教える、教わる、の関係はむつかしい


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教える者と教わる者には技術や知識に格差があるため、徒弟関係、上下関係、主従関係のようなものを回避することは難しいでしょう。

(関連エントリ)
世の仕事は差分を利用している | deathhacks

知識や技術を教えることそのものの難しさとは別に教える側、教わる側の間に生じる人間関係、関係性を考えています。

冷静に考えると「教えること」それ自体は偉いことでも何でもありません。
教えることは、教える側にもメリットがある(はずだ)からです。
それは金銭的対価かもしれませんし、感謝を受けることかもしれません。
名誉や尊敬を得ることを目指している教育者もいるでしょう。
原則として、教えることを非選択的に強制されていないとすれば、有形無形の「報酬」を得る、(理想的状況とすれば)等価交換をしているはずです。

私個人としては、そして多くの人が気づいてもいますが、教えることのメリットは自らが勉強になることです。
教えることによって、その内容・技術・テーマについてさらに深く、広く、学ぶことができるのです。
もしくは「人に教えられるレベルになって初めてそれをキチンと理解した、自分のモノにしたと言えるのだ」ということなのでしょう。

教える者にも教わる者にも等しく、謙虚かつ卑屈にならない精神が必要です。
教える側は押しつけやひけらかし、知の押し売りをしてはいけません。
しかし、教わる側も遠慮する必要はないのです。

普段の私は、可能な限り「正当な」対価等価交換をする、人間関係やしがらみ・社会的義務感を理由にして個人のメリットを犠牲にはしない、ということが基本だと思っています。
しょせん、無理をして続ける価値のある関係や仕事は非常に少ないでしょう。

実際には知や技術のテーマの特性もありますし、人間関係(上下関係)を除くためには本にしたり、データ化デジタル化、公共物化するなどして属人性を薄めるしかないのかもしれませんが。

2010-11-26 06:00

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