現場での余計なひとことについて考える


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自分は臨床を離れた医者だが、クライアント対応するときのワーカー側の心理について一思案。

やってしまいがちなことは「余計なひとこと」を言ってしまうというもの。
この「余計なひとこと」というのは別に、失礼な言葉とか尋ねてはいけない質問、人格などに対する非難というまでの意味ではない。
(こうした内容についても絶対的な基準があるわけではなく、判断は難しいと思うのだが)

例えば「今日はいい天気ですね」とか「普段何か運動はされていますか」とかいうようなたわいもない、日常会話的なものだ。

私は経験的には何回か、直接的には医療や臨床に直接には関係ないテーマの言葉や質問を発したことがある。
大事なことは私がそうした理由だ。

特に何も意図がなく、本当に無意識に近くしゃべっていたこともあるが、ほとんどの場合には理由があった(のではないかと振り返って考える)

一つにはクライアントのため。
面接というか会話の中、場で緊張や不安が見て取れる、もしくはありそうな人に対して、ごくごく日常的な話をしてリラックスしやすくしてみる。

もう一つは私の方が緊張していたり不安があったりする場合の対処としての言葉だったりする。
実際、いつでも、どんなクライアントに対していても、当然ルーチンの状況や問題ばかりではない。
医療であればその内容の9割方は「好ましくないもの」であるのはしかたのないことだ。
だから余程慣れた状況であったとしても仕事としてプロとして緊張するし緊張感を持っていることになる。

ただし、こうした会話については、最初に書いたように「余計な」を付けているのは、結局のところ全体でみればメリットよりもデメリットの方が多いのではないか。

クライアントの緊張をほぐそうとすることは悪いことではないが、予想や一般的な情報から外れることにもなるから、かえって違和感や別の緊張を生み出すことがある。
場合によっては、その会話や質問の意図を深読みさせることにもなる。

ワーカー側の不安を減らすための会話を挟むという面でみても、たいして時間稼ぎにもならないし、クライアントのリアクションに左右される部分が半分ある。
静的に観察して得られる情報だけでなく、リアクションを出してもらい新たな情報を増やそうとする、アクティブなソナーとしての試みだとするならば価値はゼロではない。

あと考えられるとすれば「ワーカー側が気を使って配慮しているということをクライアントに感じてもらい好意的に受け取ってもらう」というようなややこしい効果を狙ってか。
しかし、ここまで複雑にするのは、やりすぎの場面が多そうだ。

クライアントが余計に緊張したり、戸惑ってしまったりする結果となってしまったのに、「自分は良かれと思ってしたのだ」という思いだけが先行してしまったり、さらにその状況を悪い方向に広げたり強めてしまったりということは避けられなくてはいけない。

自分、クライアントの発した言葉やメッセージのすべてについて、その意味や効果などをできるかぎり説明する、一方で全体の流れというものも重視するという二面的な観点が必要だ。
これは正に心理カウンセリング的な視点と重なるだろう。

2012-02-09 09:00

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