不潔がタブーになった理由


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人類は不潔、例えば排泄物による汚染や失禁などをタブー taboo と見なすことで、集団全体としてはメリットが大きくなりましたが、それによって個としては「恥」という感情、ストレス要因を作り出し育ててきました。

不潔や汚染は原始時代には、現代と同じようなレベルでは問題にはならなかったでしょう。
川や池の水を直接飲むのは普通の行為だったでしょう。
落とした食べ物や狩ったばかりで血や汚れなどが混じった肉を食べることは必要なことでした。
毎日風呂に入ったり、シャワーを浴びたりして、洗濯した衣類に着替えたりする生活・文化は人類の歴史で考えると非常に最近の変化によるものです。

全体の平均した衛生環境が悪い時代には「不潔」であることはあまり重視されなかったし、しなくて良かったのでしょう。
むしろ、環境の整備に手間をかけたり選んだりしていたら、生存の競争をする上で非常に不利だったのではないかと思います。

しかし、集団生活が洗練されていき、密集して生活し文化を形成していくと、自分や隣人が不潔、不衛生であることはマイナス面が大きくなってきました。
それまで、人類の生き死にに関わる大きな要素であったケモノ・外敵からの攻撃や極端な飢え、暑さ寒さなどの自然環境から身を守ることができるようになったのです。
次に、人類が対処したい、集団を脅かすものは病原菌でした。

病原菌は目に見えないため、近年にそのメカニズムが徐々に解明されてくるまでは経験則によって避けるしかないものでした。
人類は「経験的に」不潔なもの、臭いもの、などを避け忌み嫌うことを本能にプラスして、いや知能が発達したからこそ本能以外の部分でそれを学び継承する必要が出てきました。
そして、目に見えない、論理的に説明し記録することが難しい、でも重要な知恵を文化や社会規範、道徳、宗教などに混ぜ込むことによって「根拠は分からないけれど守るべきこと」として発展維持してきたのです。

ただし、現代では、最初にも書いたように「清潔にする」ことのマイナス面もあります。
今の日本である人が1週間程度入浴しなかったとしても、それだけで何か伝染病が流行るのに好ましい状況が発生するわけではないでしょう。
災害や惨事、戦争などの場面では失禁したり、不潔になったりすることは避けられないでしょうが、平常があまりに清潔なため変化に苦しんだり、互いに差別したり、困っていても心理的に隠そうとしてしまう傾向が生じます。

生物学的に見て不潔とか清潔とかいうものは相対的な評価軸ですし、不潔イコール悪ではありません。
しかし、知能や文化、物語を育んできた人類はそこに善悪や恥というような科学的ではないファジーな評価や感情を持ち込んでしまいます。

清潔にすることにメリットがあることは確かです。
が、良悪はあくまで、ある一点、一時期、合せる焦点によって変化するものですし、変わり続けます。
人や時代などによって価値評価は変わります。

2010-11-27 08:00

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