ソーシャルメディアと食品衛生の考え方で似ているところ

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いわゆるソーシャルメディアが盛んだ。
TwitterやFacebookは「当たり前にそこにあるもの」という扱いになっている。
「私の周りではそんなことはないぞ」と言う人もいるだろうが、これらのツールや言葉は、街の往来やファストフード、カフェで、サラリーパーソンや学生の会話の中にフツーに登場している。
それがどの程度の深さで利用されていて、いつまで持続するのか、あるいはPCやブロードバンド、ケータイのようにメジャーなインフラになっていくかはまだわからないが。

こうしたソーシャルメディアにおける新しい個人同士のコミュニケーションに伴って生じているのは、プライバシーをどのように管理するかという問題や、組織のイメージ戦略、ビジネス利用への試行錯誤などだ。

ビジネス利用については「ビッグデータ」というキーワードが今来ている。
ICTが普及・発達することによって、単独・子細な情報を膨大に集積・分析し、新たな価値を生み出すことが模索されている。

そしてICTとソーシャルメディアに関連したプライバシーや組織イメージ管理については、混乱や疑心暗鬼がまだまだ多くの人の中に先行している。
例えば、Twitterに悪口が書かれたとか、企業の秘密がバレたとか。
Facebookやブログなどに、たとえ事実だとしても、ある企業や組織の対外イメージを悪く言う、攻撃的な記事が載り、広く発信されることもある。
こうした「問題」への対策はどうしても後手後手になっているのが実状だ。

ただ、私自身はこのような「不安」について、それらを単純にリスクや悪いものと見て恐れてもしょうがないと考える。
よく言われることだが、ICTやソーシャルメディアはあくまでもツールや手段、インフラだ。
Twitterや「いわゆる学校闇(裏)サイト」などに誹謗中傷、悪意が書き込まれたとして、「ツール」だけをいくら規制したり、コントロール使用としても限界がすぐ来る。
別に、ツールや場があるから、こうした悪意や問題が人間の心に出現したわけではない。
元々あった意識や出来事がただ単に増幅され、可視化され、広まりやすくなっただけとも言える。

「陰口」というものは太古の昔からあったはずだ。
そのスケールが以前に比べると爆発的に大きくなっていて、怖い面は確かにあるが、その本質を見間違えてはいけない。

ある企業がネットで風評被害を受けたとする。
これは確かに由々しき問題だし、社会として管理や処理をされなくてはいけないかもしれない。
だが、一方で精神的な被害と経済的・物理的被害を切り分けて考えてもみるべきだ。

営利企業が風評被害を受けたとして、名誉が傷つけられたことと、利益が損なわれたことについての直接的因果関係を証明することは難しい。
考えようによっては、「別に悪口を言っている人間はいるかもしれないが、気にしなければいいことだし、ウチは正しいことをやって儲かっているからそれでいい」とも言えるのだ。

これは食品衛生の考え方、被害の段階分けで、食品が汚染されたような「気がする」という状態の精神的被害と、実際に食品が汚染されるなどして使えなくなる(経済的被害)あるいは汚染された食品を摂ることによって食中毒などは起きた(健康被害)というものは同じ被害でも、その重要度は変わるというのに似ている。
被害そのものの実質は変わらなくても、考え方次第で受けてのダメージが変わったり、あったはずのものが無視できる程度になったりするのだ。

世の中には変えられるものと変えられないものがある。
苦しさや怖さがあったとして、それが自分の外部にあるもので直接には何もできないものなのか、それとも実は自分の中にあって変えることができる可能性があるものなのかを冷静に判断することは新しいツールや時代の変化の中で生きていくためのコツの一つだ。

2012-03-01 07:00

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