人間の研修を料理で例えるよ

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研修や学習の結果として出来上がった(変化した)人間を料理としよう。
ビフォーの人間は材料・素材ということになる。

出汁や味を染み込ませて一つの料理、つまり煮物として世に出し、お客さん(クライアント)に食してもらうのがゴールになる。

味付けを濃くすれば、よいオカズになるかもしれないが、くどくて日常的に食べられるものにはならないかもしれない。
やはり、元々の素材の味を活かした料理に仕上げたいものだ。

かと言って調味が薄過ぎても、「料理」にはならない。
それでも良いと言い出したら常に、野菜は生のサラダで食べ、肉は生肉のママ、あらゆる食物について加熱や調味料を使わないというようなことになってしまう。

いくら煮込んでも、まったく味が染み込まない素材もあるだろう。

煮込み過ぎて煮崩れてしまうのもいけない。
うまく面取りでもしてあげればいいのかも。

人の研修と煮物はどこか似ている。

2012-06-04 12:00

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ユーザーの声を聞くだけ

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顧客の声を直接に聞くことはとてつもなく大事だ。
それ以外にできることやれることやるべきことは、考えて行動することしかない。

自然とサービスや営業などのフロントラインに位置していて、消費者と会話することができるならば、こうしたことをことさら意識はしなくて良い。
しかし、自分の立ち位置がそうではないとか、そうである時間が少ないということに気づいたのならば、意識して積極的に前に出て現場に立たなくてはいけない。

本当の答えは顧客自身が知っている。
自分の問題は私自身しか知らない。

現場、現場、そして現場だ。
悩んだり、停滞したり、引っかかったりしたときには、現場に出て、外を動き回り、風や空気を感じて、身体を動かし色々な汗をかくと良い。

刑事ものの小説やドラマなんかと同じ原則がビジネスにも当てはまる。
「現場百遍」だ。

2012-05-30 09:00

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現場での余計なひとことについて考える

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自分は臨床を離れた医者だが、クライアント対応するときのワーカー側の心理について一思案。

やってしまいがちなことは「余計なひとこと」を言ってしまうというもの。
この「余計なひとこと」というのは別に、失礼な言葉とか尋ねてはいけない質問、人格などに対する非難というまでの意味ではない。
(こうした内容についても絶対的な基準があるわけではなく、判断は難しいと思うのだが)

例えば「今日はいい天気ですね」とか「普段何か運動はされていますか」とかいうようなたわいもない、日常会話的なものだ。

私は経験的には何回か、直接的には医療や臨床に直接には関係ないテーマの言葉や質問を発したことがある。
大事なことは私がそうした理由だ。

特に何も意図がなく、本当に無意識に近くしゃべっていたこともあるが、ほとんどの場合には理由があった(のではないかと振り返って考える)

一つにはクライアントのため。
面接というか会話の中、場で緊張や不安が見て取れる、もしくはありそうな人に対して、ごくごく日常的な話をしてリラックスしやすくしてみる。

もう一つは私の方が緊張していたり不安があったりする場合の対処としての言葉だったりする。
実際、いつでも、どんなクライアントに対していても、当然ルーチンの状況や問題ばかりではない。
医療であればその内容の9割方は「好ましくないもの」であるのはしかたのないことだ。
だから余程慣れた状況であったとしても仕事としてプロとして緊張するし緊張感を持っていることになる。

ただし、こうした会話については、最初に書いたように「余計な」を付けているのは、結局のところ全体でみればメリットよりもデメリットの方が多いのではないか。

クライアントの緊張をほぐそうとすることは悪いことではないが、予想や一般的な情報から外れることにもなるから、かえって違和感や別の緊張を生み出すことがある。
場合によっては、その会話や質問の意図を深読みさせることにもなる。

ワーカー側の不安を減らすための会話を挟むという面でみても、たいして時間稼ぎにもならないし、クライアントのリアクションに左右される部分が半分ある。
静的に観察して得られる情報だけでなく、リアクションを出してもらい新たな情報を増やそうとする、アクティブなソナーとしての試みだとするならば価値はゼロではない。

あと考えられるとすれば「ワーカー側が気を使って配慮しているということをクライアントに感じてもらい好意的に受け取ってもらう」というようなややこしい効果を狙ってか。
しかし、ここまで複雑にするのは、やりすぎの場面が多そうだ。

クライアントが余計に緊張したり、戸惑ってしまったりする結果となってしまったのに、「自分は良かれと思ってしたのだ」という思いだけが先行してしまったり、さらにその状況を悪い方向に広げたり強めてしまったりということは避けられなくてはいけない。

自分、クライアントの発した言葉やメッセージのすべてについて、その意味や効果などをできるかぎり説明する、一方で全体の流れというものも重視するという二面的な観点が必要だ。
これは正に心理カウンセリング的な視点と重なるだろう。

2012-02-09 09:00

「わかる」ことのパワー

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何かを「わかる」ことは単純にうれしいことだ。
それは、わからないことによる不安の裏返しとも言える。

逆に、誰か他人に自分のことをわかってもらうということも心地よい。
人間は本質的にも集団や社会の中でしか生きていけないから。
生まれた時、あるいは死ぬ時や間際には単体で生きていることはできない。
わかってもらうということは社会と関わりを持つためのわかりやすい一歩やきっかけと言える。

カウンセリングや悩み相談では、ベースの一つとしてこの「わかる」を活かす。
カウンセラーに「わかっ」てもらえばクライアントの感情や行動に良い影響をあたえる可能性がある。
反対にクライアントがカウンセラーのことを「わかれ」ば安心したり、良い関係を持ちやすくなる。

しかしこのことを早合点して、何でもかんでも、ちょっと相手の話を聞いただけで「ハイハイ」「なるほど!」と理解すればいいものでもない。
そこには時間が必要だったり、「わかっ」てはいけない「領域」や「分量」が必ずある。
簡単にわかってしまい、しかもその悩みや状況が解決できそうだと思ってしまえば、あとはクライアント「には」解決できないという苦しい事実が現れてしまうから。

私自身のことを考えてみても、自分が持っている最も大きく苦しい問題の1、2、3番くらいは多少の時間を費やして説明したとしても「わから」ないと感じる。
もしくは「わかっ」てほしくない。
ちょっと矛盾している。
でもそういう矛盾を抱えていることが自然だという感覚を持つべきだ。

2011-07-01 06:00

人間はなかなか死なない

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うつのリハビリでは、ちょうど良い負荷にコントロールしながら、体力や感覚、社会での生活力を回復していくのが本当に難しいものです。
運命的な要素や社会や組織の規範がどうしても個人の事情に合せてゆずることができない場合も多々あります。

それ以外は、カウンセラーや周囲の支援者、医療関係者などから見て、無謀に思えるリハビリプランをクライアントが選ぶという場合もあります。
時期の早すぎる復帰やリハビリの始めから飛ばしすぎてしまうような状況です。

それでも必ずしもそのリハビリが失敗する(と予想できる)かと言うと、そうでもないというのが世の中、人生、メンタルヘルスの面白い(興味深い)ところです。
カウンセラーから見て「絶対失敗する」と思い、クライアントに助言をし、それでも「どうしてもこのやり方でやってみたい」と気持ちが変わらなかった場合でも、やってみたら意外に大丈夫だった、ということは良く経験します。

人間は強くて、弱い。
それに、世の中や社会で何が起こり、どのように人に影響を与えるかというのは分からないものです。

一寸先は闇。
しかし、その闇というのは単に悪い結果を思わせる暗さではなく、良いか悪いかが分からない、というだけの暗さです。

個人的に持っている感覚、価値観にも合っています。

“人間は殺そうと思ってもなかなか死なない。かつ、生かそうと思っても簡単に死ぬし、止められない(こともある)”

2011-02-27 08:00

驚きと疑問が下手

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5メッセージである興味津々、驚き、疑問、了解、共感のうち興味津々、了解、共感は、誰でもなんとなく理解しやすいし、それなりに表現することはできるようだ。
しかし、驚きと疑問はそれらに比べると表現すること、あるいはバランスよく出すことが難しい。

カウンセリングロールプレイで一旦は意識して驚きや疑問を表現しようとしてみても、10〜15分間くらいの区切られた時間で現場を設定してやってみるとさっぱり消えてしまう人は多い。
見ているこちらが驚き、疑問を持つくらいだ。
初期のトレーニングでこの部分を習得できるかできないかは、その後の成長の速さの違いとして如実に現れると思っている。

考えてみると、日常の社会会話やコミュニケーションの中で、驚きや疑問を素直にあるいは多少大げさに演技的に表現することは一部の人にとってはとても少ない。
逆に、感情を押し殺して、なるべく主観や気持ちを仕事にしても勉強にしても持ち込まないように訓練され、あるいは社会的に仕向けられている。
そしてカウンセリングという業・仕事を行う現場でも、その意識や緊張・プレッシャーからくるぎこちなさを克服できない。
仕事なのに感情を込める、という経験を持っていたり、実生活で慣れているという人は比率として少ない。
芸術家や俳優、タレントに近い動作だと思って欲しい。

しかし、驚きと疑問は、カウンセラーにはとても大事なコミュニケーションツールである。
この2つのメッセージがクライアントに伝わらなければ、同じように話や事実を聞いているように見えるかもしれないが、その中身や起こっている感情・感覚は歴然として違ってくる。
興味津々、了解、共感だけでは、カウンセリングが深まらないし、味方になることは難しい。

驚きメッセージを出して、クライアントの思考や感情とバランスをを取り、付かず離れずのカウンセラーの感情を分かりやすく伝える。

疑問メッセージをを出して、日常会話や仕事の会話では聞き流したり、全体のバランスから見て、あるいは時間的制約・効率から突き詰めて聞いていないようなレベルのディテールをおろそかにしないでクライアントに伝える。
その上で、詳細を、バランス良くクライアントから「教えてもらう」ことを丹念に繰り返していく。

初期の段階から細かにフィードバックをもらい、振り返りしつつ、バランスを考えつつもとにかく、大きく驚く、素朴な細かな疑問を流さないでキチンキチンと尋ねるということをトレーニングする。
そのトレーニングの合間では、驚きと疑問というメッセージの持つ意義やクライアントそしてカウンセリングという場で何が起きているのかを突き詰めて考えこみ、また自分に返すということを繰り返す。
それが5メッセージの表現力を身につけ理解するための最も早い道です。

2011-02-20 08:00

ブラインドウォーク – エンカウンターその2

ブラインドウォーク_20110122

概要

二人組をつくり、片方の人が目をつぶって、もう一方の人が誘導・補助してスペース内の指示したコースを歩いてもらう

適当な時間

30分くらい

必要なスペース

ぐるりと周囲を回れるようなオープンスペース。適度に障害物があっても良い

メモ

    <以下、誘導者を「Y」、目をつぶる人を「B」とする>
    (注)安全管理等に十分配慮する。他のエンカウンターツールなども同じことですが「やりたくない」「今回は見るだけにしたい」という人には可能なかぎりは自由を許す。また例えばこのエントリの「ブラインドウォーク」では互いにからだが近づいたり触ったりするので性別等も含めた組分けにも配慮が必要かもしれない

  • まずYがBの正面に立って、Bの両手を取り、後ずさる形でコースを1周してもらう。しゃべってもらって構わない
  • 全員全組が周り終わったら振り返りをする。Bの不安や怖さ、こうしてもらいたかった、など。Yの印象や難しく感じたこと、工夫したこと、など。この振り返りは緊張を和らげたり、自分自身に目を向けてもらったり、人間の感情・感覚などについて考えてもらう重要な段階である

  • 次に役割をYとBの役割を交代して、もう一度同じようにコースを歩いてもらう。2回目は誘導のし方を自由にしてもらう。YがBの横や後ろを歩く、手や身体への触れ方を変えてみる、など

アレンジ案など

  • 安全に配慮した上で、途中で(B役の全員が始まりの合図で目をつぶってから)コースを少し変えたり、柔らかいタオルなどをたらすなどして、Yに臨機応変な対処が必要になるようなイベントを入れても良い
  • B役が全員目をつぶってから歩き始めるまでには順番があってタイムラグが生じるから誘導を始めるYからの合図や声かけのやり方、待っている間に何を考え何をしたかなどの感想・工夫も振り返りの材料になる
  • 参加したある回の教育・エンカウンターグループでは、指導者が「あんまりにもYがBのことばかりを見たり心配し過ぎているとBが歩いていく先や周囲が見られなくなる。これは個別カウンセリングでカウンセラーがクライアントとの関係で視野が狭くなってしまう状態に似ているかも」というようなコメントをしていてなるほどと思う

その他

エンカウンター的なツールについては色々勉強したい。
単に雰囲気を良くしたり、お互いの交流を促すというレクリエーションやゲーム的な時間、組分けのための方法としても有意義ではあるが、そこにカウンセリングやメンタルヘルス、人間の感情や思考の性質などについて自然と考えさせたり、発見したりするような流れになるとなお良いと思う。
ただし必ずしも思ったとおりになる、参加者が感じるというものでもないし、時間管理には気を使わなくてはいけない。

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2011-01-22 08:00

カウンセリングするのに情報は少ないほうが良い

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カウンセリングをするのに、カウンセラーにクライアントと同等・同質の経験や体験がなくてはいけないとか、あった方が良いとかいうことはない。
そういうことを言い始めると、同じ年齢、同じコミュニティ(家族とか)や組織への所属、同じ知識や資格を持つ人、同じ性別などの条件を満たす人にしか、その特定のクライアントのカウンセリングができないということになってしまう。
(突き詰めると、その人自身にしかその人の悩みや問題に関わったり、アドバイスをしたりすることは無理なのではないか)

あるクライアントのカウンセリングをするための資格や条件に、限界や制約がまったくない、ということではないが、一般に考えられ、言われているほど早くて低い限界を設定してしまうのは浅い。
何も知らないからこそ、基礎の始めから状況や情報を話してもらえる、聞けるし、クライアントからしてみれば話せる、教えられる。
それによって話す場の内容や力動としては対等なコミュニケーションが生まれる。
(生まれる可能性が高くなる)

2011-01-04 11:00

(関連エントリ)

カウンセラーは前回までの面接の内容を憶えていた方が良いか否か | deathhacks

心理カウンセラーとして開業できる

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ピンの心理カウンセラーとして独立就職するとして、都心ならば可能だろう。
様々なインフラ、特にIT系のものがローコスト・ノーコストで普及した現在、それらを最大限に活用するが、だからこそ核心となる部分をリアルで実施しなくてはならない。
それには、都会の人口密度やリアルなインフラがまだまだ必要不可欠。

固定費用をなるべくかけないスモールスタートが肝心。
これはITベンチャーと一緒の考え方だと思う。
Webサービスベンチャーや事業コンサルタントなどであれば、最初からかなりの事業規模までノマドワークでいけるかもしれない。
ノマドワークというのは固定オフィスを持たないということ。

しかし、カウンセリングには静かな場所や周囲に話を聞かれない環境というものが必須だろう。
調べてみると都心、特に東京都内などにはレンタルオフィス・スペースは結構あるみたい。
さらにメンタルヘルス関連のセミナーやカウンセリングに対象を絞っているような業者もいくつか見つかる。
このあたりのコストやクライアントとの関係・契約をうまく処理できるならば早い段階で場所を構える必要はないかも。
なにしろ、場所をどこに定めてもカウンセラーかクライアントのどちらかもしくは両者の移動という金銭・時間コストはかかってしまうはず。

あとはメールやチャット、Skypeなどの活用は是非すること。

2011-01-01 11:00

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客(クライアント)は何を食べたいか自分では分からない(と思え)

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心理カウンセリングでクライアントがカウンセラーに求めるものをうまく捉えることはお互いに協力的であってもなかなか難しいものです。これはクライアントの知能や知性、表現力ややる気に左右されるという意味ではありません。心理カウンセリングで扱うテーマが人生や幸せ、価値観、そして本質的にメタ認識することが不可能な「クライアント自身のこと」だからです。

カウンセラーがお店だとして、そう、例えば八百屋だとしましょう。当然売っているものは野菜や果物です。そこにお客さん(クライアント)が来たとして、「魚が欲しいのですが」と言ってきたらどうすれば良いでしょう。「魚ならウチにはありませんが、その先に魚屋ががありますし、もう少し行けばスーパーもありますよ」というような対応をすれば問題ないと思えます。そもそも「ふつう魚が欲しい人が八百屋に来ることはないだろ」というのは常識的です。

しかし、心理臨床領域ではこのような状況が現にあるし、起こっていると考えられます。自分が何が欲しいか、その店に何が売っているのか、分からないクライアントが買い物に来るのです。これは単なる比ゆとしてですが、考えられる原始的な問題はいくつもあります。

  • クライアントはお腹が空いているので食材を買いに来たのかもしれない。もしかしたらレストランに行ったほうが早い?
  • お腹の調子が悪いなら食べない方が良いかもしれない
  • 食べたいのは正直な気持ちだけれど、食べ過ぎて肥満になっているかもしれない。これも果たして食べたいものを食べるのが「正解」か?
  • 売る側(カウンセラー)も何を売っているのかを分かっていない。だから野菜の代わりに魚を売ってしまう。他の店を紹介したり断ったりできない

プロとしては自分が提供しているサービスを知ること、クライアントのニーズに合わせて説明できること、その限界や特徴を知ることが必要です。常識的に考えて、一人の人間が世に存在するすべての商品を提供することはできません。それを目指したり、何でもできると錯覚して請け負うのは、一人でアマゾンの経営から買い付けから在庫管理から出荷などまでやるようなものです。

医療や心理臨床領域ではこのように科学で解明できたり、計測可能、定性可能なものは限られています。繰り返しですが、それは扱うテーマが、人生、価値観、幸せ、社会などあいまいで抽象的なものだからです。

2010-12-29 08:00

(関連エントリ)

料理が先か、食材が先か | deathhacks

手料理をふるまうようなカウンセリング | deathhacks

カウンセリングでもグループトレーニングでも言語化は大事です | deathhacks

九九のようにストレスコントロールを知る、使う | deathhacks