陰口というわけでもないけど、聞きたきゃ聞けばいいのにと思う

R4003266

世の中、腑に落ちなかったり、釈然としない事だらけだ。
ある人が自分の視点や価値観だけに頼って物事を見てしまっている時にはなおさらそういう世界観に陥るだろう。

そんなときに必要なものは、解釈や非論理的なビリーフを修正するような転換なわけだけど。
それに要するものはまず情報だ。
そして情報を得るためにはコミュニケーションが必要になる。

ところがうまくコミュニケートするためには適切な解釈や論理を持っていなくては行動に移せなくなる。
相手に対して何かしらの疑心や恐れを持っている場合、自分が行動したり考えたりしていることが間違っているのではないか、正当ではないのではないか、恥ずかしいことなのではないか、などの思い込みがある場合、コミュニケートすることは自分の立場を危うくしたり、評価を落とすことになる(ように思える)。

かくして、間違った解釈→情報不足→コミュニケーション不全という悪循環はどこかの時点で誰かが高所から見直し手を加えなくてはキープされてしまう事例が多々ある。

2013-01-23 09:00

スキューバダイビングを始めてみた

null

やってみると色々考える点があって興味深い。

これは趣味なのか、スポーツなのか。
スキルアップのシステムや、見せ方・インストラクションの流れなど。
人間模様にも様々ある。
使う器材には科学技術が詰まっている。
自然環境との闘い、あるいは共存・協調という面もあるから危険や厳しさもつきまとう。
営業的な部分での工夫や、自身の判断そして目利きなどについても参考になる。

2012-11-08 07:00

Posted from Drift Writer on my iPad

失敗なしにコミュニケーションは学べない SNSも然り

null

SNSでトラブルになるのは失敗を許せないシステムになっているからだ。

我々は、会話なり、集団生活なり、あいさつなり、様々な場面でのコミュニケーションをどんな風に学んできたかといえば、実践、実体験、そして失敗を通してだ。
言葉や会話を、学校のようなところで勉強して初めて覚えたという人はまれだろう。
皆家庭や小さなそれぞれのコミュニティでそれらの能力を得てきていることがほとんどだ。

その過程で一度も失敗や間違い、勘違い、あるいは恥ずかしい思いをしないで大人になった人はいないはずだ。
皆、試して、そのフィードバックをもとにして、習得してきた。

コミュニケーションのシステムとしては新しいFacebookやTwitterなどで、それを使い始めるすべての人に、ミスを一つもしないことを要求するのは過剰だ。
そうした要求は、何もしないというような消極的、消去法的な訓練やトラブル予防、対処しか生まず、不適切なのではないか。

すでに利用者が持っているコミュニティでの立場や責任をSNS内でまったく捨ててしまうことはできないのかもしれないが、失敗を許さないことが必ずしもプラスにはなっていない。

繰り返すが、失敗をしてしまうことが必ず悪いのではなく、ハナから失敗できないという運用に問題がないかを考えた方が良い。

2012-09-05 09:00

Posted from DPad on my iPad

波風を立てる挑戦

R4002211

どうしても「波風を立て」「一悶着を起こし」「波乱を期待し」てしまう自分がいる。

もちろん別に、わざわざ面倒「だけ」を起こしたいとか、人の気分を害したいというのではない。
やはり率直であることが、より正しそうなこと、面白いことに近づく近道だと思うからだ。

言いたいことを言うメリット | deathhacks

だから、よほど親しくなった相手とか、シビアなビジネス現場とかでなければ、私もあまりそんなチャレンジをしないし、そもそもその対象に強烈な興味は湧かないし、ニコニコへらへらしていれば楽だし、頭を使わないし、それでいいと思っている。

それにこういう指摘は子どものしつけと一緒で出来事や発言の直後でないと効果や変化は得られない。
一瞬あとには、もう考えたことを言いづらくなる。
繰り返されても、「最初になぜ言わなかったのか?」ということになる。

常に素直に、率直にあろうなどとは思わないが、そうするチャンスを見つけ、素早く判断する訓練はしておいたほうがいい。

ただし(そして)、自分自身に対しても率直なフィードバックが返ってくることは覚悟、もとい期待している。

2012-06-10 09:00

Posted from DPad on my iPad

カラオケによって業界のレベルが上がったことから

R4001857

以前に書いたエントリ(カウンセラーに向くのは新しいものを受け入れられる人 | deathhacks)の通り、プロのカウンセラーは停滞していてはいけない。
学び、トレーニングし続けなくてはいけない。

世の中や世界に普遍的なもの、要素は確かにあるが、それ以上に変化の量やそのスピード、表現形の多彩さは増えていっている。
人間の根本的な部分はなかなか変わらなくても社会はどんどん変わっていく。
メンタルヘルスやうつの知識は、そのレベルや正しさはともかくとして、一般的になってきている。

コミュニケーションのうまさだって、個々を見れば確実に上昇している。
生涯に出会う人間の数や種類は増えているし、言葉や文字を上手に使える程度も向上している。
もっとも、このことはコミュニケーション「レベル」の格差が広がっていることにも直結している。

つまり、メンタルヘルスの知識のような面でも、コミュニケーションの実践や知見の面でも、カウンセラーがプロフェッショナルを名乗ろうとするならば、素人一般人を上回らなくてはならず、それには自身も日々向上し変化していかなくてはいけないだろう。

テレビが普及し、何度かのお笑いブームが訪れ、素人の日常会話の中でも「ウケ」や「オチ」が求められる。
「ツッコミ」や「ボケ」という、元々は専門的な用語だったり、技術だったりしたものが一般化した。

カラオケが珍しいものでなくなったことにより、昔であったら、人前で大きな声で本気で一曲を歌い切るというような、一生かかっても出会わないかもしれなかったような経験がしやすくなった。
それにより、才能が埋もれる確率が少なくなり、芸能としてのプロに向かう分母が飛躍的に増えたことで業界全体の質も高まってきたのではないか。

まったく違う業界、分野のようであるが、社会の変化とプロフェッショナルのあり方に関しての考え方は通じるところがある。

2012-05-10 07:00

Posted from DPad on my iPad

研修・セミナーにグループディスカッションを取り入れる

R1009677

研修などの構成に、インタラクティブな要素、例えば参加者間で少人数のグループを作り、テーマを与えて議論してもらったりロールプレイをしてもらったりすることがある。
以前は、そうした手法について、「まあ講義や講演を聞いているだけだと皆飽きてしまうよなー」とか「でもグループの中で収拾がつかなくなってコントロールが効かなくなったら怖いな…」とかいう感じを持っていた。
しかし、今では1時間に満たない、ごく短時間の場でない限り、積極的に取り入れるべき、あるいは必須のやり方だと思えるようになった。

グループディスカッションやロールプレイ(実習)を用いる理由には3つある。

  1. 参加者の思考や参加者間のコミュニケーションが活性化する
  2. 参加者の発言欲、表現欲が満たされ、次につながる
  3. 参加者がいる現場についてヒアリングすることができる

余程のオーラがある人や、カリスマ的人気の演者でもなければ、ただその話を聞いているだけの進行には時間が長くなるほど無理が出てくる。
逆に短時間だったらば、良い時間で有意義だったのに、と思うことも多い。
映画でも、「いくつかのシーンを編集でシェイプアップすればもっと素晴らしく感じたのに!」ということはよくある。

百聞は一見に如かずだ。
話として聞いたことを、あらためて自分の言葉で語り直してみたり、場面を再現してみることで内容の理解や実感、テーマへの興味は確実に高まる。
話すことやプレゼンテーションの演出などを工夫するよりも簡単で費用対効果も大きい。

また、人間誰でも、他人の話を聞いていれば「アレッ。その点は自分の意見ではちょっと違うな…」とか「んっ? この場合にはどう考えれば良いのだろう?」とかいった思念が浮かんでくるものだ。
一方的な講演や訓示などでは、そうした思考は封殺されてしまう。
だが、そうしてしまうのはもったいない。
それを一般的な質疑応答だけにせず、研修のメインに持ってくる。
より参加した感が高くなり、研修が終わった後にも、テーマについて考え続けてもらえる。

最後の理由として、演者側の利点は、参加者の生の意見が聞けるということだ。
どんなに主催者と事前の打ち合わせをして、準備をしても、研修で目の前にいる人らの背景やニーズは正に水ものだ。
その場で臨機応変に、リアルタイムに内容やテーマを変化させなくてはいけない。
それでなくては、リアルタイムに、リアルな場で研修をする意味がなくなる。
ただ単に知識を教えたいというだけなら、本や資料を作って渡して読んでもらう方がお互いに効率がいいはずだ。

こうしたヒアリングは、その研修が同じ集団で連続する場合でも、異なる人たちに対してやっていく場合であっても、その質を高めていく材料になる。
演者側の利点とは書いたが、直接に参加者のプラスにつながるわけだ。

このようにディスカッションや実習をすることには、最初は怖さや予測のつかない不安を感じるだろう。
しかし、コミュニケーションやカウンセリングと同じく、人対人の活動には対話が有効だ。
すべてを演者自らが準備して場に供給する必要はないし、効果的でもない。
テーマへのより適切な答えは、参加者ら自身、またはその場皆が持っていて見つけ出していくものと考えてよう。

2012-05-01 07:00

Posted from DPad on my iPad

1割がエラそう、9割フツー、という感覚

R0014124

今どきはもう多くないのかもしれないが、医療の中で、患者らは弱くて怯えている立場、医者らは偉そうにエバっているというステレオタイプなイメージがある。

私から見たり感じたりしても、確かに全体の1割内外の医者は威張っていたり、そう見えたり、空気が読めなかったり、社会性に疑問があったりするのかもしれない。
つまり、残りのほとんどは(そう言うのも実は変だが)まともで、ある程度以上にキチンとしているし、社会や組織の中でうまくやっているし、やっていけている。
さらに一部の医者らは極めて優秀で尊敬に値すると思う。
考えてみれば当たり前のことだ。

逆に私は医者や医療側が、一般の人らに別のかたちでサービスを提供する場を見たこともある。
場や状況が違えば、コミュニケーションやそれぞれの立ち居振る舞い、言動も変わる。
それでも、そんな人が大多数を占めるというのでもなく、ほとんどの人は「フツー」だし、互いに「フツーのコミュニケーション」をしている。
医療が平身低頭くらいにサービスをし、受け手側がやや傲慢くらいに振る舞っている国や文化も世の中にはあるだろうということだ。

いくら最高の技術とプライドがある医師たちでも、天皇陛下に対して上から目線の接し方はしないだろう。
(陛下がプロフェッショナルらを見下すようなこともありえないだろうけど)

人間は何か自分(だけ)に有利な状況や条件があれば、それを笠に着てさらに有利な状況を引き出したり保ったりしようとする。
戦略的に考えているわけではなくても、他人から大事にされたい、ほめられたい、サービスをされたいと自然に思って、時にそれは振る舞いや言動にはっきりと現れる。

こうしたことはヒト皆にある性質なのだろう。
人はそれぞれの立場や経験によって印象が変わり、世界や世の中はまったく違って見えてもいる。

2012-02-28 08:00

個人へのフィードバックにおけるメッセージコントロール

20120222114727

他人に何か助言やフィードバックをするときに嫌な感じを持たせにくくするための工夫にはいくつかある。

  • 最初に、言いたいこと、アドバイスは言ってしまう。フォローや微修正は後から
  • 話の途中でも、相手を観察して、トーンを変えたり、話を終わりにしたりと、臨機応変さを持つ

話を枝葉末節的なことや、「別に全然悪いというわけではないんだけどー」「うーん。何と言うか……」という風にはじめてしまうと、聞く側としては「結局何を指摘されるんだろう?」「早くズバッと言ってくれ!」という印象を受けやすい。
とりあえず言いたいこと、言うべきだと思えたことをストレートに出してしまったほうがいい。
軌道修正や補足、誤解していないかの確認や回避、オブラートに包んだ表現にする、などは後からでもできるのだという意識でいた方が良いだろう。

便利なフレーズ、テクニックもある。
何かとんでもなく相手がショックを受けるようなダメ出しをしたとかいうときでも「なんちゃって!…」と言ってしまえば、その前に話したことはすべてはご破算にできる。
極端なことを言うようだが。

フィードバックでいかにも「今は自分が気づいたことを教える時間だ」とばかりに助言を連続・羅列するのもうまくない。
褒めるにしても改善点を挙げるにしても、常に受け手の表情や反応を観察しながらする。
そしてその対話の空気をコントロールしていくと良い。
自分の発言・アウトプットに夢中になって囚われてはいけない。

こうした点・工夫はカウンセリングに通じるものだ。
話とコミュニケーションの流れは常に変化し続ける。
言うべきこと、教えるべきアドバイスなどを順番に予定通りに出していけばうまくいくとか問題が解決するというのではない。
かと言って、万事が行き当たりばったりの出たとこ勝負というのでもいけない。
要はバランスを見切って(繰り返しになるが)できるかぎりのコントロールをするのだ。

2012-02-26 08:00

人に会っていなくても影響は受ける

R4000684

家族や夫婦でもなければ、人と人はそんなに長くは直接にコミュニケーションを取ってはいない。
これは一定時期・期間の職場や学校での人間関係についても同じだ。
そもそも、ヒトは生きている時間の3分の1は眠っている。
眠りの間は独立孤独な時間だ。

しかし、人間は他人の考えや思想、思念というものから影響を受ける。
会っていないときにも、特定の人を思い浮かべる。
会っていたときに話したこと、聞いたこと、そのときの行動などを思い出したり、反芻したり、あらためて意味を考えたりする。
シミュレーション的な議論だってする。
自分が困難にあったり、ピンチになったり、悩んだりしたときに、他者の言動を参考に「もしも、自分があの人だったら、こんなときどうするだろうか」と考えたりもする。

カウンセリングの効果の理由にも似たようなことが言える。
だいたい標準的な悩み相談、カウンセリングとして、たかだか1週間に1回1時間会って話しただけで、なぜ人やその考えが変わるのか。
もちろん時間や感覚に関わらず、ある一言やメッセージがガラっと人生を変えるということはありえない話ではない。
しかし、人と人が直接にやり取りをしていないときにも、同じくらい価値や重さを持った反応と思考が動いていると考えるのはごく自然だ。

「マディソン郡の橋」のように、普通に考えればごく短い期間の人間関係と感情がその人の人生そのもの、キャラクターに深く影響を与え、かつ与え続けるということはあるのだろう。
つまりそれは恋愛に限るようなことではない。

2011-11-17 10:00

(参考)

マディソン郡の橋 特別版 [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ (2010-04-21)
売り上げランキング: 2479
マディソン郡の橋 (文春文庫)
ロバート・ジェームズ ウォラー
文藝春秋
売り上げランキング: 25083