スーパービジョンの落とし穴 – その1

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カウンセリングケースでスーパービジョンを受けることは必要なことだ。
しかし、うまく利用しなければいけない。
また、その中に潜む負の面、要素、危険、落とし穴に注意しなくてはいけない。

スーパーバイジーはスーパービジョン受けをするときに少なからず緊張している。
自分が扱ったセッションがうまくいったのかどうか、スーパーバイザーからどんな質問を受けるだろう、どんなミスを指摘されるだろう、などなど。
そもそも、最初からうまくいかなかったことが明らかだらり、自分ですでに覚悟していることだってある。
カウンセリングが人間対人間の営みであるからにはどんなに技術や経験があったとしても100%コントロールすることはできない。

怖いのはスーパービジョンを受けながら、実際にやったことを改変してスーパーバイザーに話していたり、やれなかったこと・聞いていないことをさもやった・聞いたかのように語り始めてしまうことだ。
事実と頭の中で考えていることがどんどん乖離していくことがありうる。
そのうちに自分の記憶ですら修正されていってしまうことすらすらあるのではないか。

できるだけリラックスしてスーパービジョンを受けられるよう、スーパーバイザーとの相性や環境、時間の制約など、コントロールできる部分は可能な限り整備すること。
自分の言動や結果に真摯に取り組むこと。
これらを繰り返し繰り返し自分に言い聞かせ続けること。

求道的になってしまうのも違うと思うが、自分への適度な厳しさを自分自身の中に持たなくてはいけない。

2013-02-24 08:00

学習していて毎回目からウロコを落としていたらヤバい

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エライ人の言うことはたいてい同じことの繰り返しだ。
でも、面白くてためになる。

なぜ、聞いて、学習しようとしているこちらが、そう感じるのか。

それは、聞いている自分たちが繰り返し何回も聞いているにも関わらず変わっていないから。
だから、同じことを聞いても毎度毎度「なるほど~」「へ~」などと感心してしまう。

これが娯楽なら別に構わない。
落語やお笑いネタの同じものを何回も繰り返し鑑賞するとかいうのならば「アリ」だ。

しかし、カウンセリングや精神分析などを業としてやっていくのに学んでいて、毎回教わったことに感心しているようでは「ヤバい」。
成長していない、学習していないということかもしれない。

新鮮に、発見して、深く腑に落ちるのは、願わくば現場のクライアントとのセッションでのみにしたいものだ。

2012-08-25 08:00

臨床心理を勉強する入りの難しさ

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心理学や臨床心理を勉強したいとか仕事にしたいというからには、何らかのきっかけや動機があるはずだ。

その動機などの性質は大きく分けて2種類になる。
その人自身が健全な状態から入っていくのと、不健全な状態を体験するなどして入るのと、だ。

健全から入っていくと、

  • 他人を無遠慮に分析し過ぎ、介入がオーバーになる
  • クライアントに対して、共感できない、しにくい
  • 自己分析の有効性、有益性、必要性、モチベーションに気づきにくい、または実感しにくい

などの問題がある。

また、不健全から入ったならば、

  • まだ、自身が十分に健全ではないのに、クライアントを持ち、介入・処置・操作・教育などをして失敗する
  • 逆転移や共依存などに近づきやすい。知識として知っていても、自分の傾向やその状態に気づかなかったりする

ということが生じる確率が高い。

現実やその良否の判断はさてあれ、自己分析と他者分析をバランス良く保ち続けるのは、趣味としてであれ、業としてであれ、トレーニングとしてであれ。難しい。

2012-08-24 08:00

DEATH NOTIFICATION

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今日は以前のエントリ(自殺や事故に対して管理者がまず出すべき2つのメッセージ | deathhacks)を revise して書こうと思う。

組織の従業員などが自殺や事故でなくなったときには、管理者、経営者ももちろん衝撃を受けるだろうし大変苦しむはずだ。
そして、組織の運営者の責任や期待される言動は、こうした惨事直後には理論的にも倫理的にも高まる。

管理者が、亡くなった従業員以外の皆に、まず初めに、いつ、どのような発言をするか、コミュニケートするかということは極めて重要だ。
私は過去にも、今現在も、こうした状況の管理者らに向けて、発言の内容や注意点などについてコンサルティング・アドバイザリーをしてきている。

今回書くことはそのエッセンスだ。
言うべきこと3つ、してはいけないこと3つ、そして若干のコメントでまとめている。
平時からコミュニケーションや人心、そして人事の感覚を研ぎ澄ましている管理者であれば、これを読むだけで対応の骨子はつかめると思う。

言うべきこと(1) 「私(管理者)自身がショックを受けている」

管理者自身が衝撃を受けているということを隠す必要はない。
むしろデメリットが多い。

別にうろたえたり、取り乱したり、感情のコントロールを全放棄して涙することなどを奨めているわけではない。
ただ、鉄の意思で冷静を保ち装うことを過剰に自分に課すことはないということだ。

管理者があまりに平静を保つと、それを見た周囲は、安心する面もあるが、一方で「冷たいのではないか」「自分たちも取り乱してはいけないかな」というあまり好ましくない印象が伝わる可能性がある。

言うべきこと(2) 「このことをウヤムヤにはしない」

事実は事実として、管理者個人としても、組織としても、正当に扱い対応することを明確に宣言する。
わかっていることは表現に注意しながら情報提供する。

このとき慎重に、憶測や予断を挟むことを避ける。
そうした内容が入ってしまっていないかは主観的なチェックでは不十分だから、できるだけ周囲の幹部や専門家のサポートを受ける。

また、情報の提供は初期対応の時点から継続的にしていくことを約束すること、実践すること、方針を変えるときにも一々説明することなども従業員に伝えたほうが良い。

言うべきこと(3) 「皆(従業員・関係者)のことを気にかけて心配している」

従業員を集めて、管理者が話すべきことの最後は、直接従業員らへのメッセージだ。

「同じように驚いていると思う」
「亡くなった者との関係は色々だったと思うが、悲しい気持ち・寂しさはそれぞれあるのではないか」
「急過ぎて頭が真っ白だったり、うまく受け止められない感じがしている人もいるかもしれない」

その上で、組織として可能な限り業務上などの具体的な調整や配慮を準備して提示すること、内外の心理あるいは惨事対応の専門家などと連携をして、希望・必要とする従業員には使ってもらいたいということを繰り返して発信する。

してはいけないこと(1) 当事者・亡くなった者への非難

「死ぬくらいなら、その気もちをバネにしてもうひと頑張りすれば良かったのに…」
「なぜひとこと周り(や会社、家族など)に助けを求めてくれなかったのだろう」
などの発言は死者への攻撃と取られる。

こうした部分には管理者個人の価値観、自殺やメンタルヘルス、人事や従業員についてなど、普段考えていること、思っていることが素直すぎるほどに出てしまう。
そして、それが適切かどうか、従業員にとってどう感じるかということは十分考えた上で表現しなくてはいけない。

個人として思い発言する内容と、管理者としての立場でのあるべき内容も微妙に違ってくるから調整が必要になる。

してはいけないこと(2) 従業員・聞き手への要求

「皆は早まったことをしないで欲しい」
「悩みが何かあって困っているのだったら勇気を持って会社や家族に打ち明けて欲しい」
「命は大切にしよう」

これらは結局、話し手主観の願望・要求だ。
極端に言えば、自己防衛・保身の面が強く出たり、受け取られたりしてしまう。

知り合いの自殺などのように強い衝撃を受けている人らは、少なくとも一時的にはとても消耗・疲労していると考えていい。
そこに、何かしらの要望や約束を求められることは、どんなに親身な内容で良さそうなものであっても、これまた攻撃と感じたり、負担になる部分が多くなる可能性が高い。

してはいけないこと(3) 関係ない話はしてはいけない

身近な惨事にかこつけて、別の話をしてはいけない。
小ずるさが見えたり、人格・管理者適性を疑われかねない。

「亡くなった彼(彼女)の分も仕事に真摯に取り組んで行こう」
「世の中、もっと大変な人たちもいるじゃないか」
「実は、私は以前にも親友を自殺(事故)で亡くしている。そのときに私が思ったことは…」

余計な鼓舞や話題、思い出語りなどは、惨事や故人について思いを抱えていながら集められた人たちの内面にズカズカと入り込んで感情の処理などを邪魔するようなものだ。

まとめ

惨事に一つとして同じものはない。
惨事介入にこれが正解だというものはない。

しかし、心理や専門的な経験を背景にした、初動・対応の原則はある。
そして、現場や環境の違い、時々刻々と変化する状況に対応するには私らのような専門家のサポートも有効だろう。

2012-06-02 08:00

(追記)
(関連エントリ)

自殺があった後にマネジメントが出すべきメッセージとは | deathhacks

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悩みがなんでも生育歴のせい、なんてこたぁないJK

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ある集団や特定のカウンセラーが担当するクライアントの「主訴」や「テーマ」に、生育した環境や幼少時の大きな出来事と関係することが多かったとしよう。
果たしてそれは、本当にクライアントの傾向だろうか。

私はそこに、サービス提供側、セラピスト側の主観や恣意性が入りすぎていることを必ず疑うべきだと思う。

生育歴や思春期のトラウマ体験などが、その人間の性格や人生観などに与える影響は確かに少なくないだろう。
しかし、一歩間違うと、どんな悩みであっても「生まれのせい」「過去のトラウマが悪いのだ」と安易に片付けることになってしまう。

カウンセラーにとっては、なんとなく「これ以上は何も支援できそうにない」とか「やっかいで根が深い悩みだからじっくり付き合っていくしかない」とかいうように無駄に話を難しくしてしまうことになる。

クライアントに対しては、「ああ、自分の問題はちょっとやそっとでは楽になれない種類のものなのだ」と重荷を背負わせてしまう。

世の中、確かに、人生を捻じ曲げてしまったり、容易に「普通の」生き方ができなくなってしまう出来事や体験というものはある。
しかし、それらを皆がみな、完璧に乗り越えることを人生最大の目標のようにぶち上げることは適当ではない。

同じような不幸や問題を抱えていても、うまく折り合いをつけて、プレッシャーなどをかわしながらなんとか生きていっている人も存在はする。

悩みなどの原因をすべて、運命的なもの、精神の深くに根ざしたものと考えることは、「美味しいラーメンを食べたいからといって、今の仕事を辞め、全国食べ歩き行脚や最高の素材探しに何年もかけ、究極の一杯を作ることに一生を捧げる」というような過剰を感じてしまう。
それが絶対にダメだというのではない。
一律にそうした高コストの道に、プロフェッショナルが自分のクライアントすべてを、知らぬ間に導いてしまってはいないかという警鐘を鳴らしたいのだ。

さらっと短時間で、そこそこの味のラーメンを自分で作るなり、近所の何店舗かからその日に応じて選んだりして、とりあえず腹を満たしてから、あらためて自分の人生の主題をどうしようかと考えてみる方が良いバランス感覚である気がする。

2012-05-02 10:00

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そのカウンセリングに直面化は必要ですか?

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カウンセリングの考え方、理論の中に「直面化 confrontation」というものがある。

クライアントが対決を避けている事柄をあえて正面から扱って変容を期待することを指す。

しかし、臨床現場で、やみくもに、理論先行、理論だけを根拠に、直面化をするのには注意が必要ではないか。

直面化を、良いこと、いつか必ずしなくてはいけないこと、他に打つ手ややることがなくなったからするもの、という風に臨床家、セラピスト、カウンセラーは思い込んでいないだろうか。

世の中すべての悩みや問題を、すべて完璧に、一刻も早く解決しなくてはいけないというわけではない。

逃げて、避けて、かわして、ごまかして、なんとか生きていくという人生ややり方を、本人以外の誰が否定できるだろう。

カウンセラーや臨床家は、専門家として支援者として、可能な限りはメリットとデメリットを見積もり、クライアントの意思を尊重・確認しながら、セッションにうまく進展がみられないからと「安易に」直面化をしてみるようなことをしてはいけない。

2012-04-21 10:00

(From iPhone 4S)

ベストな比ゆ、というものは在らずや

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万人に響く比ゆ、というものは存在しない。

比ゆは何かを伝えるときの強力なツールになりうる。

ただし、過信やこだわり過ぎは禁物だ。

自分が聞いたときに、スッと腑に落ち、感動したような比ゆを、自分がまた別の場面で使おうとするときなどでは特に注意が必要になる。

聞き手にうまくはまらなかったときに動揺してしまったり、聞き手の感性や予備知識のせいにしてしまったりする。

そもそも比ゆというのは、説明したい対象そのものとは異なるものなのだから、必ず理解の助けになるというものではない。

もちろんできるだけ多くの場面、多くの人に受け入れてもらえる比ゆを目指し、探すことは大切だが、限界も知っておこう。

うまく落としどころがないようならば、すぐに謝って、また次の、別の比ゆを出せば良い。
あるいは、理論や事例との合わせ技を用いる。

比ゆが決まれば皆気持ちは良いけれども、学ぶことの本質ではない。

2012-04-19 08:00

単純理論、事例、比ゆを組み合わせる理由や背景 | deathhacks

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「(なんで最後になってそんな大事なことを言い出すのかな…)」が起こる理由

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たいていカウンセリングセッションの最後には「他に何か話したいことや、気になることはありますか?」というような確認の質問をする。
これは、文章そのままの質問であることに加えて、「何もないようなら今日はこれで終わりましょうか…」という意味も込められている。
カウンセリングに限らず、多くの面談やミーティングでの定番となっているクロージングフレーズだろう。

ただ、カウンセリングではその細かい使い方やクライアントの反応のとらえ方が、他の場面とは異なる。

定番のクロージング手法とは言っても、「他にありませんか?」とこちらが終わりどころを迎えようかという質問をしてから「あ! そういえば… ちょっとこれも聞いておこうかなぁ」という感じに話が終わらないという経験は誰にでもあるだろう。
「なんだ。そんな大事なことがあるならもっと早めに言ってくれればいいのに…」と思いながらも、またタイミングと落としどころを探す作業に戻ることになる。

しかし、カウンセリングにおいては、こうして時間の最後になってから、思いがけないテーマや、とても重要な話題が出てきたりすることは良くあるし、好ましいことである
カウンセリングでメッセージコントロールをして、クライアントがカウンセラーのことを味方だと心底思えるようになるのには時間がかかる。
どうしても、本当に困って悩んでいるポイントを出すタイミングというのは、深い悩みであればあるほど遅めになりがちだ。

むしろ、カウンセリングを終わろうかという時間帯であっても、クライアントが気になっていることを思いついたり、言う気になったりしたということは、そこまでのメッセージコントロールがうまくいっていたということの証明だと言える。
もちろん時間の制約は重要な要素だが、それとは別に、なぜそうしたことが起きるのかとか、物事には良い面と悪い面の両方が必ずあるというような考え方を持つと良い。

2011-04-10 07:00

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惨事対処カウンセリングでの紋切り型説明から卒業しよう

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惨事体験をしたクライアントとのカウンセリングにはポイントが3つある。

  1. メッセージコントロールをしながら、まずは事実と体験を丁寧に教えてもらい、その上で感情部分を拾い上げる
  2. 惨事に対するクライアントの反応(ASR、ASD、PTSR、PTSDなど)について解釈と説明をする
  3. 今後の見通しや回復の流れ、セルフでの対処ツールやサポート資源を伝える

今回はこの内、2番目の「クライアントの反応についての説明」の部分のコツを一つ書く。

まずは惨事やそれへの反応について理解しているのが大事だけれども

惨事後一般に現れることが多い反応_回避、侵入、過覚醒など_については有名にもなってきているし、学習の初歩段階で出てきていると思う。
はじめの段階でクライアントの体験の中に、これらがどういった形で出ているのか、あるいは出ていないのかなどについて、意識しながら話を聞く必要がある。
釣りで魚がいそうな、だいたいの場所の見当がついていなければ、目の前に泳いでいても見逃してしまうように、メッセージコントロールをしつつも当たりをつけていく。

説明は紋切り型のものでは足りない

せっかく体験を教えてもらう段階がうまくできていても、情報提供やクライアントの反応を一般化する段階で、急に堅苦しく説明調が強く出てしまう人がいる。
自分が学び、教わった、ASDやPTSDなどについて、教わったそのままに近いトーンや言葉で、まるで教室で授業をしているような感じでクライアントに話し始めてしまう。
これは「型」というものの誤った使い方だ。

惨事反応の知識はだいぶん一般にも知られるようになってきたけれども、それを学ぶのに便利な「型」と、現場で今まさに困っているクライアント支援するのに適当な「型」は違うのだ。
現場では常に調整・アレンジ・カスタマイズを工夫しなくてはいけない。

常にクライアント主導で動く

ここでお勧めするやり方の一つは、まずクライアントに今まさに困っていること、気になっていることを質問することから始めるというものだ。
これは質問ではあるが、もうすでに体験をあらかた聞いているのであればつまり、確認する、ということでしかない。

例えば、「自分にもっとできることがあったはずなのに逃げることしかできなかった。それを思うと安心して眠れない」というような話であれば、なぜそのようになるのかを、本能や自己防御として、あるいは別のケースや人が感じた事例などを利用して説明する。
現場のクライアントは惨事に対して人に現れる反応を体系的に、網羅して知りたい、勉強したいわけではない。
現場で必要とされるのはまずは自分の感覚に対応するピンポイントの理由や説明だ。

まとめ

「型」というものは、あるレベルまではカウンセラーがはらう労力を減らし、予想外のことが起きる確率やそれに対する不安を軽くする。
しかし、そうしてリスクを減らしたり省エネを求めることはツールであって目的ではない。
もちろん初級者であれば、定型的な質問をコンパクトに伝えられれば合格だ。
カウンセリング全体のメッセージコントロールがおかしくなければクライアントは安心を感じたり、次につながるようなきっかけを受け取ることができるだろう。
ただ、全体の流れを見る余裕が持てそうならば、今回書いたように、ポイントポイントで今目の前にいるクライアントに対してはどうするのが良いかという問いを繰り返しカウンセラーが自身に確認すると次の段階にレベルアップできると思う。

2012-01-30 12:00

その人が悩んでいること自体を否定してはいけない

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クライアントが問題を問題ととらえていないことは普通によくあることだ。

ある外部の問題さえ解決すればすべてがうまくいく。
そんな風に考えていても、実はまずそもそもクライアントのエネルギーが不足していて世の中の危険や不具合が全部大きな問題に見える。
当然の報いや罰と考えていることもよくある。
そして日常生活を送っているだけでも疲弊していく。

家族のことであったり、部下のことであったり、仕事上のプロジェクトのことが問題であると感じていると、なかなか自分自身の状態や疲労に目が向かなくなる。
自分よりも苦しんでいると考えている相手を差し置いて自分がギブアップすることはできないとか、その仕事については逃げずにどうやってでも(自分が壊れてしまったとしても!)乗り越えなくてはいけない試練のように見えてしまっているのは常軌を逸しているのかもしれない。

そんなとき、カウンセリングでは教科書的には、クライアントが自分自身の体調や認知、考え方の傾向などに目が向くように仕向ける。
しかし、そうすることは「あなたの考え方はおかしい」「そのやり方は変えるべきだ」というメッセージになりうるから注意が必要だ。

注意というのは一つにはまず、十分に味方になってから提案をするということだ。
味方になっていればいるほど提案がうまくいく、あるいはクライアントに一考の余地があると受け取ってもらえるということ。
もう一つは、カウンセラーの方がその提案にこだわらないということだ。
良い提案、妥当な判断、常識的に考えて当然のやり方。そうであればそうであるほど、クライアントの感じ方と合わなくなるし、他の手段や提案、間を置くということをやりにくくなる。
カウンセラーの冷静さや客観性が損なわれる。
あまり「一点突破」にこだわらず、クライアントがその時点で受け入れられないようならばいったん引くことが肝心になる。
でなければ、いくら味方になっていたとしても裏メッセージのゴリ押しでクライアント-カウンセラー関係そのものがうまくいかなくなる。

クライアント-カウンセラー関係というものはカウンセリングの基本中の基本である。
問題解決や悩みの分析、症状の確認や診断・見立てとは比べものにならず、すべてに最優先すると言っていい。

2011-08-05 09:00

(関連URL)

検査をしてほしい人、あるいは薬がほしい人に対して「必要ありません」と言い切ってしまうのは、 その人の人格を全否定するのに等しい行為。

外来の待ち時間を減らす方法 – レジデント初期研修用資料(旧)

(関連エントリURLを追記 2011-10-28 21:00)

苦しさだけは否定できない | deathhacks