私は最近、自分に入ってくる情報を減らそうと意識しています。また、入ってきた情報でも自分が処理するべきものであるかどうかの判断を慎重に考えるようにもしています。
世の中にあふれる情報量というものに関して最近よく話をきくようになりました。
メディアやコンピュータ、ケータイ、インターネットなどの発達によって一人の人間が受け取る情報の量が爆発的に増えたというものです。
これに対しては「一見情報が多いほうが、正確な判断ができるとか、選択の幅が広がるなどの利点が増えるように思われるが、実際にはストレスや迷いがそれ以上に増える」という研究や意見が多いようです。
心情的にも、悪い情報については特にそうだと思いますが「知らない方が良かった!」と感じる場面があり得ると思います。しかしどんな感じ方をするにしても、それは認識上のものですから、感じ方によって外界の事実自体は変わりません。
選択肢の数とその取捨選択については次のような分析もあります。
人間は将棋などのゲームの打ち手や日常での判断において、様々な選択肢から最善を選んでいるように見えて、実際は「最初に気付いたり思いついたりした選択肢が明らかに悪手でなければそれを実行する」ことが多いそうです。(このことは、プロの思考や一生を左右するような人生の決断にはあてはまりませんが) 要は選択肢が多いことがメリットというよりはデメリット、ノイズとして働いてしまうことが多いということです。
また一方、増えた情報の処理については「ITツール」の利用や「ライフハック」と呼ばれるような幅広いノウハウの研究と共有によって工夫することが盛んです。(こういった情報の処理方法自体もあふれる「情報」の一つになりかねないという皮肉もあります)
さて、私も「情報の爆発的増加」と「処理の工夫(ライフハック?)」については継続して興味を持っています。
そして、現在自分が取りたいと思うのはまず入ってくる情報の「制限」の方針です。
最近数年間は状況にも恵まれていたため、比較的時間を取って自由に本を読んだり、主にインターネットを通して「情報」を取り続けることができていました。しかし、どうも費やした時間に対して、自分に何かアウトプットできるような体系的な知識やスキルが身に付いたというわけではありません。もちろん、本やメディアなどの現場からの間接的な情報をいくら大量に暗記していたとしても実力、実践力にはならないということかもしれません。
また、どんなにショッキングな事件であっても物理的に離れた場所や世界のことならば、自分という人間(の短い一生)には残念ながら関係しないな、という感覚を持つようにもなりました。それ自体が増えたのか減ったのかは様々な議論がありますが、世の中には確かに凶悪と呼ばれる事件や悲惨や災害の「報道は」増えていると思います。しかし、私はその一つ一つに危機感を持ったりや共感したりすることを意識的に減らしてしまいました。あくまで例ですが、銃を持った人間が人質を取って立てこもっていたとしても、それが自分の生活圏でなければニュースをリアルタイムで追いかける必要はないと思うのです。地理的に遠くで災害が起きたとして、支援することとは別に、私個人が心を痛め続けて疲弊することは適切ではないと割りきるようにもします。テレビや新聞などの「旧来の」と言ってもいいメディアが「プッシュ」してくる情報は、もう意識してゼロにしてしまってもいいように感じます。強制的に入ってくる情報はカットしてしまっていても職場やインターネット、利用している時事通信のケータイ速報メールサービスなどで、さすがに落としてしまっていてはまずいニュースについてはキャッチできます。個人的にはテレビと新聞のない生活は今のところ支障ありません。
現代において、自分が受けとる情報の手段や量を増やすことは比較的容易です。しかし、その質が高いかどうか、自分に取って価値があるかどうかを考えることは大切です。情報は処理されなければ意味がありません。と言うよりも処理されて初めて「情報」になるのです。処理には必ずコストがかかりますし、コストは有限ですから入ってくる情報は少なければ少ないほど良いでしょう。情報を減らすことは心理的に抵抗があることが多いですし、なかなか難しい行動です。いわゆる「選択と集中」を「情報」について実践するのは興味深く、意外に楽しいと感じています。
2010-05-09 9a.m.
(引用追記 2011-02-22 07:00)
p.23
(中略)しかし、実は情報の氾濫、広域高速社会、二四時間体制、自己責任の強調などの影響で、思考や感情を働かせる機会が大変多くなってきたのだ。(中略)p.24
現代人は、(物理的・時間的に)自分からかけ離れた事象に、思考や感情を働かせている。こんなことは一〇〇年前にはありえなかった。
過剰な情報に追われ、さまざまな思考や感情を二四時間働かせ続け、現代人は、いつの間にか疲弊していく。(中略)– 『今度こそ、「うつ」から抜け出す本』、下園壮太、大和出版、2010年
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