昨日のエントリ(そのカウンセリングに直面化は必要ですか? | deathhacks)につけ加えておきたい。
カウンセリングに限らないのだが、「何もしない」という選択肢があることを忘れてはいけない。
人は「何もしない」ことを、サボっているとか、手をこまねいているとか、時間を無駄にしているとかいうように見なすことが多い。
現代のように何事においても、選ぶ余地が増え、変化のスピードが速くなっていることが、こうした傾向をさらに強めている。
しかし例えば、医学の基本精神は「(そうなることを知りながら)害を為してはならない」というものだ。
医療の多くには、デメリットがある。
注射ひとつするのにも、痛みがあり、過誤の可能性があり、お金がかかり、副作用のリスクがある。
これが、より複雑な検査や手術、治療ともなれば、そのメリットが大きくなるとともに、デメリットやそれが起こる確率も大きくなっていく。
カウンセリングでも同じことだ。
クライアントに重大な決心をうながしたり、新たな着想を期待したりするときに、それがどんなに良さそうなことに見えても、必ずしもそれがベストの道であるとは思い込まないで欲しい。
行動や思考の変化・変容は、それ自体エネルギーを消費するというマイナス面を持つ。
カウンセリングの場でしゃべったり、思い出したり思考したりという作業には時間もエネルギーも使う。
健全である(はずの)カウンセラーにとって大したことのないように思える会話やセッションでも、悩んで苦しくて疲れているクライアントにとっては、なけなし・虎の子の貴重な資源を勇気を持って絞り出す状態であるかもしれないのだ。
こう考えると「何もしない」ということも、時には一番有効な手段であるかもしれない。
何か具体的な手を打つ以上に、勇気を必要とする戦術かもしれないが。
2012-04-22 08:00
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