カウンセリングにおけるスーパービジョンを、カウンセラーが自分が担当するケースについて上級者の指導を受けること、とだけ考えると敷居が高くなってしまいます。
個別カウンセリングを、クライアントとカウンセラーの二人だけで進めていると、必ず何かしらの要素や視点の見落としがあります。見落としをゼロにはできませんし、社会や人生は多様です。カウンセリングの進め方もそれに合わせて、多様性を確保するために他者の視点を入れた方が良いでしょう。
そのためには「スーパービジョン」が持つ、固い教科書的なイメージから自由になる必要があります。
まずスーパービジョンを受けるタイミングについてです。そのケースが難しいと感じたり、以後の進め方に迷いが生じたりしたときに初めてスーパービジョンを求めるのは危険です。そのようなタイミングになってからではカウンセラーにスーパビジョンを受けることに対する心理的抵抗が起こるでしょう。
それよりは定期的に、あるいは毎回必ずスーパービジョンを受けると決めておいた方がタイミングに関して意思決定をする手間が省けます。
また、困ったときだけでなく、うまくいったときに
特に初心者は初期から自分のスーパーバイザーを依頼しておいたりリレーションをつくっておくことが大事です。
さて、スーパーバイザーはどのように選んだらいいでしょうか。
まったくの独学で学んだのではなく、学術的、体系的に学んだカウンセラーには誰かしら「師匠」がいると思います。自然とその「師匠」をスーパーバイザーにすることが多いでしょう。しかし師匠は多数の弟子を抱えていることが多いため指導を受ける時間や機会に制約があります。
私としては、必要なとき、受けたいときにスーパーバイズを受けるために、なるべく多くのスーパーバイザーを持つことを勧めます。そして老若男女、多彩なメンバーを自分なりにあらかじめそろえておくと良いでしょう。ケースの内容・テーマや、時間・場所の制約、その日の気分(!)に合わせてスーパーバイザーを選んで相談すればいいのです。「うーん、今日は異性の意見を聞いておこう」とか「この人なら似た経験がありそうかな」というように。
ただし、常に厳しい人や、いつもポジティブに褒めてくれる人などの特徴は把握しておかなければいけません。
またスーパービジョンはあくまでも「以後、そのカウンセラーがそのケースやそれ以外のケースで、よりうまくクライアントをサポートできるようになる」ことが最大の目的ですから、それ以外の部分については多少道理を曲げてもいいと思っています。
明らかに失敗してしまったケースについて、無理に正直に報告して非難を(私的に)受ける必要はありません。少しなら「ウソ」をついてもいいとすら思っています。
常に正直にあるべきだと自分に要求することは、クライアントがカウンセラーに常にすべてを正直に話してくれると思い込んだり期待することと同じようにナンセンスです。
もちろんその内容についての自己認識や内省はしなければいけません。自分の実力や責任の範囲で誠実であることは必須です。
スーパービジョンは、受けることのメリットはわかっているけれど躊躇してしまったり、まだ今の時点では要らないと思ってしまったりしがちです。
スーパーバイザーから、正しいとは思えるけれどできない、もしくは、実行が難しいアドバイスをされるのではないか、あるいはマズい点を指摘され責められるのではないかと不安になる気持ちは、正にカウンセリングに来るクライアントと同じ心理です。
スーパービジョンには、制約や枠がまったくないわけではありませんが、カウンセリングと同じように、無数のやり方や考え方があるのではないでしょうか。
2010-04-03 9a.m.
(引用追記 2011-02-22 07:30)
p.27
自分の考えをまとめる第二の方法は、スーパービジョンである。具体的な場面をめぐってスーパーバイザーと意見を交換することによって、自分の納得できる考えが形成されるからである。日本ではスーパービジョンが制度化されていない。プロのカウンセラーになるためには、スーパービジョンは不可欠条件だと思う。スーパーバイザーが身近にいない場合が多いと思うが、そこは仲間同士のスーパービジョン(peer supervision)で補うとよい。どんぐりの背比べ同士でも、自己盲点に気付かせてくれることはまちがいない。– 学校カウンセリングの基本問題、國分康孝、誠信書房、1987年
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