悩みがなんでも生育歴のせい、なんてこたぁないJK

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ある集団や特定のカウンセラーが担当するクライアントの「主訴」や「テーマ」に、生育した環境や幼少時の大きな出来事と関係することが多かったとしよう。
果たしてそれは、本当にクライアントの傾向だろうか。

私はそこに、サービス提供側、セラピスト側の主観や恣意性が入りすぎていることを必ず疑うべきだと思う。

生育歴や思春期のトラウマ体験などが、その人間の性格や人生観などに与える影響は確かに少なくないだろう。
しかし、一歩間違うと、どんな悩みであっても「生まれのせい」「過去のトラウマが悪いのだ」と安易に片付けることになってしまう。

カウンセラーにとっては、なんとなく「これ以上は何も支援できそうにない」とか「やっかいで根が深い悩みだからじっくり付き合っていくしかない」とかいうように無駄に話を難しくしてしまうことになる。

クライアントに対しては、「ああ、自分の問題はちょっとやそっとでは楽になれない種類のものなのだ」と重荷を背負わせてしまう。

世の中、確かに、人生を捻じ曲げてしまったり、容易に「普通の」生き方ができなくなってしまう出来事や体験というものはある。
しかし、それらを皆がみな、完璧に乗り越えることを人生最大の目標のようにぶち上げることは適当ではない。

同じような不幸や問題を抱えていても、うまく折り合いをつけて、プレッシャーなどをかわしながらなんとか生きていっている人も存在はする。

悩みなどの原因をすべて、運命的なもの、精神の深くに根ざしたものと考えることは、「美味しいラーメンを食べたいからといって、今の仕事を辞め、全国食べ歩き行脚や最高の素材探しに何年もかけ、究極の一杯を作ることに一生を捧げる」というような過剰を感じてしまう。
それが絶対にダメだというのではない。
一律にそうした高コストの道に、プロフェッショナルが自分のクライアントすべてを、知らぬ間に導いてしまってはいないかという警鐘を鳴らしたいのだ。

さらっと短時間で、そこそこの味のラーメンを自分で作るなり、近所の何店舗かからその日に応じて選んだりして、とりあえず腹を満たしてから、あらためて自分の人生の主題をどうしようかと考えてみる方が良いバランス感覚である気がする。

2012-05-02 10:00

Posted from DPad on my iPad

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