I CAN’T DEFINE MYSELF, TOO


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私がカウンセリングや心理、惨事反応などを学んだり、トレーニングしたりするのは、自分のため、自分をよりもっと知るためだ。

誰のためにメンタルヘルスの勉強をするのか | deathhacks

ただし、そう公言していても、やはりどこかに罪障感を持っている。
「困っている人を支援したい」とか「自分が助けられた経験があるので今度は別の方を助けたい」とか言っている人たちを目の前にするとなおさらだ。

しかし、持っている既読本をPDF化する作業の中で、國分康孝さんの本をパラパラとめくり返していたら、こうした自分のもやもやを解消できるかもしれないヒントをもらった。
(実は國分氏の本からは何回もこういった発見をしている。一度めに読んで感じなかったことを再読して感激したり。疑問に思っていたことを既に解決していて参考になったりなど)

國分氏が留学したときに、教授からその目的を聞かれた氏が、「 I can’t define myself 」と答えたそうだ。
「自分を定義できない(自分が何者かわからない)」とかいう感じだろうか。
その時点で、國分氏は、自分がカウンセラーなのか臨床家なのか、研究者なのか教育者なのかなど、立ち位置に迷いのようなものがあったらしい。
留学の中で、その一点だけでもクリアになれば幸いだろうと考えていた。
この目標、目的はシンプルだが、重要で、壮大なものだったと思える。

自分なんかがこのエピソードになぞらえるのは不遜かもしれないが、今の自分にもこの「自分がわからない。だから知りたい」という感覚がずっとあり、だからこそ今の生活や活動がある。

2012-04-02 08:00

Posted from DPad on my iPad

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