メッセージコントロールが革命的である理屈


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心理カウンセリングにおける「メッセージコントロール」は旧来のカウンセリングとは大きく印象が違う。
それは革命的と言ってもいい。

ここで限定的に考えている旧来のカウンセリングというものは、答えが一つしかない試験問題のようなものだ。
解答に至るまでの道筋は多少の違いはあるかもしれないが、結局は狭い型にクライアントの思考や感情を納めてしまうような感じがある。
あるいはどこまで言っても傾聴、傾聴でクライアントの自己責任を要求する。
カウンセラーがやることは決まっていて、まず何よりも見立てや判断(医療で言うところの診断)が大事になる。
そもそも見立てが付かなければ何も進まないような感覚がある。

それは野球のバッティングで、とにかく自分のベストである鋭いスイングを修行僧の様にストイックに極め、現場においては如何にしてピッチャーが自分の打つべき球種やコース、速度で投げさせ、それを打ち込むかをあの手この手で駆け引きするスタイルのようなものだ。

一方、メッセージコントロールは言ってしまえば、臨機応変でどうにもフワフワしていると感じるかもしれない。
あるクライアント、状況、言葉に対して正解という対応はない。
カウンセラーの性質や能力、好み、雰囲気によって、あるときうまくいったことが、別のカウンセラーにとってはまったくの失敗に結びついたりもする。
これはカウンセラーが何を考えるか、何を言うか、何をするかよりも優先して、今眼の前にいるクライアントがどう考え、感じているかに注目する。

これはイチロー選手のバッティングのイメージだ。
型通りの素振りを練習で繰り返し、それをそのままバッターボックスでも貫くのとはちょっと違う。
ときにはとんでもなく高いボール球を強振してハイバウンド球を内野安打にしたり、ワンバウンドするんじゃないかというボールに手を出してすくい打ちヒットにしてしまったりする。
その表面だけを見ていると、基本を無視した結果オーライのプレーに思えるかもしれない。
しかし、そこには基礎があり、理屈や思考があり、何よりもどんなボールが投げられてくるかを完璧に予想することはできないピッチャー側に、打つ側が柔軟になんでもありというくらいの覚悟で対応しているのではないかと感じる。

メッセージコントロールが革命的である証拠として、旧来の(どう表現するのが良いか難しいが、伝統的というか、学術研究上のというか)カウンセリングをみっちりとやってきてマスターしている人ほど、理解が難しいという傾向があることが挙げられる。
いや、たいてい、体験することによって頭で理解することは多くの人にはできる。
しかし、その次の実戦の段階を訓練する時に相当に苦労する。

それこそまず、既に身に付いている知識や習慣が邪魔をして、それを消すなりキチンと別の引き出しにしまったりしなくては、新しいやり方を学習できない。
戦国時代から江戸時代、江戸時代から明治時代、明治から昭和へと移り変わった過渡期に様々に異なる形で適応していったり淘汰されていった文化や思想、人間の苦労に似ている。

逆に、若くて、年齢などから比較して人生などの経験が少ない人でも、順番に、限定的にコツや理論、考え方を習っていき、トレーニングしていけば一般的なコミュニケーションの延長として基礎的なメッセージコントロールを基本にしたカウンセリング効果を出すことができる。

メッセージコントロールは発明ではなく発見なのだと思う。
いつからかはわからないが、以前から身近にあったのはずだ。
しかし、見ようとしてみなければそこにあることをはっきりと意識できなかった概念と言える。
それらに対して、範囲を決め、理由を考え、名前を部分や全体に付けることによってはじめて存在することになった。

世の中何でもそうだが、メッセージコントロールもまだまだこれから、現場で確かめられたり、線引きを変えられていったり、名前も名前もコロコロ変わっていくはずだ。
認識や概念は大事だが、その本質が大きく変化したり、なくなってしまうことは少ないか、数百年単位の時間がかかる。
本質とその時点での考え方を常に一人ひとりが確認しなくてはいけない。

2012-01-20 08:00

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