には、良かった点と改善点などをバランス良くしないと、被教育者が過剰に意気消沈して「ヘコみ」過ぎてしまうかもしれません。
ただ、始めの方にルーキーとしてコメントするときにはその辺りのバランス取りはあまり考えずに後続に任せてしまっても良いのかなと最近思ってきました。
自分のパートで無理に褒めるところを見つける不自然さが出るかもしれませんし、ルーキーのレベルで被教育者を労っても却ってワザとらしく感じさせるような気もするからです。

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