カウンセリングがうまくいかないことをクライアント側の責任にすることがカウンセラーにはありがちです。
明らかな原因が見つからなかったときにカウンセラー個人とクライアント個人の「相性」のせいにすることについて考えてみます。
カウンセリングの成果は定量的に測定することが難しいですし、取り出して考える期間にも左右されます。人生や生き方を主観ではなく客観的に評価することに意味があるのかということや、短期的に幸せであっても中長期的には明らかな問題に苦しめられたりその逆であったりするという難しさがあります。
相性というものは世間一般によく用いられている概念です。人間関係や仕事・作業、スポーツ、味覚、趣味など、あらゆる事象にこの概念は使われています。ただ、カウンセリングを科学的、理論的なものであるとすれば、いわゆる「相性」という考え方をまずは排除した方が良いでしょう。
カウンセリングの成果が得られないことの理由をカウンセラーとクライアントの相性のせいにすることは、野球で言えば「あるバッターが特定のピッチャーからはなかなかヒットが打てない」というようなものではないでしょうか。
それが実は「右投げのピッチャーからならそこそこヒットが打てるけれども、左投げのピッチャーからヒットを打てたことがほとんどない」とか「ストレートの速球には強いが、ゆるい変化球にはまるで対応できない」といった単なる実力の違いではないかと疑うことが必要です。
プロの野球選手がそんな状態であったら一人前として活躍することは難しいはずです。
少なくともレギュラー選手(カウンセリングであれば、フルタイムのカウンセラー)にはなれないでしょう。
野球では認識を誤ってヒットと凡退を勘違いするということは基本的にはありません。それはルールが明確に決まっていますし、審判という客観的な判断者がいるからです。もちろん真芯でとらえた打球がたまたま野手の正面に飛んでアウトになるという運の要素もあります。
しかし、カウンセリングには明確なルールや審判は存在しません。
実は自分が得意だと思っているピッチャーの球すらキチンとヒットにできていない、というような勘違いをしてしまう恐れがあります。
うまくいった、と満足しているのがカウンセラーだけであったり、クライアントも表面的にだけ義務的に感謝していたり。
それにカウンセラー自身が気づいていない状況が一番怖いかもしれません。
2010-05-29 8a.m.
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