世界はデジタル、記号、1か0かの違いからできています。
一見アナログと認識されたり考えられているものでも物質や事象として分解していけば必ずデジタル(1か0か)で表現することができます。
感情や思考、健康など、そしてそれらが合わさった人生や文化、社会というものもデジタルととらえることができるはずなのです。
「はず」というのは時間や労力(エネルギー)などの制約があるためです。
すべてをいつでもデジタル-アナログに変換することは現実にはできないことです。
ただし、どこかにこの考え方を持ち、質(アナログ)と量(デジタル)が転換する部分を常に見極めようとすることが大事です。
カウンセリングやコミュニケーションでのメッセージコントロールであれば、いつどのタイミングで、どんな角度で、どんな周波数で、何回くらいうなずけば、相手に「結果として良い」メッセージが伝わるかという視点になります。
そこには感情やフィーリングというファジーでアナログな要素・判断しかないように思う人は多そうですが、科学的視点を入れようとするならばデジタルとしてとらえるしかないのです。
科学的視点には計測可能性や客観性、再現性が必須です。
- 計測可能性
観察と計測・記録ができること - 客観性
誰が観察しても同じ結果になること - 再現性
繰り返したならば同じ結果になること
例えば私が100mを20秒で走ったとしても、周りは特に何も思わないでしょう。
せいぜい「お疲れさまー」と感じるくらい。
しかし、同じ100mを10秒で走ったならば、日本中が注目するかもしれません。
そこには賞賛や親切、感動、金銭的価値などが生まれる可能性がでてきます。
でも考えてみると20秒と10秒というデジタルな違いしかそこにはありません。
おそらくある条件・状況の数字の違い(デジタル要素)に人間は物語を読み取るのです。
ただ100mを走るだけのことの背景に努力や栄光の未来など。
人生や感情と同じくカウンセリングやコミュニケーションはそれぞれ1回のみの勝負であることは確かです。
しかし、それを完全に行き当たりばったりのアナログ性や人間性、相性という角度だけで見ていては学問・科学としての蓄積・発展・共働はできません。
人生・カウンセリング・コミュニケーションに対してデジタル的視点を向けアナログ敵視点との接点やバランスを取るのが良いのでしょう。
2010-11-25 07:00
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