極論すれば現代社会のほとんどの業は虚業と言える


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世の中には、人間が単に生き物として「生きる」ためだけならば必須ではないものが多い。
ギャンブルもアルコールもタバコもゲームもテレビも、なくなったからと言ってすぐに誰かが直接に死んでしまうということはない。

警察も要らない。
それぞれが自分の身や財産を自身で守ればよい。
農業も要らない。
元々、自給自足で作れる以上の作物・食物が必要になるという時点で人数・コミュニティを拡げすぎた状態なのかもしれない。
医療も要らない(部分がある)。
エネルギーを摂りすぎたり、便利に慣れすぎて運動不足になったりで、生活習慣病などというものが増え、それに対処するというのは自業自得なのか、本末転倒と言った方がいいのか。
なまじ優秀な発達によって寿命が伸びても、それをどう有効に活用すればいいかに社会も個人も悩んでしまう。
これは自由選択のジレンマのようなものだ。

人間は、共存、共生、共働することを種として選んだ。
生き物単体での強さは他の種に劣っても、集団化したり、道具を使ったり、外部資源を豊かにすることでここまで発展してきた。
それはすべて「社会」という仕組み、ツールだ。
人間は生まれてすぐにそのツールがないと生き残れない。
生まれても、親や社会が助けなければ生存しえない。

成人して、大人になってから、社会から出る、独立・独生するという自由はあるにはある。
しかし、それも完全には難しい。
国家や法律、経済、税金などの介入を無視はできない。

だからこそ「虚」のようにも見える余計な部分に、人間としての価値がある。

2011-03-31 07:00

(関連URL)

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