しゃべることによって話が(変化して)まとまる


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頭の中で考えていることを整理するために、誰かに話を聞いてもらうということはよくある。
このとき、結果としてアウトプットされたものは、元の思考やアイデアとおなじだろうか。
経験的にも、最初に思いついていることの色合いは残していたとしても、まったく違う話が出てくることが多い。
ということは、多くの場合、しゃべることによってアイデアを「まとめる」というのは「新たにアイデアを生み出す」ことに他ならないのだろう。

まず最初の起点となる”エウレカ!”が存在する。
よく言われることだが、この時のアイデアというものはとても儚く弱々しくモヤモヤとしたものだから、すぐにメモをするなりしゃべるなりしないとあっという間にどこかに消え去ってしまう。

次にアイデアを確固たるものとするためには、それを言葉や図式にしなくてはいけない。
言葉や図式と言ったが、よく使われるツールとしては言葉かもしれない。

言葉は(図式もそうだけど)「抽象化」の道具だ。
「抽象化」ということは、物事や事象、アイデアの「部分を抜き出す」という作業になる。
つまり、「抽象化したものは元のアイデアをそのままに表していない」ということになる。
似てはいるし、面影は確かにあるけれども、”まったくの別人”と表現してもいいかもしれない。

部分を抜き出す、というだけでなくその過程で、新たな部品が付いたり、表現手法が洗練されたりといった変化もする。
これも、抽象化あるいは他人へ伝えるコミュニケーションの中で自然に発生している現象である。

こうしてできあがったものが生成物としての「話」なのだと思う。
話すことや書くこと、自分の頭の中だけに思想や思考を閉じ込めておかずに抽象化してデータにし、外部化することは、決してできあがっているものを単に記録するというだけのものではない。
失われるもの、付け加えられ磨かれるものが必ずあって、そこでは創造的作業が行われている。

2011-03-30 08:00

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