「うつは疲労である」と言うことの意味

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物事にはすべてに意味や目的がある。
メッセージが込められる。

うつは一般に確かに病気と扱われることが多い。
しかし、我々は100%うつが病気だとは思っていない。
クライアントにも、あなたは病気だと言うことはほとんどない。
その必要もメリットもないことがほとんどだからだ。

我々は、うつを疲労の表現形の一つだというくらいに考えている。
「あなたは疲れきってしまっていて、身体が不調になっていたり、世の中や他人の見え方が以前とはガラッと変わってしまっているのだと思うよ」と。
こう捉え、説明することの意味や意義は何だろうか。

人間誰でも、運動したり、勉強したり、仕事をしたりすれば疲労する。
疲労したことがないという人も、そういった状態を想像もできないという人はまずいないだろう。
また、疲れた時には、気分転換やおいしいものを食べるなどによって回復することも実感として知っているだろうが、結局は休まないと状態は良くならない、戻らないということも納得できるだろう。
うつを「病気」ではなく「疲労」だと言うことに込められるメッセージは「あなたは壊れてダメになってしまったのではなく、疲れてしまっただけだ(その可能性が高い)から、休めば回復できるよ」というものだ。

「あなたは病気だ」と言って、どうしたら、どのくらいの時間をかければ、元の状態に戻れるのか、今の苦しさが和らぐのかという不安をいたずらにクライアントに負担させることに果たしてメリットはどれくらいあるだろうか。

実のところ、医学的にもうつの原因はわかっていないわけで。
セロトニンがどうとか、アドレナリンがどうとか、遺伝子が関係している、電気や磁気を使って症状が改善したとか、そういった研究を否定はしないが、相当部分が解明されたということではまったくない。
結局、クライアント本人の主観的症状を中心にして、1週間だ2週間だ、それが続いていれば「とりあえず」うつという診断をつけましょう、治療をしてみましょうというくらいのユルさだと私は感じている。

繰り返すが、物事にはすべてに意味や意義、目的がある。
ある、というかあるべきだ。
お茶の作法や起居振る舞いのひとつ一つに意味や目的があるように。

カウンセリングでも教育でもお茶でも、クライアントや相手にどんなメッセージが伝わるかということを常に考えるべきだろう。

2012-04-13 08:00

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