ショウパフォーマンスのポイントは表情だ

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年末や新年、年度始まりなどは学校や会社、同好会やサークルなど、どんな場所でも宴会や出し物がよく行われる時期だ。
カラオケなどと同じく、最近の出し物や宴会芸は凝りまくっていたり、技術や練習が群を抜いていたりしてプロ顔負けのものが見られたりもする。

カラオケによって業界のレベルが上がったことから | deathhacks

芸やショウのメイン部分は身体の動きやダンスのリズムだと考えられることが多い。
練習を重ねていけばどんなパフォーマンス参加者でもある程度のレベル(仲間内でウケを取れるくらいには)には達する。
しかし、最後の詰めとして、ちょっとしたコツを知っていれば、飛躍的に完成度を1.5倍や2倍くらいにも高めることができる。

そのためのポイントは表情だ。
芸やコントの段取り、ダンスの切れやシンクロ具合などは、仮に多少下手であったとしても、パフォーマーがニヤけていたり、照れ笑いをしていたり、観客を気にしてキョロキョロしていたりしていると、見ている側はパフォーマンス全体に集中できない。
もしも動きが完璧だったとしても、その顔つきによってはやる気が疑われたり(プロの芸人さんでないとはいっても)、不安を読み取ってしまったりする。

失敗があったとしも「それがなにか?」「全然平気ですー」くらいの態度を取ったほうが良いことがほとんどだろう。
これは別に強がってポーカーフェイスを貫かなくてはいけないと言っているのでもない。

素人レベルのパフォーマンスでは必ず心理的に「良いパフォーマンスよりも一生懸命さが重視される」のだ。
これは無意識レベルでの好感や印象の良さに通じるはずである。

人間が相対する者の身体全体を注目しているとはいっても、やはり最大限の情報を受け取るのは表情である。
それはショウでもカウンセリングでも「見られる仕事」という意味で同じだ。

2012-12-10 17:00

(関連エントリ)

演技も仕事もやりきることが大事 | deathhacks

出来事の前後で同じ言葉のメッセージが変わる

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できちゃった結婚はしないほうが良いが、できちゃった結婚をしたことを非難するのも良くない。

予防や忠告はよいことだ。
しかし、実際に出来事が起こってしまってから同じ事を言うと違うメッセージに変わる。
ただの非難になってしまうだろう。

2012-04-30 14:00

スマイルポーカーフェイス

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こころの動揺を意識的、あるいは無意識に隠して、柔和な表情を保ちながら対応、コミュニケーションをすることを「スマイルポーカーフェイス」と呼ぶことにしよう。
以前はそこここで、日本人の「アルカイック・スマイル」がやり玉にあげられてきたが、似たようなものだ。

アルカイック・スマイル – Google検索

一方、「ポーカーフェイス」は、手札の強弱や駆け引きを相手に読まれないように無表情を決めこむのを基本とした「メッセージを出さない」「読まれない」ためのコミュニケーション技術で、ポーカーゲーム以外の場面でもよく使われる言葉だ。

ポーカーフェイス – Google検索

スマイルポーカーフェイスだが、質疑応答の場面で、演者や講師が「やってしまう」ことが多い。
もちろんほとんどの場合、悪意はない。
それどころか、質問者に対して、できるだけ好意的であろうとしての表情・メッセージコントロールなのだろう。

しかし、実際には質問の発言をしている間、演者などがうまくうなずきながらであっても、ずっと同じような微笑みをしていると、内容をきちんと受容しているというよりは、「私はあなたの疑問を全部わかっていますよ」「その質問は予想していたし、実は織り込み済みですよ」というメッセージが強くなりすぎることがある。
例え内心では、動揺していたり、適切な応答を必死に考え巡らせていたとしてもだ。

そう考えると、質疑応答のときの、受け手(演者、講師)が出すべきメッセージは「疑問・保留」や「(説明などの不備・不足を謝る)共感(的なもの)」などが適当なのかもしれない。
もちろん、今後色々な状況を考えてみなければいけないとは思う。

要は、今どきの講演や研修であれば、すべての質問に対して余裕で完璧な対応をしなくても良いのではないか、ということだ。
とりあえず、難しい質問には眉根を曇らせてもいい、痛いところを突かれたときには苦笑する、新たな視点がもらえたときには驚き、そして感謝する。
そういった、ある意味人間性というか、「発信者のすべて」をそのままさらけ出してしまうようなコミュニケーションが有効ではないだろうか。
特に、カウンセリングやメンタルヘルスをテーマにした場面では。

2012-04-18 08:00

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「うつは疲労である」と言うことの意味〜翔〜

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一昨日4/13に《「うつは疲労である」と言うことの意味 | deathhacks》というエントリを書いたが補足しておく。

「うつは疲労である」という説明は、クライアントであっても、学んだりそれを用いるカウンセラーにとっても、多くの場合にしっくりと腑に落ちる。
しかしそれは「必ずいつも、誰にでも」というわけではない。

学んで、感動し、目からウロコが落ちた成功体験がカウンセラーにあると、現場で思考停止してしまい、深い考えもないで、どんなクライアントにでも「あなたのうつは疲れによるものですよ」と言ってしまいがちだ。
ここには落とし穴がある。

「うつやその症状、トラブルが疲労によるものだ」という言い方は、時としてそれを聞いたクライアントに「私の苦しさはたかが疲労なのか…」「こんなに困っているのにカウンセラーさんはたいしたことないと思っているのだ」という裏メッセージを与えることになる。

現場ではクライアントや時期と場面に合わせて、
「疲労だから休めば良くなる」
「誰でも疲労はするものなのだからあなたは絶望しなくてもいいのだ」
「疲労と言ってもヘトヘトという感じ」
「疲労というよりは疲弊かなぁ…」
「疲労困憊している感覚ではないですか」
「ただの疲労ではないからここは注意して協力しながら乗り切ろう!」
などのように細かに丁寧にメッセージを調節しなくてはいけない。

先のエントリに書いたように、うつの原因は完全に解明されてはいないし、相当先まではっきりはしないだろう。
「うつは疲労」という説明も、永遠に、高い確率でクライアントをうまく支援できる説明の一つであるかはわからない。

すべてのことについて、なぜ「そう」説明するのかを深く考え続けなくてはいけない。

2012-04-15 08:00

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「うつは疲労である」と言うことの意味

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物事にはすべてに意味や目的がある。
メッセージが込められる。

うつは一般に確かに病気と扱われることが多い。
しかし、我々は100%うつが病気だとは思っていない。
クライアントにも、あなたは病気だと言うことはほとんどない。
その必要もメリットもないことがほとんどだからだ。

我々は、うつを疲労の表現形の一つだというくらいに考えている。
「あなたは疲れきってしまっていて、身体が不調になっていたり、世の中や他人の見え方が以前とはガラッと変わってしまっているのだと思うよ」と。
こう捉え、説明することの意味や意義は何だろうか。

人間誰でも、運動したり、勉強したり、仕事をしたりすれば疲労する。
疲労したことがないという人も、そういった状態を想像もできないという人はまずいないだろう。
また、疲れた時には、気分転換やおいしいものを食べるなどによって回復することも実感として知っているだろうが、結局は休まないと状態は良くならない、戻らないということも納得できるだろう。
うつを「病気」ではなく「疲労」だと言うことに込められるメッセージは「あなたは壊れてダメになってしまったのではなく、疲れてしまっただけだ(その可能性が高い)から、休めば回復できるよ」というものだ。

「あなたは病気だ」と言って、どうしたら、どのくらいの時間をかければ、元の状態に戻れるのか、今の苦しさが和らぐのかという不安をいたずらにクライアントに負担させることに果たしてメリットはどれくらいあるだろうか。

実のところ、医学的にもうつの原因はわかっていないわけで。
セロトニンがどうとか、アドレナリンがどうとか、遺伝子が関係している、電気や磁気を使って症状が改善したとか、そういった研究を否定はしないが、相当部分が解明されたということではまったくない。
結局、クライアント本人の主観的症状を中心にして、1週間だ2週間だ、それが続いていれば「とりあえず」うつという診断をつけましょう、治療をしてみましょうというくらいのユルさだと私は感じている。

繰り返すが、物事にはすべてに意味や意義、目的がある。
ある、というかあるべきだ。
お茶の作法や起居振る舞いのひとつ一つに意味や目的があるように。

カウンセリングでも教育でもお茶でも、クライアントや相手にどんなメッセージが伝わるかということを常に考えるべきだろう。

2012-04-13 08:00

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メッセージコントロールを教えにくい理由(わけ)

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カウンセリングや日常のコミュニケーションで、メッセージコントロールを使っている。

(参考URL)

用語集 – NPO法人 メンタルレスキュー協会

(関連エントリ)

はじめはメッセージコントロールだけで十分 | deathhacks

メッセージコントロールが革命的である理屈 | deathhacks

メッセージコントロールを教えていたら演技指導をしているように思えた | deathhacks

メッセージコントロールについては現在のところ、NPO法人メンタルレスキュー協会(ホーム – NPO法人 メンタルレスキュー協会)の講習や会員や資格認定を受けた者の勉強会、あるいは書籍から学ぶことができる。

私も講習スタッフとして参加することがあるのだが、実際のところ、メッセージコントロールは教えにくい

もちろんそれは、その有効性やコツをつかんでもらうのが難しいとか、実践的なトレーニングを重ねるために場や仲間が必要だというからでもある。
しかし、メッセージコントロールを教えたり、学んだりする上では、もっと本質的、根源的な関門が存在する。

メッセージコントロールは、対面コミュニケーションの入り口として、基礎メッセージを出す。
その一つに「変わらなくていいよ」というメッセージがある。

ところが講習や勉強会という場で教えるということは、必然的に「変わりなさい」「今のままでは良くないですよ」という逆のメッセージにつながる(可能性が高い)のだ。

教えている内容が「変わらなくていいよ」から始めましょう、であるけれども、トレーニングということを目指せば、どこかの段階で「ここはこうした方がいい」「こう変えてみるともっと良くなる」というコミュニケーションが必要になってくるのだ。

このように、大げさに言えば内部矛盾を抱えながら、バランスをとっていくことが講師や講習スタッフとしての難しさとなっているのではないか。

こうした難しさやそれによる不安をマネージするには、自分自身が実践を重ね経験値を増やし、仲間らと議論を繰り返すことによって、確固たる概念を作り上げるしかない。

2012-03-25 08:00

Amazon.co.jp: 目からウロコのカウンセリング革命―メッセージコントロールという発想: 下園 壮太: 本

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自殺があった後にマネジメントが出すべきメッセージとは

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惨事後のメンタルサポート介入の内容は多岐にわたる。
そうは言っても世の中にある活動や商品、ポストペンションの作法は無数にある。
何か確立した定義や基準があるわけでもないからアナログに臨機応変にするべきことは決められる。
言ってしまえばポストベンションに関する制約は、クライアントの理解そして要望とサポート側の能力つまり限界で決まる。

一般的なポストベンションにはっきりと書かれている仕事ではないが、自殺があった組織の管理者らへのサポートは重要であるし実際に期待もされる。
さらにその細部として例えば、自殺の翌日の朝礼や朝会のような場でどのように出来事を組織の人間に伝えるかというような部分にもアドバイスすることが我々にはできる。

こうした高ストレス状況では、マネジメントがどんなメッセージを出すかということにとてつもなく注目が集まる。
この部分の扱いで、集団としてのパフォーマンスやショックからの回復が大きく変化する可能性がある。
逆にまずい言動があれば、平常は表面化していなかった問題や人間関係までもが吹き出すことにもなる。

自殺や事故直後のメッセージが問題なかったとしても、さらに2回目以降のメッセージや情報の発信にはプロのノウハウやアドバイスがあった方が良いし、私は準備している。

2012-02-22 10:00

(関連エントリ)

自殺や事故に対して管理者がまず出すべき2つのメッセージ | deathhacks

現場での余計なひとことについて考える

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自分は臨床を離れた医者だが、クライアント対応するときのワーカー側の心理について一思案。

やってしまいがちなことは「余計なひとこと」を言ってしまうというもの。
この「余計なひとこと」というのは別に、失礼な言葉とか尋ねてはいけない質問、人格などに対する非難というまでの意味ではない。
(こうした内容についても絶対的な基準があるわけではなく、判断は難しいと思うのだが)

例えば「今日はいい天気ですね」とか「普段何か運動はされていますか」とかいうようなたわいもない、日常会話的なものだ。

私は経験的には何回か、直接的には医療や臨床に直接には関係ないテーマの言葉や質問を発したことがある。
大事なことは私がそうした理由だ。

特に何も意図がなく、本当に無意識に近くしゃべっていたこともあるが、ほとんどの場合には理由があった(のではないかと振り返って考える)

一つにはクライアントのため。
面接というか会話の中、場で緊張や不安が見て取れる、もしくはありそうな人に対して、ごくごく日常的な話をしてリラックスしやすくしてみる。

もう一つは私の方が緊張していたり不安があったりする場合の対処としての言葉だったりする。
実際、いつでも、どんなクライアントに対していても、当然ルーチンの状況や問題ばかりではない。
医療であればその内容の9割方は「好ましくないもの」であるのはしかたのないことだ。
だから余程慣れた状況であったとしても仕事としてプロとして緊張するし緊張感を持っていることになる。

ただし、こうした会話については、最初に書いたように「余計な」を付けているのは、結局のところ全体でみればメリットよりもデメリットの方が多いのではないか。

クライアントの緊張をほぐそうとすることは悪いことではないが、予想や一般的な情報から外れることにもなるから、かえって違和感や別の緊張を生み出すことがある。
場合によっては、その会話や質問の意図を深読みさせることにもなる。

ワーカー側の不安を減らすための会話を挟むという面でみても、たいして時間稼ぎにもならないし、クライアントのリアクションに左右される部分が半分ある。
静的に観察して得られる情報だけでなく、リアクションを出してもらい新たな情報を増やそうとする、アクティブなソナーとしての試みだとするならば価値はゼロではない。

あと考えられるとすれば「ワーカー側が気を使って配慮しているということをクライアントに感じてもらい好意的に受け取ってもらう」というようなややこしい効果を狙ってか。
しかし、ここまで複雑にするのは、やりすぎの場面が多そうだ。

クライアントが余計に緊張したり、戸惑ってしまったりする結果となってしまったのに、「自分は良かれと思ってしたのだ」という思いだけが先行してしまったり、さらにその状況を悪い方向に広げたり強めてしまったりということは避けられなくてはいけない。

自分、クライアントの発した言葉やメッセージのすべてについて、その意味や効果などをできるかぎり説明する、一方で全体の流れというものも重視するという二面的な観点が必要だ。
これは正に心理カウンセリング的な視点と重なるだろう。

2012-02-09 09:00

裏メッセージとは何か、それをどう避けるか

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裏メッセージというのは、ある人が発した言葉や表した態度などによって、受け手が不快に感じたり、怒りを覚えたり、傷ついたりした場合に結果として判断される言動のことだ。これには、話し手などに「特に何かはっきりと伝えようと思ったことがあったわけではない。何の気なしに出た言葉」という場合もあるし、「まったく(裏メッセージとしてとられたような)そのような意図はなかった。むしろ良かれと思って言った」という場合もある。

いずれにしても両者の認識が異なっていて誤解が生じており、一方(通常はクライアント)が悲しさや腹立たしさというような気持ちになっている状態が生まれることになる。

裏メッセージがなぜ起こるかという背景になるのは「何を言うかではなく、誰が言うか」ということである。

先に書いたように、話し手は相手を傷つけようとか責めようという考えはないことが前提には確かにある。
とは言っても、厳しい指摘や非難、論理的とは言えないような理屈の強要であっても、聞き手が励まされたり、嬉しく思えたり、開き直る原動力になったりすることが世の中には実際ある。

内容ではなく「誰が言うか」が大事だというと、「自分は自分であって人格や立場を自由自在にクライアントに合わせて変えることなんかできない」とか「そもそも自分はそんなに立派な人間ではないから……」と思ってしまう人がいる。
「誰」というのはそれほど難しく、複雑なことは指していない。

話し手(クライアント)の状況や気持ちについて十分に知っているか。
知らないのであれば、まず十分に聞いてみようとしているか。
絶対量として、聞くこと、知ることに時間と労力を使ったか。
当然するべき質問を遠慮や自分の心理的ブロックによって尋ねそびれていないか。
こうしたことがメッセージを出すときの「誰」をクライアントから見て変化させる。

つまり、クライアントの話を聞いたり、状況や情報を教えてもらうことで、数分から数十分の時間の中でもクライアントから見たあなたの印象や立ち位置が変わるのだ。

あるメッセージを出して受け入れられないまでも、裏メッセージになることをなるべく避けるのには、自分の価値観を押し付けないことも重要だ。
いくら十分に相手の情報が頭に入ったとしてもそれが相手の持っている100%のものであるかやすべてが真実あるいは事実であるかはわからないものだ。
それなのに自分個人の考えや思うところの常識を唯一のもののように披露することは聞き手の価値観を否定することにつながり、裏メッセージとなりがちだ。

さらにこの傾向が強く熱心になると、心理カウンセリングなどではカウンセラーがクライアントの感じ方を変えるだとか、我慢するだとか、新しい行動をすることを提案し実行を約束させたり管理したりしようとすることにつながる。
結局、カウンセリングというものの基本原理から言えば、クライアントを変えることなどはできない。
クライアントが変わるようなサポートをしたり、カウンセラーや周囲との関係性にわずかに手を加えることくらいしかできないものだ。

こうして、裏メッセージがどのように生まれ、どうすることがその予防になるのかを色々と考えても実際の現場で決定打となるようなコツはない。
あれやこれやと練習したり、シミュレートしたりしても、裏か否かを決めるのは未だ見ぬ明日会うクライアントだからだ。

うつクライアントへの対応の場面として、一つ言うとすれば「うつクライアントはあらゆるメッセージを裏に取りやすい」ということを様々な形で理解しておかなくてはいけない。
同じ言葉や表情がうつの人にとっては、頭がうまく働かないことや自責、自分の存在価値の揺らぎ、不安などによって裏メッセージになってしまう。

裏メッセージが生まれてしまう原因の2割は説明不足だ。
頭がうまく働かない、誤解が生じやすいということをよくわかった上で、細かく反応や理解を確認したりするのが良い。
別に一度に流れよく話す必要はなく、随時付け足し、補足すればそれでも良い。

また、自責やクライアント自身の自己評価の低さなどを裏メッセージにつなげないためにはすでに述べたように時間と労力を省かずに費やして、十分にクライアントの状況や感じていることを知ることが要る。
これは「味方」になるということだ。
味方になる、ということはカウンセラーが「誰」であるかが変化していることを表してもいる。

2012-01-24 13:00

津軽海峡・冬景色の歌詞に感情表現が使われていないことが話題に

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「津軽海峡・冬景色」の歌詞が、情景の描写のみで感情表現を使っていないことを、あらためて紹介指摘していた。
元ネタはテレビのようだがはっきりとは追えていない。

カウンセリングに関連して考えてみると、クライアントに対して「大変でしたね」「苦しそうですね」というような言葉をそのまま使うのは却って白々しく、表面的な理解しかしていない印象になるのにも通じる。
別に事実を言ったり、クライアントの文脈をそのまま繰り返す中にも感情は込められるし、それができることをよく知っておかなくてはいけない。

「好き」と言うだけが「好き」を伝える手段ではない | deathhacks

言葉の調子やトーンなどにも感情やメッセージが込められる。

みんな共感覚を持っている | deathhacks

また、最近のJ-POPなどの歌詞が「好き」「尊敬します」「感謝しています」「ありがとう」などの直接的な表現ばかりだと嘆く意見もある。
これらの言葉の多用は想像力が少なくなってきているのではないか、とも言われる。
しかし、これについては、社会全般が予想の付かない、不確定な情勢になってきていることが逆に表れているのだと思う。
世の中と同じように、家族や友人、身近な人の気持ちを想像すれば、何が起こるかわからない不安を強く感じるだろう。
娯楽や趣味として聞くポップスや物語の中くらいはわかりやすくして、駆け引きや推察をしなくても良いものが好まれるということではないかと思っている。

「そのまま」表現しないと売れないJ-POP | deathhacks

2011-11-12 08:00

(参考URL)

津軽海峡冬景色~は、一切歌詞に感情を表す言葉を使ってないという豆知識、ほほうと思った。情景描写で聞いて… – no name 1

津軽海峡・冬景色 – Wikipedia