私が今メンタルヘルスの領域で目指すのは「エキスパート」ではなく「プロフェッショナル」です。
その分野における知識としてはエキスパートとプロフェッショナルに大きな違いはなく、むしろエキスパートの方が優っているイメージがあります。
しかし、エキスパートとプロフェッショナルの違いは、何に対して責任を持つかという点だと考えています。
エキスパートには客観的・科学的正しさを追求する責任があります。学者や研究者がその代表です。学術的、学際的に当初は多様な意見や説があってもいいのですが、最終的には不変な「真理」を求めることが目的とされます。
エキスパートは原則として、その時々や状況でやることや言うことがバラバラではいけません。統一性や普遍性が必要です。
一方、プロフェッショナルが責任を負うのはそれぞれのケースのクライアントに対してです。これはクライアントの言いなりになるというわけではなく、クライアントが結果的に満足するような落とし所を提供するのがプロの仕事なわけです。
プロフェッショナルは請け負った仕事について、結果責任を負わなくてはいけません。法的あるいは契約として責任がない場合でも、問題を収拾することができなかったり、悪化させてしまったりしたときには、道義的または社会的な責任をとらなくてはいけないと私は思います。
世の中には論理的・科学的には正しいけれども実現できないことや感情的に納得できない事象が数多くあります。健康に悪いことが分かっていても食べ過ぎて太ってしまうとか、お酒を飲み過ぎてしまう、タバコを止められない、などといったことです。犯罪とされることは、それ自体法的に「悪」とされていて、刑罰を受けることもありますが、それによってすべての人が「意図的には犯罪をしない」と考えるのは現実味がないでしょう。抑止力があったとしても人間は時に、あるいは多くの場合で非論理的な行動を選んでしまう生き物と言えるでしょう。
かと言って、何もプロフェッショナルが、クライアント以外の人や社会に対して明らかに不利益となる行為をしたり、そうなる予想がつくことを見過ごしたりすることを推奨してはいるのではありません。結局はプロフェッショナル個人も社会に属しているはずですから、自身の存在を危うくするような反社会的言動や行為はとりにくいでしょう。
ここで、「現場感覚」「バランス力」というものがプロフェッショナルには必須となってくるのです。
今回、エキスパートとプロフェッショナルとを対立するもの、まったく違う立場のようにして比較しましたが、この二つは実際にはまったく相いれないというものではありません。人によって、あるいは同じ人でも状況によって、様々な比率でエキスパートとプロフェッショナルが混じりあった考え方や行動を取るのが普通です。しかしその比率や主たる立ち位置をどちらに置くかが現場でどんな言動を取るかの分かれ目になります。
それを判断するための能力こそがプロとしての「現場力」であり、「バランス力」だと思っています。現場に応じて「妥協する(させる)力」と言ってもいいかもしれません。
メンタルヘルスの現場では、人間関係などに関して様々な社会の中で起きたトラブルへの対応が求められます。どちらが正しいとか、何が正しいという問題解決であれば、論理的思考や法律的議論が役に立つのでしょうし、その意義を否定はしませんが、少なからぬケースにおいてそれら「だけ」では状況が改善しないばかりか悪化しさえするのが現実です。
カウンセリングやケースワークなど、メンタルヘルス関連の方法論や技術はもちろん万能ではありませんが、そのプロとしての能力や力はとても有用なものであり単なる知識の集まりであってはならないでしょう。
2010-04-10 9a.m.
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