うつを「治す」と表現できるほどの医療や技術はまだないと思っています。うつの回復には、もう少し自然現象的な「治る」という方がしっくりくるような気がします。
例えば風邪をひいたときに「薬をのんで風邪を治した」と言うことはありますが、実際には風邪薬は対症療法的な効果しかありません。薬が熱を下げたり鼻水を抑えたり、のどの痛みを和らげたりしてくれるのはとてもありがたいことですが、ウイルスが原因の風邪だったとして、通常の風邪薬がそのウイルスをやっつけるということはありません。
うつについて考えてみますと、風邪をひいたときと同じように医療を利用したとして、その治療の大きな部分を占めるのは投薬治療になるでしょう。しかし、残念ながら現在のうつに対する投薬治療が「原因」の根元に介入しているとは言えません。何しろいわゆるうつの「メカニズム」がまだまだ解明されていないという面があるからです。仮に、現時点でわかっているうつの「仕組み」に投薬がうまく効果をおよぼしていたとして、今度はその投薬による回復状態の「支持」をどれだけ続ければいいかについても、経験的な知見から決められています。長期の投薬治療がもたらす身体的、金銭的、社会的インパクトを考えて、それがはたして本当にデメリットをメリットが上回っている方策なのかどうかは難しい問題です。
うつについて「治す」とか「治る」とか言うのは、あくまで「表現」の話に過ぎないかもしれません。ただ、あまりに「治す」という表現を当たり前のものとして多用すると、うまくいかないことが、クライアントにもカウンセラーにも治療者や関係者にも大きなプレッシャーとなる可能性があります。「治る」という一見他動的な「人事を尽くして天命を待つ」的考えをしておいて、「できることはやったからあとは運だな」くらいに思えるのが理想です。そういった考え方や認知を当事者に望むのはそれこそ理想論なのですが。
非常に割り切ると、医療の役目は3つだけだと考えています。
- 投薬・処方:その効果や役割を適切に評価すれば、緊急避難的にも状態維持目的にしても有用ですし、他に代わるものがありません
- 身体的・器質的疾患の有無の確認:うつの知識は広まりましたが、様々な他の疾患と重なっていたり、二次的な表れであったりする場合があります。そのチェックは医療が専門として担うべきです
- 診断書の作成:うつからの回復のために必要な休養や環境調整のための、社会的な認識・合意を得るためには診断書という公的文書が有用であることが多くあります
逆にこれ以外の部分については医療に頼ることは適当でないかもしれません。
人生にかかわるような、うつという状態について当事者から見ての赤の他人である医療に、有用な部分だけでなく、全体のコントロールを委ねて頼ってしまっても結果責任は当事者にしか返ってこないでしょう。
2010-05-01 8a.m.
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