カウンセリングでも、営業でも、教育でも、接客でも、基本は同じだ

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答えがクライアントや顧客のなかにあることを前提として接する。

問いかけをうまく使っていく。

クライアントが使った言葉をそのまま使う。原則言い換えない。
顧客が間違った言葉を使ったり、勘違いしていても、即座に修正したりせずにまずは乗っかる。

結論や結果だけが大事なのではない。
ゴールへ最短時間で最短距離を通って進むことが重要なのでもない。
プロセスに目を向ける。
顧客自身が選び、納得する。

2012-07-11 10:00

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自分理論のつくりかた

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カウンセリングをするにもエデュケーションをするにも、ひとまずの目標地点は、現場で使える「自分理論」を持つことだ。
自分理論というのは守破離の離にあたる。

守破離って何?どこからきてるの? | deathhacks

一度に、現場でのすべてを「離」の状態にまで持っていくのは難しいが、まずほんの一部でも足がかりとなる要素、自分の強み、軸を設けなくては、常にブレブレで他人の意見や環境、クライアント個々の問題に簡単に流される。

自分理論について確認したり、それを形作ることをおろそかに後回しにしていると、いつまで経っても自信というものが生まれないから、一見問題なく仕事ができているように見えたり、自身で思っていても、常に不全感につきまとわれることになる。

もちろんいきなり自分理論をつくって、現場で試すというハードルは低くない。
とりあえず、他人の理論を真似してアウトプットしてみよう。

この時点では逆に「思考停止」が必要になるし、勧められる。

思考停止けっこう | deathhacks

(他人理論の)アウトプットを繰り返す中で自分理論が形作られていく。
アウトプットしてみて、フィードバックを受け、それらの中から自分の感覚にハマる部分や要素を探す。
違和感を感じるところを突き詰め、考え抜いて整理していく。

考えぬくだけでもダメだし、闇雲に現場で不安を抱えたままもがいているのでも、成長することは難しい。

2012-06-17 08:00

メンタルレスキューリーダーに求められるもの

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NPO法人メンタルレスキュー協会が、経験を加味した上で試験をし、認定する資格「メンタルレスキューリーダー(MRL)」について。

資格の認定のために要求される能力を個人的に考えてみている。

まず個別カウンセリングの高い技術を持っていなくてはいけない。
もちろん適切にスーパービジョンを受けられることも必要だ。
(これはスーパーバイザー、スーパーバイジーの両方として)

次にカウンセリングやメッセージコントロール、自殺や惨事の知識教育ができること。
個別教育のみでなく、一定以上のレベルで多数に受け入れられるような説明ができなくてはならない。
これができるということは、メンタルヘルス上の各テーマについて、自分の言葉で十分理解してものにしているということになる。
(「科学的に唯一正しい知識」を持っているとかいうことではない)

3つめには、惨事後ミーティングやグループミーティングを適切に、プロデュースしたり、ファシリテートしたりできること。
メンタルレスキュー協会が実際に惨事介入をするようになっており、リーダーとなる人間は以前よりもさらに実践力を明確に要求されるようになっている。

4つめは考えたてホヤホヤだ。
クリエイティブであること。
他人の理論やツールをそのままになぞらえて再現するだけではメンタルレスキュー(認定としてのMR)レベルだ。
教え方がちょっと変わったり、新しい内容や考え方が出てきたからといってバタバタとうろたえるのでは失格だ。
逆に自分発信で、「こうしたカウンセリング技術が使える」とか「教える内容はこう変えた方が良くないか」というように周囲や仲間を変え、成長していく気概があるべきだ。
それがクリエイティブということ。

皆の意見はどうだろうか。

2012-04-11 07:00

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他人のためにカウンセリングをしない

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自分の近辺で、だいぶん私が「他人のためにカウンセリングをしようとは思っていない」と言っていることが浸透してはおり。

私がそう吹聴しているのは、私の周りや聞こえてくるカウンセリングなどのケースの中に、ちょくちょく、こじれていたり、危なっかしいバランスになっていたり、ケアギバー側が不適当なほどに消耗していたりするものがあるからだ。

それ以外にも、私が心理やらケアやらに関心を持ちはじめ、今もその状態が続いている理由の大きな一つが、「自分の気持ちや内心の反応を詳しく知りたい、説明をつけたい」というものだからということもある。

「他人のためではない」と言い切ってはいるけれども、それは別に「人の気持ちを考えない」とか「人助けをしない、協力しない」とかいうことではない。私もふつうに、何か仕事をなして、感謝されるとか、褒められるとか、頼りにされるとかすれば嬉しい。

ただ、カウンセリングやメンタルヘルス分野では、あまりに直接に、短期的に、クライアントらからの評価などを得ようとすると得てして足元をすくわれたり、チグハグになったりしがちだと思う。だから実は過激だとも思えるが「他人のためにしない」ようにしている。

他人のため、とまず最初に考えすぎると思考が曇る。やるべきことや言うべきことが出てこなくなる。自分の言動を客観的に見られなくなる。それはプロとしては、避けられる分は避けなくてはいけない。

この客観的なフィードバックの源として、そして良い悪いの評価から得られる次のアクションへのやる気を得るためには、仲間やチームがあると良い。だから一匹狼でいようとも、いたいとも思ってはいない。

2011-12-09 15:00

(関連エントリ)

誰のためにメンタルヘルスの勉強をするのか | deathhacks

人に会っていなくても影響は受ける

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家族や夫婦でもなければ、人と人はそんなに長くは直接にコミュニケーションを取ってはいない。
これは一定時期・期間の職場や学校での人間関係についても同じだ。
そもそも、ヒトは生きている時間の3分の1は眠っている。
眠りの間は独立孤独な時間だ。

しかし、人間は他人の考えや思想、思念というものから影響を受ける。
会っていないときにも、特定の人を思い浮かべる。
会っていたときに話したこと、聞いたこと、そのときの行動などを思い出したり、反芻したり、あらためて意味を考えたりする。
シミュレーション的な議論だってする。
自分が困難にあったり、ピンチになったり、悩んだりしたときに、他者の言動を参考に「もしも、自分があの人だったら、こんなときどうするだろうか」と考えたりもする。

カウンセリングの効果の理由にも似たようなことが言える。
だいたい標準的な悩み相談、カウンセリングとして、たかだか1週間に1回1時間会って話しただけで、なぜ人やその考えが変わるのか。
もちろん時間や感覚に関わらず、ある一言やメッセージがガラっと人生を変えるということはありえない話ではない。
しかし、人と人が直接にやり取りをしていないときにも、同じくらい価値や重さを持った反応と思考が動いていると考えるのはごく自然だ。

「マディソン郡の橋」のように、普通に考えればごく短い期間の人間関係と感情がその人の人生そのもの、キャラクターに深く影響を与え、かつ与え続けるということはあるのだろう。
つまりそれは恋愛に限るようなことではない。

2011-11-17 10:00

(参考)

マディソン郡の橋 特別版 [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ (2010-04-21)
売り上げランキング: 2479
マディソン郡の橋 (文春文庫)
ロバート・ジェームズ ウォラー
文藝春秋
売り上げランキング: 25083

天才は正しさを証明しなくても良い

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天才は常に正しい

世の中には「天才」がいる。
天才は、物事の本質を即座に見抜いてしまう。
天才には、出来事の結果が前もってわかる。
何をすれば問題解決になり、それをどう実行すればいいかが、天才には見えている。
逆に言えば、そういう人間が本当の「天才」なのだ。

だから、天才は考えたことや、言ったことが正しいかどうかを証明する必要がない。
もちろん、自分で実行して証明しても構わない。
ただ、結局は正しいことが証明「される」。
あるいは後から「わかる」

ガリレオが「太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているのだ」と言っても一般凡人は理解や納得がすぐにはできなかった。
それが科学的に真実であったのに。
ガリレオは観測の結果と計算によって、事実を証明したのであって、真実を天才的に直感で見抜いたのとはちょっと違うけれども。

「正しい」カウンセリングは触れればわかる

カウンセリングにも似たような面がある。
確かに個々のクライアントやカウンセリングはあまりに個性的、個別的だから、一つの定型的なやり方を「正しい」ものとして決めたり、教えたりすることは難しい。
しかし、それは「正しい」やり方がまったくないということではないと思う。
そして、世の中には「間違った」カウンセリングが少なくない。

現在のカウンセリングは、一流の料理の賞味や美術品の目利きと同じで、良いものに接してみて初めて気づくものだ。
何が一流であるか、どんなカウンセリングが良いのかを簡単に口で説明できないのはプロフェッショナル側の力不足ではあるかもしれないが、食べ物と同じで「口にしてみれば違いは明らか」だ。
一目瞭然であって、「論より証拠」、「百聞は一見に如かず」なのだ。
しかし、良いカウンセリングに会ったことがなければ、知らなければ、「こういうものなのかなー」「こんなものなのだろう」としか思えない。
それは、知らないからとしか言いようがない。

証明を外注に出す

現代は、思いつきや「ヒラメキ」を気軽に広くアウトプットするチャンスや場やネットワークが低コストに存在している。
これにはどんなメリットがあるだろうか。
何事でも、とりあえず正しさや実現性、現実性などを度外視して世に出してしまい、有効性や不具合、論理の瑕疵などの証明や検証は他者や集合知に任せ委ねてしまってもいい時代になっているのではないか。
それこそ、どんな学問的あるいは工業的分野でも、とりあえず個人の頭から外に出して議論をしてみる、試作をしてみてから考えることの利点が知られるようになっている。

不確かなものや個人と組織の権利などに関するものを気軽に公開してもいいかという部分は並行して注意と議論は必要だ。
風評被害的なものや名誉の毀損につながるような可能性への安全性は別のシステムで確保するべきだろう。

2011-08-27 09:00

「時間を費やすこと」についての隙間トーク

20110723132548

さて、この世の中で、もっとも貴重なものは何でしょう?
皆さんは何だと思いますか?

愛? なるほど。
家族?
名誉や地位、仕事?
若さ?
食べること?
お金?

私はですね、時間だと思うんです。
愛があっても、お金があっても、時間がゼロだとしたら、意味がない、というか、あまり楽しめないいんじゃないでしょうか。

皆さんが、もしも、死にたいという人の話を聞いてあげる、あげたとしたならば。
もしも、あなたが自分は何も言えなかった、教えてあげられなかった、うまく話を聞いてあげられなかった気がする、と思ったとしても、それは違う可能性があるんです。
だって、皆さんがただ、話を黙って聞くだけしかできなかったとしても、皆さんはクライアントのために時間を使ったわけです。

時間はとても大事なものですよね。
皆さんも他人に自分の時間を無駄に取られたとしたら、、どうですか?
怒りが湧いてきませんか(笑)
普段思っている以上に、人それぞれ、時間に対して持っている感覚というのは違うのかもしれません。
大事な一方で「時間つぶし」「暇つぶし」というように、ちょっと粗末に扱ってしまうような言葉もある。

時間は、もちろん一番貴重なものかはわからないかもしれませんが、限られた資源なわけです。
それを他人のために使うというのは、例えそれが仕事上のことだったとしても、とても素晴らしいことだと思うんです。
別の言い方をすると、お金を取ってもいい(笑)
そしてそれはクライアントも、意識的あるいは無意識的にわかるんです。

皆さんもどうですか?
ピンチに誰かがわざわざ来てくれた、一緒にいてくれた。
自分の知らないところで心配してくれていた、贈り物を探して買ってくれていてサプライズでプレゼントしてくれた。
これは嬉しいんです。

ただ、もちろんこれは男女関係と一緒で、一方的に押し付けていいものでも、喜ばれるものでもないですから、まず信頼されなくてはいけない、味方になってなくてはいけません。

ここはちゃんとクライアントの気持ちを聞くなりして確認しなくてはいけませんし、バランスを取らなくてはいけません。

2011-07-24 07:00

言い切る力、言い切る勇気

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カウンセリングでも教育でもポストベンションでの経緯説明でも、言い切らないと力を発揮しない。
しかし、世の中、特にこのメンタルヘルス分野で確かなモノなど少ないから余程自信を付けたり割り切らなくては言い切る勇気は持てない。
仲間うちでもお互いに確認しあってトレーニングしていかなくてはいけない。
自分やクライアントのために。

2011-05-01 06:00

メンタルヘルス業界に足を踏み入れ始めた人たちへ その1

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(人によって差はありますが)何も知らないところから数ヶ月、カウンセリングやうつ、精神科医療、惨事ストレスなどを学び始めた人たちへ、私が言っておきたいことを数回に分けて書きます。

まず、色々な方法で学び続けましょう。
カウンセリングやストレスマネジメント教育などの現場をすぐに持つ人もいれば、フルタイムに近くメンタルヘルスに関わる現状ではない人もいると思います。

やる気があり、かつ現場がある人は幸いです。
今のところまでに学んだことを実践することがすぐにできるからです。
同じように学んだ者として、皆さんが学んだ技術や知識は本当にすぐに現場で役立つものです。
卒業して国家試験に受かったばかりの医師が、一人前に大抵の患者や疾患を一人で処置したりすることができないのと同じように、すべての状況やクライアントに適切に対応することはできないかもしれません。
それでも慎重に謙虚に素直に、自分の実力を知り、身に付けた技術を用いれば、恐れず胸を張って仕事をすることができると思います。

そのようなOJTつまり現場での実践や学びは大切ですが、何しろまだまだ経験も知識の引き出しも少ない(はず)の皆さんは、壁にすぐに突き当たると思います。
うつ状態と同じように無力感や自責感を感じることが多くあるかもしれません。
そんなときに、その自分をキチンと振り返ることができなければ、まさにストレスや疲労を溜めた人のように「しがみつ」いてしまうでしょう。

色々な方法で学ぶ、と書きましたが、簡単に言ってとその色々、とは「本を読むこと」です。
短期間の学習ではいたしかたないのですが、皆さんの知り始めたことはレベルは非常に高いのですが、あまりに純粋で無防備な内容の固まりでしかありません。
限定的な状況や先輩方の補助が得られる状況であれば、そのノウハウだけでも十分に活用できますが、ちょっとでもイレギュラーな場ではとたんに手も足も出なくなるでしょう。
そんな段階を徐々に変化させるためには、現場で学ぶだけでなく、世の中にすでにある様々なな本や知識、他人の話や経験を吸収するのが一番です。
そこをサボってはいけません。

何から読めばいいか、誰から学べばいいか、わからなければ聞きましょう。
時間やお金は多少なりとかかります。
というよりもキチンとこの業界で生きていこうとするならば相当の金銭・時間コストがかかるはずです。
(今はインターネットという低コスト情報インフラがあるのでまだ幸いですが)
そしてやる気と学ぶ基本があれば、あとは本にしても人にしても芋づる式に学ぶだけです。
そして現場でもがき、活かし、そして振り返り、また学びましょう。

現場を持つか持たないか、数ヶ月で得た知識を細々とやりくりし、ごまかしながらこなしていくか否か、などで実力の伸びはまったく違ってきます。
同じような経験や背景の人でも、数ヶ月の学習の中でハッキリと差がついてきます。
ましてや一区切りしてから独立的に働いたり学んだりする時期には1年もしてまた会うと驚くほど同期の者でも違いが出ていたりします。
それは素質とか持って生まれたもの、という話だけではなく、多くは勉強や努力の成果と言ってしまえるものでしかないと思っています。

2011-03-16 07:00

カウンセリング技術の実技を検定するのが難しい

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評価者によって個人毎の好みが、やはりあるようだ。

時間的な制約がある。
丸々1時間なり数回にわたるカウンセリングをチェックするわけにも現状ではいかない。
「まぐれ」をどう考え扱うかというもの問題だ。

傾斜配点にしているが自分が採点するとき、一緒の採点者との差異が気になる。
それがさらに合否の境界線だったりすると。
個人の採点やバラツキを統計処理してみようかとも思った。
傾斜配点・計算の数学的妥当性にも引っかかっている。

不合格にすればしたでその後の処置にも悩む。
今現在レベルの配慮を個別にすることを続けるのも現実的ではないだろう。
すると、どこかの時点では、ドライに切り捨てなければいけない。

人情・感情が入ってくるとさらにややこしい。
私利私欲、ではないけど「依怙贔屓」というやつが現れる。
それで心や志が離れていってしまう人も出てくる。
そしてその兆候はすでにある。

NPOやボランティアは経済主義や利益追求への偏向を避けやすく、新規参加・協働者の参入障壁が低いというメリットはある。
一方で、そこから食い扶持を得ているわけではないから、義務感を感じにくいし強制するわけにもいかない。
結果、本気になれない、コミットしない、というデメリットがある。

組織論や仕組みの益不益の話になってくる。

2011-03-06 07:00