世話を焼くこととカウンセリングでの巻き込まれ

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所属している団体のIT戦略の今後について考えています。
今のところ告知や広報目的でホームページは公開しています。
また、イベントの参加募集や各種連絡に電子メール(メール)は使いますがそこまでが限界になっています。

はじめはホームページのリニューアルについて相談を受けたのですが、ITやインターネットなどのインフラを最大限使って、会員相互のコミュニケーションを増進するような戦略をあらためて練るべきだと思い、構想したり意見交換を始めました。

会員の年齢層がおそらくやや高くて30代後半以降から50代くらいまでになっていると思います。
するとメールやケータイでの連絡が有効に使えない方がまだまだいらっしゃいます。
郵便・郵送などを基本とするシステムで稼働し始めたので、物理的なコストが多くかかる場合があります。
結局これまでは、金銭コストはともかくとして、作業・労働・時間コストは実作業する人のボランティア・持ち出しでした。
しかしこれは趣味的な集団でないならば不健全な運営体制です。

家ではパソコンをほとんど使わない、ホームページを見られないなどと言う人は、最近のケータイであればコストはかかりますがフルブラウザを使えば同等のことができます。
メールも「パソコンのメールはたまにしかチェックしないので!」という人は、ケータイに転送するなり、Gmailからfetchするなりすればいいでしょう。
「ケータイにメールしてもらっても拒否されてしまうようで、、」と言う人にはケータイキャリアの販売サービス店に行ってもらえば窓口で教えてくれますし、「携帯電話教室」のようなものもあります。
要は、何かを得たいと思うならばお金なり時間なり労働なり、適切な対価を払うべきだと思っています。
「自分が知りたいのはパソコンやケータイのことではないのだ」という人は「切り捨て」るべきだとまで、個人的には原理主義的に考えます。

パソコンなどが苦手、とは言え当人自身がうまく努力できない状態で、サービスを提供する側が懇切丁寧に世話を焼いてあげる、手を貸して支援してあげることは決して悪いことではないでしょう。
しかし、それら自体を商業的サービスとしている団体ではありませんし、過剰に気を使ったり支援をしたりすることがカウンセリングで生じる「共依存」であったり「巻き込まれ」である面があるのではないかと考えています。

2010-06-30 8a.m.

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